谷川道子ブログ

東大大学院修了(ドイツ演劇)。東京外国語大学教授。現在、東京外国語大学名誉教授。

『メイエルホリドとブレヒトの演劇』

『メイエルホリドとブレヒトの演劇』

 

この間の2016年に力を注いだ仕事としては、『メイエルホリドとブレヒトの演劇』があります。ずっと抱えてきて、2016年11月に玉川大学出版部から上梓されました。内容と経緯については、その「訳者あとがき」に触れられているので、了解を得て、そこから借用させていただきます。

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『メイエルホリドとブレヒトの演劇』――訳者あとがき

 

 本書はKatherine Bliss Eaton, Theater of Meyerhold and Brecht, Westport; Greenwood Press, 1985の全訳である。キャサリン・ブリス・イートンは、ソヴィエト演劇と文化の研究者で、本書のほか、著書にKatherine Bliss Eaton, Daily Life in the Soviet Union, 2004、編著にEnemies of People: The Destruction of Soviet Literary, Theatre and Film Arts in the 1930s, 2001がある。

 『メイエルホリドとブレヒトの演劇』の原著は一九八五年にイギリスで出版された。これまで各国の演劇史研究の論文でたびたび参照、引用され、一九二〇-三〇年代の文化史研究において基礎文献の一つとなっている。日本では、本書の編訳者の一人である谷川が、当時『新日本文学』誌の編集長で、御茶の水書房の編集者でもあった久保覚氏からこの本の翻訳を依頼され、早い段階で全訳を行っていた。ところが、久保氏の急逝など諸事情が重なり、その訳稿は筐底に眠ったままになっていた。それ以来、長い年月を経て、二〇一〇年に早稲田大学演劇博物館「演劇映像学拠点」の主催でシンポジウム「メイエルホリドと越境の二〇世紀」(研究代表者、上田洋子)が開催されたことをきっかけに、本書の翻訳計画が再び持ち上がった。このタイミングでシンポジウムに参加していた伊藤愉にも声がかかり、最終的に谷川と伊藤の二人で翻訳を担当する形で今回の出版に至った。

 

 本書の特徴は、タイトルの示す通り、二〇世紀を代表する二人の演劇人、フセヴォロド・メイエルホリドとベルトルト・ブレヒトの演劇実践を関係づけているところにある。いみじくも、イートンが序章で述べているように、一九二〇-三〇年代、世界演劇において名を馳せていたのはブレヒトよりも圧倒的にメイエルホリドだった。ブレヒトに限らず、多くの演劇人たちが肯定・否定の違いはあれど、彼の影響を受けていたのである。ところが、周知のようにソ連時代にスターリンの粛清の嵐が吹き荒れ、メイエルホリドの名は歴史から抹殺され、その存在自体が無きものとされてしまった。一九五五年の名誉回復、そして一九六〇年代のメイエルホリド研究の第一次興隆を経て、彼は再び歴史に戻ってきたが、それでも依然として正当な評価を受けているとは言いがたい。イートンの狙いは第一に、ブレヒトの先駆者として位置付けることで、こうしたメイエルホリドの復権を試みることにあった。もちろん、このような問題意識はイートンがこの本を著した一九八五年時点のものであり、その後ソ連崩壊を経て、多くの情報が公開され、メイエルホリドの活動の実際は次第に明らかになってきている。しかし、日本に目を向けた場合、この問題意識は依然として有効であることは明らかだろう。

 かたやブレヒトは、現代演劇はブレヒト抜きでは語れないと言われるほどに、第二次大戦後、世界中である種「熱狂的に」受け入れられた。「ブレヒトの時代」とでも言うべき現象である。戯曲(ドラマ)と上演(シアター)両極での「叙事的演劇」、「異化効果」など、二〇世紀演劇のキーワードとなる手法を編み出したとされている彼の仕事は、一九六八年からは西ドイツでもシェイクスピアをしのぐ最多上演作家になり、日本でも一九六〇-七〇年代に翻訳・紹介・上演が相次いだ。あるいは単なる作品の受容を超えた「ブレヒトなきブレヒト受容」と言われるような方法論的革新の契機として、一九七〇-八〇年代には世界中で劇作家にも演出家にも、果てはピナ・バウシュの「タンツ・テアター」にも影響を与えた。八〇年代後半には逆に、「ブレヒト疲れ」という言葉が流行語になったほどだ。だが、イートンの主張に従えば、こうした世界演劇史においてブレヒトの「発明」として受け入れられてきた多くの試みが、それに先立つメイエルホリドの実践に確認できるのである。こうした歴史的に後発のブレヒトに対して、本書では、やや皮肉まじりに「《偉大な》借用者(“great” borrower)」という表現があてられている。見方によっては「剽窃」とも受け止められかねないこの表現が意味するところは、しかし、決してネガティヴなものではない。イートンは、アイデアの源泉を指摘しつつも、ブレヒトの業績をメイエルホリドの発明に還元するのではなく、その独自の展開におけるオリジナリティを論じ、二人の演劇人の創作の価値を伝える。両者の手法を具体的に参照し、紹介しながら論じるイートンの記述からは、たしかにブレヒトの実践における「メイエルホリド的要素」を確認できる。だが、その一方で〈借用(あるいは剽窃)/受容〉とその独自の展開は、伝統演劇に想を得て新しい演劇を構想したメイエルホリドにも見られる側面であり、そもそも歴史とはそのように更新されていくものである。こうした受容史は、例えば二〇世紀後半にブレヒトとメイエルホリドの方法を継承したロシア人演出家ユーリー・リュビーモフにもしばしば指摘され、また、日本の鈴木忠志が「本歌取り」と名付けるコラージュの方法も、あるいはハイナー・ミュラーが『画の描写』(一九八四年)の注の中で「補筆彩色(Übermalung)/レイヤー」と呼んだ手法も同様だろう。

 イートンの記述が興味深いのは、こうしたメイエルホリドとブレヒトの関係を、ロシア、ドイツ両国の文化交流史というべき人間関係の中に描き出そうとしているところである。これが本書のもう一つの特徴だろう。たしかにイートンは、メイエルホリドとブレヒトという具体的な名前に限定して論を展開している。さらに言えば、本書で言及されるブレヒトは「演出家ブレヒト」であり、劇作家としての彼の側面は敢えて掘り下げられていない。しかし、こうした個別具体的な演出手法の比較、考察の先には、二〇世前半における重要な文化的コンテクストが拓かれている。この時代の交流史は一方では左翼人ネットワークがあり、また他方では亡命知識人らのネットワークがあり、きわめて広範で複雑だった。本書に登場するベンヤミン、ルナチャルスキー、アーシャ・ラツィス、トレチヤコフといった関係者たちは、そうした交流史において重要な役割を果たした人物たちで、メイエルホリドやブレヒトは、互いに直接的な言及は少なくても、こうしたネットワークの中で確かに近接していたのである。

 実際、一九二〇年代のドイツ・ロシア文化圏における相互交流は実に驚くべきものだった。例えば、メイエルホリドについては、次のような補足も可能だろう。メイエルホリド自身は、国外での上演がやや遅れたこともあり、とくにドイツでの受容に関しては、カーメルヌイ劇場の演出家タイーロフの後塵を拝した。しかしその一方で、イートンが指摘しているように、彼の演劇実践はドイツを代表する演劇人ピスカートア(彼もまた、国際革命演劇同盟(MORT)で活動しており、一九三一年から一九三六年にはモスクワに滞在していた)の思想、演出手法にも影響を与えていた。またメイエルホリド自身も、一九二〇年代後半から一九三〇年代にかけて構想していた未完の新劇場建設プロジェクトの設計において、ピスカートアの盟友でありバウハウス初代学長であったドイツ人建築家ヴァルター・グロピウスがピスカートアのために設計した「全体劇場」の影響を受けていたという指摘もある。あるいは、メイエルホリドが歌舞伎をはじめとする日本演劇の影響を受けていたことはよく知られているが、革命前の時代から彼はそうした情報を主にドイツ語の書物から得ていた。革命後にも、一九二五年にはドイツ人演出家、演劇批評家のカール・ハーゲマンの東洋演劇に関する書籍『諸民族の演技』(ドイツ語の原書は一九一九年出版)が三巻本でロシア語へ翻訳出版されるが、その第二巻は日本演劇に関する内容で、メイエルホリドの近くにいた人間たちはこぞってこの本を読んでいた。

 さらに言えば、近年、主にエリカ・フィッシャー=リヒテ(邦訳、『パフォーマンスの美学』論創社、二〇〇九、『演劇学へのいざない』国書刊行会、二〇一三年)らの活動により再評価を受けているドイツ人演劇学者マックス・ヘルマン(一八六五-一九四二)の「演劇学」創設の活動も同時代的にロシアに影響を与えていた。ロシアでは一九二〇年代にレニングラードの芸術史研究所演劇部門を中心として「演劇学派」が立ち上がるが、これはヘルマンの「戯曲ではなく上演」を分析対象とする「新しい学問としての演劇学」という思想をロシアなりに受容したものだった。このロシア演劇学の活動の中心にいたのが、アレクセイ・グヴォズジェフ(一八八七-一九三九)という演劇史学者で、彼こそがしばしば激論を呼び起こしたメイエルホリドの演劇活動を理論的に支えた、演出家にとって最も信頼のできる批評家、理論家だった。

 このように、二〇世紀前半において世界の演劇を牽引したドイツとロシア両国は互いに影響を与えあい、そうした文化的背景を背負いながらメイエルホリドとブレヒトは活動していたのである(そして、こうした文脈のなかに千田是也佐野碩土方与志村山知義、そして小山内薫といった日本人たちが入り込んでくる)。それゆえ、イートンが述べるように、ブレヒトの「異化効果」という用語がロシア・フォルマリズムに由来するもので、それがセルゲイ・トレチヤコフを通じてブレヒトの演劇理論へと移入されたことなど、彼女の主張の多くが十分な説得力を持っている。ソ連崩壊後の私たちには、ソ連時代は「鉄のカーテン」があって、すべてが遮断されていたイメージが強いが、一九二〇年代、そして三〇年代においてもなお、情報や人的な交流が活発になされていたことをあらためて問い直すことは、この時代の世界の文化・芸術地図を正しく把握するために重要だろう。

 四半世紀前の一九八五年の著作として、現在から見れば、本書は情報の不足や誤認、またそれに起因する論証の甘さなども指摘できる。とはいえ、トレチヤコフやアーシャ・ラツィス、ベンヤミンら、ロシア演劇に関するブレーンたちがブレヒトに提供した情報を丹念に追いながら、個々の作品や演出方法を例にとってブレヒトとメイエルホリドの新しさと面白さを示してくれる本書は、二〇世紀を代表する二人の演劇人の活動を、歴史的事実から読み解く格好の入門書ともなってくれるだろう。冒頭でも述べたように、メイエルホリドとブレヒトの接続を的確に捉えた本書は、現在でも各国の演劇研究で参照され続けている。その意味では時代を超えて読まれる価値が本書にはあり、基礎文献としての意義を十分に有している。

 

 本書の構成は、第一章でブレヒトのメイエルホリド演劇との出会いに触れ、第二章と第三章でメイエルホリドの演劇について、第四章でそのブレヒトなりの受容を語り、最後の第五章で、メイエルホリドの先駆性を改めて主張しながら、両者の時代的な革新性を指摘するに至る。これに加え、本書では、この間のいきさつを踏まえて、イートンの記述への補足・展開として編訳者の谷川と伊藤に、演劇批評家の鴻英良氏を加えた三つの論考を添えた。

 それぞれ、谷川道子「現代演劇へのパラダイム・チェンジ――メイエルホリドとブレヒトベンヤミンの位相」は、一九二六年に上演されたメイエルホリドの『査察官』を基軸に、二人の演劇人にベンヤミンを介在させ、ブレヒトベンヤミンの相関関係を、時代の変遷を押さえつつ解説している。伊藤愉「現実を解剖せよ――討論劇『子どもが欲しい』再考」は、ブレヒトと最も親しかった作家セルゲイ・トレチヤコフの戯曲『子どもが欲しい』を、メイエルホリドの上演計画とともに紹介している。鴻英良「叙事詩と革命、もしくは反乱――メイエルホリドとブレヒト」は、革命後、ソヴィエト最初の戯曲と言われるマヤコフスキー『ミステリヤ・ブッフ』を中心に、叙事詩における「革命を記述する」機能を読み解き、イートンとはまた異なる視点からメイエルホリドとブレヒトの連関を論じている。なお、鴻氏には、訳文に関しても細かいご指摘をいただいた。この場を借りて御礼申し上げる。

 いずれの論考も、一九八五年の出版から現在にいたるまでに明らかになった事実などを補足情報として取り入れつつ、読者にとってイートンの本文を読む上で補助線となることを意識して(しかし、それぞれの論者の立場を保ちつつ)記した。時代背景の事実、情報もそれぞれの論者が記述しているため、イートンが扱う時代の厚みと複雑さを少しでも味わっていただければ幸いである。

 二〇世紀初頭の激動の時代を生きた二人の演劇人は、ともに演劇と社会との関係、演劇が社会に与える影響、あるいはある時代において演劇を行うことの意味を問い続けた。本書には、しばしば「民衆」あるいは「大衆」と訳しうる用語(people / public / masses)が登場する。しかし、これらの用語が意味するところは必ずしも明確ではない。それは、もちろんイートンの瑕疵ではない。メイエルホリドとブレヒトの時代、「大衆」、「民衆」そして「観客」という言葉は、様々な意味を帯びながら多様に用いられた。その意味が揺れ動くなかで演劇を行うことこそが、演劇と社会の関係を問うことでもあったと言えるだろう。そこに答えは当然ない。しかし問わずにはいられない状況に彼らは生きていた。私たち一人一人がいま現在も「大衆」、「民衆」であるならば、その存在自体を問うた演劇人たちの活動を私たちが再度読み直すことは、同じ問いを今の私たちもまた投げかけられるということでもある。それゆえ、本書が、単なる時代考証の研究成果としてだけではなく、確かなアクテュアリティを持って、読者の方々に読まれることを願ってやまない。

 

 なお、訳出に際しては、イートンが引用しているロシア語、ドイツ語の原文に当たれるものは、極力原文を参照し、イートンの文意が損なわれない範囲で、適宜原文の文脈をなるべく拾いあげるようにした。また情報の単純な誤り、頁数の誤表記などに関しては、特に断りがない限り、訳出の際に訂正を施している。基本的に谷川がかつて訳してあった原稿を元に、改めて伊藤と谷川で全面的に見直しを行った。ドイツ、ロシアそれぞれの国、言語における細かい事実確認等は谷川、伊藤がそれぞれの専門を担当しつつ、何度もやり取りを重ねたが、不備、不足もあるかもしれない。その責任は両者にある。お気づきの際はご指摘、ご教示いただければ幸いである。

 最後に、本書出版計画のきっかけとなったメイエルホリド・シンポジウムを企画してくださった上田洋子さん、煩雑な編集作業を引き受けてくださった竹中龍太さん、装幀をしていただいた宗利淳一さん、そしてなにより、本書の意義をご理解いただき、出版の機会を与えてくださった玉川大学出版部の森貴志さんと相馬さやかさんに心よりの感謝を申し上げます。

 長い年月をかけてようやく本書の日本語訳を刊行できることとなったことは望外の喜びで、この先の若い世代、次の世代の読者の方々に末長く愛される本となりますよう。

 

 二〇一六年初夏 
                                      

                            谷川道子、伊藤愉

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    (図書新聞2017年3月25日号に掲載された高橋宏幸氏による書評)