谷川道子ブログ

東大大学院修了(ドイツ演劇)。東京外国語大学教授。現在、東京外国語大学名誉教授。

浪速のソーホーの関西弁の若者たちの「三文オペラ」

──演劇教育と公立劇場と地域のウイン・ウインの可能性を考える?──

 近畿大学文芸学部芸術学科舞台芸術専攻の26期生の卒業公演に拙訳の『三文オペラ』をやりたいという依頼を松本修さんから頂いて、上演パンフに短文を依頼され、その一節―。

 「演出の松本修先生に『まんま演らないで、自分たちらしいのにしてね』と伝えたら、谷川翻訳台本の台詞等を、さらに下町感を出すために関西弁にアレンジするという挑戦をしているとか。制作担当の山下君から『関西弁の方がここは聞き取りやすいのでは?ここは標準語のままの方が伝わりやすいのでは?といったように、日々試行錯誤しながら取り組んでおります』というメールも頂きました。ソングだけでなく、台本全体を関西弁にするのだとか。… 谷川翻訳台本ではなく、二六期生翻訳台本になるのではないかなあと・・・ギャラ貰っていいのかなと怖れたり、そうなってほしいというサプライズを期待したり…。

 そもそもが、ブレヒトの『三文オペラ』も、二〇〇年前のロンドンでの当たりソングプレイであったジョン・ゲイの『乞食オペラ』を女性秘書エリーザベト・ハウプトマンが翻訳していたものにブレヒトが手入れ改作して、作曲家クルト・ヴァイルと大車輪で完成させた台本。ベルリンのシフバウアーダム劇場の改築杮落とし公演に間に合うように、台本訂正のみならず、役者や演出家の抗議や交代など、ご難続きでやっと幕を開けた初日に、途中から客席が喝采でどよめき始めた、という。そして、誰も予想などしていなかったメガヒットになったのでした。その頃のブレヒトも、二九歳から三〇歳にかけての、まだまだ血気盛んな若者で、ベルリン留学中の若い千田是也もその舞台を観て、東京で『乞食芝居』として舞台化、世界の『三文オペラ』ブームの一翼を担った! さて近畿大学二六期生の若い『三文オペラ』は、一体どのような初日を迎えるのでしょうか?どんな関西弁に、どんな唄と踊りなのか。わくわく楽しみにしています」。

 ここまで書いたら行かざなるまいで、晩秋にでかけたのでした。いろいろ考えさせられて、行った甲斐は大いにありました。

 2013年の日本演劇学会近畿大学の新しいキャンパスは体験済みでしたが、でも上演場所は庶民的な繁華街の難波の近畿大学会館5F,日本橋アートスタジオとやら――想像と違って昔ながらの古モダンの何もないフラットな多目的ホール、客席100? 開場してから開演前も真ん中に階段付きの二階建ての木造舞台を釘と金槌で仕上げの途上。着替え途中の若者が、そこで椅子やテーブルを運び込んだり、機械仕掛けのカラオケで音合わせしたり・・・そう、もろ楽屋落ちというか、これからここでお芝居やりますよ、旅回り一座が小屋掛け芝居を始めるような・・・原作のゲイの『乞食オペラ』も河原乞食と呼ばれた旅芸人がドサ回りでやる芝居、それを見事に“パクった”ブレヒトの『三文オペラ』とて、オペラのパロディで、先ずは広場の縁日で大道演歌歌手が主人公の名うての盗賊メッキースの罪状を並べ立てる「殺しの歌モリタ―ト」を手風琴で唄い始める序幕から始まる。日本の祭りや歳の市で講談師や演歌師がやる呼び込みでもある。そう、演劇の原点は、これでいい、これが『三文オペラ』なのだ、と思い至った。チープでシャビ―なこの空間こそが、泥棒会社や、盗品で飾り立てた盗賊団ボスのにわか結婚式、やがてそのボスが逮捕処刑される監獄、あるいは娼婦たちが色目を使う淫売宿、の舞台となって、若い俳優たちがこれから出ていく世界をアングラの地下から演じて見せよう、という仕掛けだ。そういう芝居が「モリタート」を皆で歌い始めながら展開していく。そうやって私も、難波の縁日小屋に紛れ込んだように、いつしか巻き込まれていくのだった。うまい導入、まずは納得。さすがの松本演出。

 そして関西弁―。学生たちが自分たちなりに作り上げたというその台詞は無理に作り上げた方言調というより、なんとなく自分たちが日ごろ馴染んでいる地域のイントネーションと言葉(出演者全員が関西出身者らしい)、やりすぎず、遠慮しすぎず、配役に応じつつ工夫しながら、日常的に身についたユルーイ自分たちなりの関西弁になっている。そしてこれは、私たちにも馴染みの七五調のリズム、イントネーション、歌舞伎や浄瑠璃、あるいは落語や漫才の口調。この関西弁のテンポとリズムが、何となく不思議に「三文オペラ」に乗るのだ。「人食い鮫は するどい歯を 面一杯(つらいっぺえ) むき出している だがメッキースは自分のドスを 決して誰にも 見せやしねえ」・・・手風琴の「モリタ―ト」と流しのギターの演歌調は、義太夫節とも通底するのかもしれない。ついつい手拍子で唄い踊りたくなる。音楽はヴァイルの原曲を音楽担当の斎藤歩氏が編曲、三時間余の舞台に合わせて歌いやすいように工夫してあるとか。舞踊の相原マユコ先生の愛ある振付指導もあったらしいし、うまく乗っていた。

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 この近大舞台芸術専攻の学生さんたちはダンスや音楽なども履修できるようになっていて、ま、いまどきの若者は歌って踊らせればけっこう上手くサマになる。全体に肩の力の抜けた楽しい音楽芝居だ。そのリズムに「三文オペラ」を乗せた感じだ。自分たちの土俵に作品を持ってくる賢さ? オペラのパロディだからヘタウマ? ヘタに「演じ」ないからいいのだ! それが心地よく客席まで伝わってきて、リラックスする。

 演出の松本修さんは、ブレヒト生誕百年の一九九九年三月に世田谷パブリックシアター柄本明主演『ガリレオの生涯』で邦訳者としてご一緒させていただいた仲。大きな宇宙儀のような舞台空間でゆったり近代科学の曙から現在までつながる問題系を浮かび上がらせて、彼のブレヒト初演出だったのだが、「ブレヒトの考えている演劇は僕らの考えていることと同じなのですね」と言われ、その後カフカの三部作小説の舞台化が評判となった。この二度目のブレヒト三文オペラ』で、また枠が広がったかなあと・・・その悠揚迫らぬのびやかさは彼の本領だろうが、その彼でさえ、「ゆとり世代」のゆとり振りにはハラハラさせられたようだ。いつまでも出来あがらない関西弁の台本に、「おい、間に合わないぞ」とせかしても、「大丈夫ですよ」と焦らないのだとか。

 私も本番観劇の当日、受付で切符や座席を案内してくれたあの上演パンフ制作の山下君が、まだ着替えも何もしていないのに「僕が今日、メッキース役です」と涼しい顔で言う。「早く着替えなくちゃ」というと「はい、これからメイクします」―-幕が開いたら、真白なスーツに白手袋、象牙の柄のステッキのいなせな紳士ぶりでにこやかに登場して、七・三のポーズで流し目を決める変身振り。たしかに「ゆとりですが、なにか」の肩の力の抜け方かと感心。

 自分たちのテンポに移し替えた『三文オペラ』は、うまくカットしつつ原作通りの三幕構成だったが、最後のメッキースが絞首刑になる寸前に馬上の騎士の登場で恩赦の無罪放免となる幕切れは、すべてピーチャム役の語りと歌の中で、階段の回転やコーラスの動きで語られる。「現実の世界ではこうはいかない、せめて芝居の中ではハッピーエンド」・・・フィナーレも楽屋落ちで、「モリタート」のリズムに乗せながら、役者たちはいつの間にか自分たちの素顔と普段着に着替えて、自分たちのリズムにアレンジしたヴァイルのメロディ―で自由に踊りながら、客席の手拍子も受けながらさりげなくカーテンコールまでやってのけてしまう。

 こういう楽しさっていいなと思った。自分たちらしい四年生の卒業公演『三文オペラ』になっている。アフタートークでは途中から、大阪育ちで関西弁台詞の貢献者でもあったらしいピーチャム夫妻役の中野青葉・田中ひかり両氏も加わって、卒業公演の演目を投票で決めた経緯や、稽古のプロセスやエピソードも語ってくれて、なるほどと・・・納得。上演者の立ち位置の明確な舞台が私は好きだ。そもそもが演劇はワークイン・プログレス。上演者の観客と舞台への立ち位置とプロセスが見えてこそが醍醐味である。作品の版権というのは、たしかに作者と作品の権利を守る近代の優れた成果だが、版権が過ぎればパブリック・ドメイン。それ以上にライブの協働作業の賜物である舞台は、上演者の「今、ここ、我々」の「クリエイティブ・コモンズ」だという思想と理念の運動が、いま展開中である。ハーバード大学の法学者ローレンス・レッシグがアクテイビストとして法的な著作権のあり方に闘いを挑んだことから発していたというが、『三文オペラ』は日本でもしばしば上演権が問題化されるので、あえて一言。ブレヒトはすでにパブリック・ドメイン、そして舞台は本来的にクリエイティブ・コモンズであろう。これは上演の権利を謳う「ポストドラマ演劇」の理念でもある。

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 ここまで書いて、もう一言、蛇足を重ねたくなりました。

 近畿大文芸学部舞台芸術専攻は、演劇創作系、舞踊創作系、戯曲創作系、トッププロデュース系にわかれつつ、それぞれ自由な選択をしながら四年間で、舞台芸術のプロとして通用する教養と技術を身に着けるという。四年で十回ほどのさまざまな舞台を経験し、カリキュラムを見ても、今度の卒業公演を見ても、演劇人のプロを養成している。それなのに日本では、プロの演劇人として受け入れて、育ててくれる場所やシステムが圧倒的に不足している。それぞれにフリーで劇団や作品を創って認められるまで頑張る、という道もあろうが、食べて生活していける保障はない。これだけの演劇教育を受けて人材が育ちながら、もったいない話です。

 演劇王国と言われるドイツをはじめヨーロッパの劇場は主軸が公立で、劇場=劇団=専属劇団。ドイツでは150を数える公立劇場の劇団員は平均三百人。つまり公務員で、劇場収入は必要経費の三割という潤沢な助成金で支えられ、社会の重要な文化の柱として存在している。ヨーロッパ市民社会の根付きの豊かさでしょうか。

 そこまでの道のりは遠くても、日本でも公立劇場の建設が一九九〇年頃からやっと現実となってきた。しかしハード/箱物としての立派な劇場はできても、中身の劇団や何をやるかのソフトウエア―のない状況で、付属劇団のあるのは静岡SPACや兵庫のピッコロ劇団くらいか、どの劇場も少ない人材や予算で、劇場監督や指定管理者制度のもとでそれぞれ必死に模索しているというのが現状だろう。埼玉の彩の国劇場では蜷川幸雄氏が、全シェイクスピア作品上演や、高齢者のゴールドシアターや若者のネクストシアターという拓かれた試みを、彼なりの天才的なやり方で果敢にやってのけて、与野本町の駅から劇場までの路上には、シェイクスピアの名文句の書かれた敷石が夜間には下から照らされ、脇には出演した俳優たちの手形やサインも飾られ、「演劇の街」つくりへの意欲や夢、プライドも感じられたが、そんなこんなのレガシーはどう引き継がれていくのでしょう。気になるところ。

 演劇教育も、千田是也氏が俳優座とともに必死の自前で俳優座養成所を設立し、たくさんの演劇人や新しい劇団を育て、日本の演劇界を支えた。そして演劇教育はやはり大学教育の場で引き受けるべきだとして生まれたのが桐朋学園短期大学演劇専攻。2015年にドイツ人ゲスナー先生演出の卒業公演で拙訳『三文オペラ』も俳優座劇場で上演され、我がブログでも触れているのだが、その時も同じことを考えた。他にも関東には演劇系大学が五つあって五演劇大学連合の連携共同制作公演を行っている。「演大連」というらしい、次世代文化創造の文化庁委託事業だ。私も時々覗くが、2016年に東京芸術劇場で観た野上絹代演出の野田秀樹作『カノン』などもなかなかのものだった。こういう人材が未来形で育っていくには何が必要可能なのだろう。演劇教育の側も、劇場や観客、地域や実践の場との連携を必死に図っている。それぞれの模索の手がウイン・ウインでつながる方法や可能性はあるのではないか。いろんな演劇がいろんなつながりで楽しく広がってほしい。演劇は古今東西の遺産だ。

 

 実は近畿大学のこの『三文オペラ』の卒業公演の時に、たまたま再来年開館予定という東大阪市のホール「創造文化館」に携わっておられる畑中浩明さんという方が観に来ておられてそんな話もしたので、ついついこの文章もそういう連関になった。

 劇場と大学と地域や市民がいい形でともに育て合い、支え合い、学び遊びあうような、結びつき。繰り返しになるが、演劇はワークイン・プログレス。上演者の観客や舞台への立ち位置とプロセスが見えてこそが醍醐味である。そうきたか、そこまで育ったか。学生ならぬ平均年齢77歳の埼玉ゴールドシアターなどはパリ公演までやってのけた。演劇専攻の若い学生や卒業生もその成長の可能性を、地域や劇場や大学が大きな眼差しと度量で引き受けて育ててほしいものだ。

 半世紀も日独の演劇にかかわってきた去り行く老兵としては、語りだせばきりがないほど言いたいことも思いも深いので、「ゆとり世代」から学びつつ、この辺でやめますが・・・ビバ、若者と演劇!! ビバ『三文オペラ』❕

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          写真/石塚洋史