谷川道子ブログ

東大大学院修了(ドイツ演劇)。東京外国語大学教授。現在、東京外国語大学名誉教授。

「くにたちオペラ『あの町は今日もお祭り』」と『鬼の学校』 ~多和田葉子と平野一郎と舘野泉~

「くにたちオペラ『あの町は今日もお祭り』」と『鬼の学校』
     ~多和田葉子と平野一郎と舘野泉

 多和田葉子台本+平野一郎作曲+川口智子演出*斎藤かおり制作の「くにたちオペラ」についてはすでにブログアップしたつもりでした。上演は今年2022年のGW(4/30、5/2、5/3)で、その映像化と上映会や、批評の収集、シンポジウムの模索など皆で頑張っているうちに、今年も残り数日になって、せめて今年2022年のうちアップしておこうと思い立ったところです。
 公益財団法人くにたち文化・スポーツ振興財団小ホールの大きな挑戦として、世界初演ながらわずか3ステージの公演でしたが、これはもっと多くの大きな地平で受け取られて語られるべき快挙だと思ってしまったのですが、しかもその間に、平野一郎作曲の『鬼の学校』が12月11日に上野の東京文化会館で「舘野泉バースデー・コンサート 2022」において上演演奏されて出かけたら、こちらも語られなければならないと思うような舞台‥‥ただ、これは、12月30日のNHK BS1で「鬼が弾く 左手のピアニスト 舘野泉」という番組で、新作『鬼の学校』に向けての舘野泉の情熱の日々にNHKが密着したドキュメントだということですので、その放映に間に合ってそのことをブログで伝えれば良いのだと思い当たっても、こちらは時限があります。12月30日(金、22:00〜22:50)放送。時限に背中を押されて、22日の今日なんとか、書き始めたところです。まずは間に合って番宣です!!!  大みそかの前日ですが、どうかお見逃しなきように、しっかりとお楽しみくださいませ。

 それにしても「くにたちオペラ・プロジェクト」の方が緊急の共有の課題なのに、どういう関連があって、この二つにビビッと心が久しぶりに直観的に震えたのか? それを考えるのが今の私の課題・役目なのでしょうか。

      

 1936年生まれの舘野泉さんは早くにクラッシック界のレジェンドとなるも、周知のように、2002年に脳溢血で倒れて右半身不随となるが、しなやかにその運命を受け止め、「左手のピアニスト」として活動を再開。彼の左手のために献呈された作品は10か国の作曲家により100曲を超えるそうです。私もあるときにその演奏を聴いて圧倒されてからファンになって、実際にファンクラブがあって、恒例となった「バースデーコンサート」は、ジャパンアーツの主催となっているものの、第2の故郷となったフィンランド大使館が後援となり、ファンクラブも協力者となっています。しかもそのコンサートには、「~またひとつ夢を叶える日~」という副題がついています。毎年、毎回、新しい「夢」にチャレンジして叶えるのです。今年今回の「夢」が、平野一郎作曲の『鬼の学校』の新作初演だったわけですね。12月30日のBS1でのドキュメントを参照ください。他に、今年逝去された一柳慧作曲の『左手のためのFANTASIA』と、お好きな南仏の作曲家セヴラックの『大地の歌』を左手用に編曲してもらった一昨年に実現した「夢」。

                              

 今年の夢の委嘱作『鬼の学校』「左手のピアノと弦楽のための教育的五重奏」は、シューベルトの『鱒』のような若い気鋭の弦楽四重奏に、今年87歳になられた舘野さんの左手のピアノが若い5人よりずっと拍力のある酒呑童子として、4人の弦楽の眷属を集めて鬼が鬼らしく生きていくために必要なことを噛んで呑んで言い聞かせるという趣向。歌詞はないのですが、『鱒』のようにその様子が伝わってくる、演奏40分の生き生きした大作です。しかも上演パンフレットには、平野一郎自身による「鬼の学校の時間割」が、登校から基礎科目、運動や悪戯、給食、教養科目、実践科目、ゆすりたかり方、掃除と喧嘩、生存科目、放課後、下校まで事細かに書かれています。作曲なのですが、歌詞を付ければオペラにもなるでしょう。いや、言葉はなくても音で喧嘩したり、遊んだり、十分に雄弁でもあります。昨年委嘱されたのはピアノ・ソロのための『鬼の生活』で、今年はその続編というわけです。面白がってこういう委嘱をして、平野氏は鬼のようになって作曲し、自らは鬼の酒呑童子となって鬼気迫る演奏をして若い弦楽の眷属たちを叱咤勉励する87歳の鬼の教師の舘野泉こそが鬼の化身でしょうか⋯? なるほど、音はこれだけ饒舌雄弁というわけです。  

 私はすぐに多和田葉子の戯曲『ティルTill』を連想しました。日本人主体のらせん館劇場とドイツの劇団ハノーファー工房によって委嘱された二か国語の台本。日本人ご一行様がドイツでの「ティル・オイレンシュピーゲル・ツアー」にやってきて、通訳が懸命にガイドしようとするが、そこにご存じいたずら者のティルがさまざまに現われて悪戯を仕掛ける。通訳がいくらガイド説明しようとしても、ひっくり返すトリックスターとなる。日本人の中に「いのんど」といういたずら者が居るので、今昔物語からでもひいたのかと探らしてみたけど、見つからない。多和田さんに聞いたら、ハーブのティル/ディルを日本語で引いたら「いのんど」と出ていたからと。ドイツ中世の滑稽小説の原作『ティル・オイレンシュピーゲル』も下敷きにはなっているが、その連関を考えるのも面白い、もっと秀逸なのは、日独両方で日独語混在で上演されて観たのですが(2000/2001)、どちらで演るときも、字幕も同時通訳もつけなかったこと。だって、知らない国/ところに行くときは、通訳も翻訳もなくて、一体これは何なのだろう、どういうことかを考えるのが楽しく面白いわけでしょ、噛んで含めるように説明などされないから、異世界/ワンダーランドを楽しめるわけだし・・・鬼の生活と学校と同じだ、もちろん戯曲も多和田自身によって、二か国語で書かれている。言葉遊びも滑稽で楽しい、日本は何でも「翻訳して分かったつもりでいるだけ」なのではないかと鬼に揶揄われ叱られているよう。お、ここでも多和田葉子と平野一郎が重なったぞ。多和田葉子自身が、世界の秩序や意味や解釈をひっくり返すティル・オイレンシュピーゲルなのだから。二か国語の「穴/境界」を楽しんで遊んでいるのだから。多和田葉子の朗読会やトーク、カバレットも同様のパフォーマンスです。多和田葉子の文学営為の核にある演劇性・パフォーマティビティ。外国(語)なんてない、どこでも壁抜けスルー。言葉も国境も、生や性、正と義も、人と畜も、善と悪もひっくり返ってしまう。世界を言葉で歩いていく。遊んでいく悪戯っ子だ。だから他者や世界と繋がれるのだろう。

 でも「鬼」で、多和田葉子舘野泉~平野一郎がつながった⁉

 多和田葉子さん、こちらも周知のように(?)、東京国立市で1960年に生まれ育って、立川高校でドイツ語も習い始め、早稲田大学ロシア学科を卒業直後の1982年にドイツはハンブルグに赴いて、1991年にドイツ語で修士論文「『ハムレットマシーン』(と)の読みの旅~間テクスト性と再読行為」をハンブルク大学に提出。

 天下の古典『ハムレット』をレントゲンにかけてスケルトンにしたようなドイツ語原作で4ページ弱の『ハムレットマシーン』(1977)、ブレヒトの後継者と言われる今は亡き旧東ドイツの劇作家ハイナー・ミュラーの作、しかし古代ギリシア劇から1956年のハンガリー動乱まで、ハムレット(の演技者/ハイナー・ミュラー自身)がさすらいさ迷う不思議な戯曲? シナリオ? 台本? これは一体何なのだと世界中の演劇人を挑発して、アメリカのポストモダンの演出家ロバート・ウイルソンを始めとしてこぞって舞台化にチャレンジした、という作品⁈ ミュラー自身がベルリン・ドイツ座で『ハムレット』と合体させて8時間余の圧倒的な『ハムレット/マシーン』として舞台化したのは1991年春。稽古の途上で東ドイツ民主化運動はベルリンの「壁の崩ベルリン壊」までもたらして、東ドイツ消滅、ドイツ統一と相成っていた、という因縁の作品。多和田の修論HM論はしかしそういう事に触れることなく、『ハムレット』原作からの様々な翻訳営為に肉薄しつつ、折りしも70年代から欧米で展開したテクスト理論や受容美学、再読、間テクスト性、自己言及性といった文学文化研究のパラダイム・チェンジの方法論も軽やかに駆使して、ベンヤミンの『歴史哲学テーゼ』や日本の夢幻能の世界にまで分け入って、A4タイプ版140ページの修論HM論に仕上げてみせたもの。

 これをドイツ語で書くのはすごく緊張しつつ楽しかったようで、気分転換に途上で書いた『かかとをなくして』や『犬婿入り』が群像新人賞芥川賞まで受賞して日本文壇入りまで果たしてしまった。のみならずさらに演出家のビンダーに頼まれてグラーツ市での芸術祭に初めての戯曲『夜ヒカル鶴の仮面』を書いて初演、ベルリンやハンブルグでも上演、さらに日本語にも翻訳されて、劇作家としてもデビュー。これはくにたち芸小ホールで2019年にまずは川口智子演出でリーディング公演されている。
 「読んでみて」と直に手渡された修論HM論の方はずっと私谷川の手元にあって、ソ連東西体制崩壊湾岸戦争やユーゴ戦争、天安門事件、等々を眺めた後の2015年から共訳を開始して、TMP(多和田/ミュラー・プロジェクト)の設立を決意した。「多和田葉子の演劇性を正面に据える試み」の覚悟だった。2019年のミュラー没後50年には多和田葉子はシアターXの劇場でカバレット『ハムレットマシーネ=霊話(令和)バージョン』を書いて高瀬アキのピアノと共演してくれた。1999年には東京外語大建学100周年記念シンポ「境界の言語」にパネリストとして参加してくれたが、コロナ禍の2021年にはTMPとして『多和田葉子/ハイナー・ミュラー=演劇表象の現場』(東京外語大出版会)と『多和田葉子の<演劇>を読む』(論創社)の2冊の多和田演劇の姉妹本を共編で上梓した。京都芸術大学の<舞台芸術作品の創造・受容のための領域横断的・実践的研究拠点>「2020年度劇場実験1」への研究助成に30周年企画として「多和田葉子の演劇~連続研究会と『夜ヒカル鶴の仮面』アジア多言語版ワーク・イン・プログレス上演」が採択され、さすがにオリパラに倣って1年延期され、2021年秋10月末に劇場実験とフォーラムが豊かに楽しく、寒かったが熱く、実現し、そのドキュメントも刊行された。ひとまず多和田+ミュラー修論HM論からの長い旅路も1段落して終わったかに見えた。ところがどっこい終わらないのが TMP+tmp なのですよね。

 すでに並行して「くにたちオペラ・プロジェクト」の方が始まっていたのです。多和田葉子の演劇にはもう一人、魅せられて、夢を追いかけて叶えようという仕掛け人・ファンがおられました。くにたち文化・スポーツ財団 くにたち市民芸術小ホールのプロデユーサー斎藤かおりさんです。彼女も、国立市出身で1982年からはドイツ在住しながら世界を飛び回ってあちこちで受粉してまわる「ミツバチ葉子」にずっと関心を寄せておられて、私谷川とほぼ同時期の2016年から、その幅広い芸術活動を紹介する企画「多和田葉子 複数の私」シリーズを開始していました。Vol.1がブックアート(美術家とのコラボレーション)、Vol.2がジャズピアニスト高瀬アキとの朗読パフォーマンス、Vol.3は2018年の、戯曲『動物たちのバベル』を市民出演者による川口智子演出の上演。Vol.4が2019年の市民による朗読会。講評は多和田葉子と川口智子と平野一郎。Vol.5が「そしてオペラへ」という流れになったというわけです。TMPと tmp はそこに影のように寄り添っているつもりでした。「多和田演劇の一環としてのオペラ」でしたので、門外漢はしゃしゃり出るのは遠慮していたのですが、同じモーターが回っていたのですから、それが「舘野泉バースデーコンサート」のような「新たな夢を叶える企画」です。『夜ヒカル鶴の仮面』はベンヤミンの歴史の天使が夢幻能の世界に降り立ったような、私から見たら多和田版『オフィーリアマシーン』でしたが、形はいわく多和田自身のお通夜劇でした。多和田さんが今回書き下ろしたくにたちオペラ『あの町は今日もお祭り』は、谷保天満宮のお祭りで夜店の金魚が人間クーニーに出会って、江戸時代らしいヤヤホの宿で男と女が入り婿婚のような結婚をして、昭和の近代から現代、1966年の未来都市、富士見台団地にトウキョウ・オリンピックが重なって、最後に「アマノジャクのアマノガワ」の未来へと問いかけるような、「縄文から現代まで、多和田葉子の描くくにたちの精神地図が、くにたちの境界を超えて世界の今を見せる」(パンフ)ような作品だ。ちょっと私の思いも入りましたが、「くにたちオペラ」と呼ぶ所以です。この台本ともろに格闘して、「言霊を音霊に、そしてオペラに」変容させていったのが、新進気鋭の作曲家平野一郎氏です。フルスコアは厚さ3センチに近い大作。思えば、『鬼の生活』と『鬼の学校』の創造とほぼ重なりつつの奮闘であったろうとは、今回の舘野泉バースデーコンサートでの体験で実感。演出や振り付けによる舞台化の過程もしかりでしょう。しかも、出演者とスタッフの30人を、夏に市民からの募集オーデイションで選んで、指揮者も指導者も置かずに、それぞれのプロとアマが協働・共闘して、あれほどの舞台を創り上げていった。故郷とは何だろうという想いとともに・・・。故郷も自ら求めなければ像を結ばない。
 私も初日の舞台を観終わった瞬間に、これは事件・出来事だと思ってしまったのです。今の日本の演劇界で「またひとつ夢を叶えた日」・・・京都芸大企画で、舘野泉バースデーコンサートでも、そう思いましたが、その都度あらたにそう思わせてくれるものがそこにはあるのです。

 これはどうやって何がどう可能になったのでしょう。それをともに考えられるような場を作るのが、もっかの緊急の共有の課題なのです。創り上げた人たちが自らが中心になって、研究者や批評家や出演者・スタッフ・観客とともに考えられるような広場・アゴラがそこに出演できないかと。ギリシア演劇もそのようにして生まれた。あの小さなギリシアに今なお600余の野外劇場が残っているそうです。古代民主共和制ポリスの象徴ですか。

 「くにたちオペラ『あの町は今日もお祭り』」の成り立ちーーまずは実態と現状と可能性を芸小関連チームで確認して、少し大枠が見えてきた段階で、だんだんに知恵を絞る。もっかはzoom会議でいろいろ探って模索中ですが、本番の3つのステージを観た観客も1000人くらい。観てもいない舞台は語れない。台本もスコアもまだ一般公開はされていない。コロナ禍の進行の中で映像配信にはかなり創り手も受け手も慣れてはきましたが、ライブのパフォーマンスアートである演劇を映像配信にとって代えることには、私も含めて引いてしまう方も多いでしょう。そんなこんなも論題になるでしょうか。もっかの多和田葉子演劇の到達点でもあります。このブログもそのための助走の試みのひとつでのつもりです。事実関係はとりあえず、こうやってウェブで事前にお伝え・論議できる時代です。資料や、対面論議との両立・対峙も、どう工夫できるか、デジタル時代にやっとついていっている老世代には、頑張るしかない課題ですが。

 斎藤かおりさんと、財団のこのような活動が評価される理念とベクトルを探すことも必要ですね。私も一橋大学院で非常勤で教えたりしたのですが、この舞台となったくにたちの町を散歩したりしました。富士見ヶ丘団地では、「ここたの」というカフェでランチして名前の由来を聞いたら「ここに来たら楽しいよ」という誘いの言葉で、だから「ここたの」、他にも産直野菜市や手作りバザーや、自主上映やコンサート、芝居上演・・・等々。地域や自治体も、学生や市民や首長さんの理念や「夢」、思い、工夫次第でできることはたくさんあるということですよね。

 ドイツのハンブルクやベルリンにはそういう「解放区」「自主占拠地」がたくさんあります。たとえばカンプとナーゲルが作った鉄鋼場がまだクレーンも残る中で「カンプナーゲル」として若者や芸術家に占拠/有効活用されて、自由な芸術活動だけでなく、「ラオコーン」という毎夏の国際演劇祭の本拠地になっています。だから、「市民の演劇」「市民と地域の藝術文化」なのでしょう。日本でも今、「いい移住」と称して、都会から郊外や田舎への天地・移住が自治体主導で斡旋されたりしつつある。空地空き家対策や少子高齢化や引きこもりへの地域活性化も模索されていますし・・・。
 それには自分も周りも何らかの鬼になれるような、明確なアイデアや前向きの素敵な「夢」と強い意思が必要だということなのでしょうね。