谷川道子ブログ

東大大学院修了(ドイツ演劇)。東京外国語大学教授。現在、東京外国語大学名誉教授。

≪『三文オペラ』のミラクル ≫ への謎解きと ピッコロシアター 松本修演出『三文オペラ』

  ≪『三文オペラ』のミラクル ≫ への謎解きと

   ピッコロシアター 松本修演出『三文オペラ

 気が付くと、もう半年以上も過ぎてしまっています。

 兵庫県立芸術文化センター、阪急中ホールで、第75回公演、ピッコロシアタープロデユースとしてブレヒト作/『三文オペラ』が、谷川道子訳(光文社文庫)、台本・演出松本修(MODE)として上演されたのは、2023年2月17,18,19日のこと。5ステージ。その中日の18日の夜に、アフタートークが開催されたので、コロナ禍と腰痛の合間を縫って、やっと東京から駆け付けたのでした。いつもなら翻訳者としては稽古などもみせていただくのですが、何せコロナ禍、自宅から劇場稽古場も遠く、zoomで演出の松本さんの頭の後ろから覗かせて貰って、なるほどと、全体をフォローさせて何とか付いていくという不思議な体験でした、しかも今回は、友人の音学学者太田美佐子さんが東京芸大から岩淵先生の下での学習院大、ウイーン大学と30年かけて、昨2022年労作『クルト・ヴァイルの世界』を刊行され、それならせっかくなのでと、3人揃ってのアフタートークをお願いしました。

 今年はブレヒト生誕125年ということで、作曲家ヴァイルの本格な研究は日本では初めてという事もある。中でも『三文オペラ』は、ブレヒト、ヴァイルにとっても、音楽史や演劇史においても稀有な位置にあって、世界中でもことさらに上演回収も多い人気作です。今年2023年にも、けっこう話題のブレヒト上演も色々ありました。

 実はこの我が拙訳は、2014年に新国立劇場の芸術監督だった宮田慶子さんの依頼を受けてなされたものです。それまでに『三文オペラ』は日本でも30をはるかに超える客演や上演があって、御大の千田是也や岩淵達治を筆頭に、既にあまたの翻訳もありました。遺族の版権問題もあり、自由な翻案やドイツ文学の専門家以外の翻訳が使われたりと、一体どれが原作なの、という状況もあったせいか、演出の宮田慶子さん自身も青年座やご自分でも何度も演出しておられて、音楽監督島健さんも含めて、もう一度原点に戻りたいという強い要望・要請があった。『三文オペラ』の仕切り直しという感じでしょうか。ぜひ原作に即して出直して探り直しをしたい、という挑戦です。「現代劇の系譜を紐解く」というシリーズ企画の筆頭です。そういう想いが度重なる蘇生に繋がるのでしょうか。

 それで、翻訳の私は、ブレヒト生誕百年1998年から30巻を超える決定版のテクスト検討をした全集も出ているので、上演俳優スタッフも決まっていたし、ブレヒトの原文の意に沿ったと思う新しい翻訳版を新国立劇場光文社文庫のために作りました。ソングやフィナーレなどの歌も、岩淵先生のようにヴァイルの曲で歌えるための翻訳はあえてしませんでした。新国立劇場は、秘密事項ですが何百万円か払って、ヴァイルのスコアも入手して、それを検討して倣って、新しい歌詞や曲も島健さんを中心に編曲した音楽を創りました。その位の思いの新国立劇場の仕切り直しだったのですね。   

 『三文オペラ』は、そういう広がりを持った世界の演劇界でも 類のない特別な存在、演劇史においてもミラクル、奇跡のような存在になっていた。『三文オペラ』という特別のジャンルというか。今回の松本修さんはそれをご承知の上で、ブレヒトの戯曲とヴァイルの作曲を両睨みしながら、演出なさった。そこが面白いのです。どういうことか、その謎解きに3人でちょっとだけチャレンジしてみたいと思いました。

 

ラクルの謎解きその① 

  今や伝説的な『三文オペラ』の成立事情と時代状況をまずは簡単に!‼

・ミラクルはミラクルとして生まれます。

仕掛け人のプロデユーサーのJ・アウフリヒトは第1次大戦後の材木成り金で、シフバウアーダム劇場/現ベルリーナーアンサンブルを改築して一山あてようと画策。しかも1928年8月31日の自身の30歳の誕生日に杮落としを、と!

・偶々ブレヒトの女性秘書のE・ハウプトマンが、1728年のJ・ゲイ作『乞食オペラ』が200年振りにリバイバル上演で大成功したのを、ブレヒトのために英語から独語訳していました。

・戯曲賞を受賞してベルリンに上京した劇作家ブレヒトは、これを『三文オペラ』に改作して使えると、偶々6月にカフェで出会ったふりをして、アウフリヒトと交渉。

・作曲家K・ヴァイルは同じく登り坂でベルリンに上京し、注目していたブレヒトに作曲の協力を依頼されて引き受けます。

・8月の2週間、ブレヒト+ヴァイゲル夫婦とヴァイル+レーニャ夫婦は南仏の別荘で協力して、『三文オペラ』に集中して、何とか完成させる。

・1928年8月31日のアウフリヒトの誕生日に初演初日の杮落としをする契約‼

・ヴァイルとヴァイゲルは1900年生まれのユダヤ人、ブレヒトとレーニャは1898生まれの作家とキャバレー歌手、E・ハウプトマンはアメリカ生まれの語学の才ある英語教師でブレヒトの秘書となる。奇しくも皆30歳前後で戦後インフレの「黄金の20年代」を謳歌するベルリンで出会った。

・何も他には決まってない中で、寄せ集めの友人繋がりの俳優とスタッフ。ご難続きの突貫工事と稽古、とても開かないと言われていた幕が奇跡的に8月31日に開いたのです‼

・何とか開いた初日の客席が、途中からどよめき始め、終ると大喝采の大成功。

・1年余のロングラン、1930年までにドイツ中の120もの劇場で4000回以上の上演。

・『三文オペラ』フィーバー:ソングの歌は楽譜やレコード、ラジオ等々で巷に溢れ、1932年にはパプスト監督による映画化で世界中に伝播。上演もパリ、東京。ニューヨーク、モスクワと世界化。奇しくもラジオ、レコード、映画と複製技術の藝術の大衆社会化とも重なりました。

・まさにコングロマリッドなメディアと技術と芸術文化と演劇の転換期。世界的な「黄金の20年代」に、エンゲキをエゲンキへ、ムジークをミズ―クへと変革しようとした、演劇革命の20年代:ピスカートア、メイエルホリド、ブレヒトとヴァイル等々。表象芸術のパラダイム・チェンジの到来です。『三文オペラ』はその象徴。

・しかし翌1929年には、NY株式市場の暴落で世界恐慌と大量失業、1933年ヒトラーナチスの政権獲得、ブレヒトたちは即亡命の旅へ。1936年ベルリン・オリンピック、1938年ポーランド侵攻と、ユダヤ人迫害の公然化の「水晶の夜」、1938年第2次世界大戦開始、1945年終戦――怒涛のような展開も続きました。

 

 まさに『三文オペラ』は、激動の世界の転換期に、奇跡のように毒気を孕んで咲いた大輪の薔薇、古典伝統とモダニズムアヴァンギャルドアマルガムの徒花だった? 何故なのだろうと、突っ込みどころはまだまだたくさんあります。

 

ラクルの謎の原因その② 

  作品の3階建て構造=ゲイからブレヒト+ヴァイルへ

 1728年のゲイ原作+ペプシユ作曲の『乞食オペラ』=産業革命のイギリス資本主義の勃興期のウォルポール政権の腐敗賄賂政治とバブルの時代への揶揄と風刺・批判が大ヒットしての大成功=17~18世紀に全盛期を誇ったヘンデル・オペラ/バロック・オペラへの決別の対抗としてのバラードオペラです。続いて1791年にはドイツ18世紀のワーグナー・オペラに拮抗するモーツァルトSingspiel魔笛』1791の誕生という展開。宮廷オペラから民衆音楽演劇への変化の流れでしょう。

 18世紀は、銀行設立で金融資本主義の時代から世界恐慌へ、ヒトラーナチズムの帝国主義段階へ、という転換期でもあります。

 ブレヒトの歌詞とヴァイルのスコアのテクスト(台詞とソングとフィナーレの拮抗関係)は、20年代の器の中での酒の矛盾に満ちた急発酵だったか?歌/ソングと踊りは、演劇を娯楽エンタメの地平へとも一挙に堰を切った? 娯しいパフォーマンスへ!

 例えば、初演初日で観客はどこからどよめいたか?=親友同士のマックとブラウンの結婚式での『大砲の歌』から=軍歌はともに歌えば親友の同志愛の発露=「貴様と俺とは同期の桜」…日本の軍歌はお涙頂戴の助け合いの抒情軍歌←→vs「大砲の歌」=「同期の俺らは喜望峰からインドまで黒人も黄色人も白人も皆殺しまくってタルタルステーキにして食っちまったなあ」という皆殺しと人肉食いのグロテストソング=それがあのヴァイルの軽快な楽しいマーチソングに。

 あるいは「ヒモのバラード」はマックとジェニーの愛人関係の歌=アドレナリン噴出のヴァイルの甘い愛の歌=マックが愛人ジエニーを男に斡旋するヒモ役=男はいかに女を搾取して生き延び成りあがるか、という実はセクハラとパワハラの歌ですよね。その矛盾を内包する皮肉な歌=だから「ジェニーが二度もマックを裏切ったのは不思議」ではないのです、20年代は女性解放の時代!女もできる復讐はするのです。あるいは結婚直後のマックとポリーの「恋の歌」も、愛し合うなんてつかの間、「あちこちで生まれては消えるもの」。「嫉妬のデュエット」を巡るポリーとルーシー:「そんなに欲しけりゃあげるわよ」のヴァイルの曲の矛盾と皮肉も抜群。ソングは歌詞と曲のyのリズムとメロディの抒情性のもつ魅力やエロスや色気は圧倒的。ブレヒトはそれを悟って歌詞をますます先鋭化させていった。その極みが各幕のフィナーレの合唱でしょう。1%の成り上がり者にかなわない99%の民衆の嘆き、怒り、反抗か。

 ブレヒトはゲイの物語の枠構造は借りたけれど、ソングやフィナーレの合唱の歌詞は殆ど自分で書いた。ヘンデル・オペラの構造は借りつつ、換骨奪胎。フィナーレは労働者のデモ歌のよう。女王の戴冠式に大挙して押しかけようというのです。最後はピーチャムとブラウンの共同作戦の抑え込みみたいな恩赦のハッピエンド。ブレヒトを受けたヴァイルの曲もさすがです。ともに新しい演劇・オペラの可能性を賭けた必死本気の丁々発止の鬩ぎ合いだったのではないでしょうか。二人とも本気でぶつかって格闘しているという感がある。新国立劇場の時に島健さんが楽譜を見せて下さりながら、基本的にトニックではない無調の音楽で、プロの楽師でも簡単には弾けないむずかしいスコアだとか。長調のソではなく、短調のラで終わるから、終われなくてループのように続いていく、最初の大道演歌の「モリタ―ト」も、終われなくてループのようにつながっていく。ゲイとペプシュの『乞食オペラ』では、60を超すソングのうちに49曲くらいは既成の俗謡か流行り歌らしいが、ヴァイルはそこでタンゴやシャンソン、ジャズなどの流行り歌も駆使している。ブレヒトはヴィヨンやベルレーヌの詩のドイツ語訳を翻訳者の許可も得ずに借用して裁判沙汰になったのですが、あの頃は近代の優れた所産ともいうべき著作権の黎明期で、「演出優位の20年代演劇革命時代」には、テクストが素材価値のように無造作に使われることも多かった。「僕は私有財産にはだらしない男でね」はその時のブレヒトの名台詞である。ヴァイルが作曲にどのような仕掛けを使ったかは、太田美佐子さんが講演で実際にピアノを弾きながら色々教えても下さった。なるほどと…。

 やはり、『三文オペラ』は、ブレヒトとヴァイルの見事な鬩ぎあいの協働による成功作品でした。おそらくは1回限りの・・・次作の『ハッピーエンド』は上演禁止でこけたし、バレエ『七つの大罪』も傑作だが、使いこなすのは至難の作でしょう。(2006年エジンバラ演劇祭でのリヨン・オペラ座は、『大洋横断飛行』と組み合わせて、当時の欧と米を対峙クロスさせて抜群でしたが)。その後のブレヒト音楽劇の作曲の後継者はアイスラーやデッサウに代わっていきます。ヴァイルはNYブロードウエイ・ミュージカルで、活躍していきます。

 

謎のミラクルその③ 

  松本修版@ピッコロシアターでの立ち位置と構想。

 戯曲テクストに対して、上演パフオーマンスはどういう立ち位置に立つべきかは、20年代演劇革命の時代から、60年代の新アヴァンギャルド革命の時代まで、実に様々な転換・実験・変位・論争がありました。それぞれが自らの立ち位置だから、どれが正解ということはない。上演が行なわれる演劇観と文脈/コンテクスト次第なのでしょう。

 ブレヒトの後継者ハイナー・ミュラーが『ハムレットマシーン』1977で、その極致・極地を示してくれたように、それがH・Th・レーマンの著書『ポストドラマ演劇』で、演劇の更なる自由化に拓いていったのだと思います。少なくとも上演の際には、そのことは自覚せざるを得ない、立場を明確にするしかない。松本さんが、ブレヒトの戯曲とヴァイルの曲を両睨みしながら、演出なさった、と言わせて頂いたのはそういう意味です。そこが面白い。私も黒テントの『三文オペラ』1990は画期的だと思いました。時代の趨勢は自由化に向かっている。でも黒テントはそのことの意味を十分に自覚しておられて、明治維新期に置き換えた日本版をブレヒト原作で、劇団座付き作家の山本清多作、佐藤信演出と明示して上演した。ハイナー・ミュラーは、自ら独訳した『ハムレット』に自作の『ハムレットマシーン』を挟みこんだドイツ座での8時間余の『ハムレット/マシーン』の作者を「シェイクスピア/ミュラー」とした。ドイツ座での1990年のこの舞台が、東独消滅を象徴する最期の『ハムレット/マシーン』となったのですが。

 松本修さんは、ブレヒト生誕100年記念で佐藤信芸術監督の世田谷パブリックシアターで、柄本明主演で拙訳の『ガリレオの生涯』を演出して下さった。慎重に、ブレヒトは何を試みようとしたのだろうかを探る試みでした。そしてトークで「ブレヒトって案外、演劇をやるに当たって当たり前のことを言っているのですよね」と言われた。私もそう思っています。次は2006年の近畿大学演劇科の学生の卒業公演としての『三文オペラ』。「谷川道子ブログ」を参照してほしいですが、大阪での卒業公演らしい舞台を求めた彼らは、大阪弁に乗せた若者らしい軽妙でパワフルな歌って踊っての舞台にしてみせました。彼らの「いま」が見えて、格好・心地よかった。 

 

 さて、二度目の松本演出の『三文オペラ』はどうくるのかなと心待ちにしていました。『ガリレオ』での演出体験は、その後の『カフカ三部作』の演出構想にも生きていました。さて…彼の演劇ユニットMODEは、「MODEは大人に見て貰いたい」をキャッチコピーにチェーホフを日本の現実に置き換えたり、という試みも重ねていた。

 今回のピッコロシアターでの『三文オペラ』の工事現場の三層構造のような舞台装置の写真が送られてきた時、私には、シェイクスピアの「舞台は世界、人は皆役者」というあの名句が自然と浮かんできた。「人はうまれながらにして役者、それぞれが自分の役を持って生まれてくる。…そして人生という舞台でその自分の役を演じた後で、静かにそこから去っていく。」(『お気に召すまま』1600)。ブレヒトたちは世界を舞台に見立てて、人間を役者と見なして、その両者の関数関係を演劇という場で異化してモデル的に読み探ってみせた、とも言えます。思考装置マシーンのように。『三文オペラ』は資本主義の勃興から植民地主義への展開、金融帝国主義への変容過程を、大英帝国の官・民・アウトローの世界で、揶揄的なすれすれで示して大成功し、直後にナチスに追われてうる地球を一周す十数年の長い亡命の旅に出ました。『三文オペラ』の大成功の儲けが厳しい亡命の旅を支えてくれもした。ともに戦後まで東ドイツアメリカでそれぞれに生き延びたのも、ミラクル・奇跡でしょう。

 つまり松本演出はこの世界が舞台で、それが役者たち稽古場の装置であることをオープンシアターのように示してくれます。ある

 意味でシェイクスピア返りかな?全員が同じ世界の住人で、役を稽古で互いに演じてみる。誰がどんな役? ちゃんと観てよ、フィナーレは全員で合唱。ブレヒトたちの合言葉は「オペラを白痴化するのではなく、理性化する」だったとか。てんやわんや騒ぎの後の大成功と亡命の旅の帰結…さて、これは何のモデル化か。その決定権は演じる「今・ここ・我々」にあります。原作から上演化の過程で何が見えるか。現在こそ平等社会で同時に格差社会、階層社会、ごく少数が成り上がったり、下がったり、唄と演技がせめぎあって、舞台に乘ったり下りたり。残りの99%はほぼ名もない民衆なのです。でも乞食だって戴冠式にデモを仕掛けられる。人気哲学者のネグリ/ハートが著書『マルティチュード』で説いたように⁈ 今だったら『三文オペラ』はどう読めるか? 版権や著作権の問題というより、演じる側がどう読んでどう演じるかが演劇です。観客も含めての「クリエイティブ・コモンズ」、集団協働・総合作業。とても賑やかな稽古場だったようですね。劇場の事情で直前に大幅な時間のカットを要請されたり…。コロナ禍の感染と闘いつつ、戦争の世界と地球の危機の成り行きを見つめながら…

 だから上演台本は、活字化された戯曲テクストから生きて立ち上がって変容していくのです。「いま」と「我々自身」とその「立ち位置」が知的に感覚的に楽しく「なるほど」と納得できるように、面白く読めるように…。楽しけりゃ良いわけでもない事がツボでしょうが、腕の見せ所でもある、『三文オペラ』の立ち位置…⁈

 さて、観終わって、皆さんの感想や批評は如何だったでしょうか。

 それにしてもあの時代状況の中で、みな30歳そこそこで、これほどの鋭い風刺と深い読みに満ちた際どい「三文オペラ芝居」で急拵えの大博打に出て、見事にど真ん中に当ててみせる度胸と才覚は、さすがですよね。でもその裏に、その後に続いた時代の激動と矛盾は途方もなかったことも浮かれて忘れてはならない。ブレヒトたちはそこまで読んでいたのでしょうか。あの頃ブレヒトは、株式相場の絡繰りと、アインシュタインの「相対性原理」の研究に没頭していたそうですが…確かに時代の深層からのパラダイムチェンジがそこで連動振動していたのかもしれない。ブレヒト曰く「矛盾こそ希望だ」‼「読む」 とはそれを見抜くことなのでしょう‼

 つまりは、そんなこんなも含めてこそのミラクルということでしょうか? (完了)