谷川道子ブログ

東大大学院修了(ドイツ演劇)。東京外国語大学教授。現在、東京外国語大学名誉教授。

『ハムレットマシーン』──2018、春    

「私はハムレットだった。                                  
浜辺に立ち、寄せては砕ける波に向かって       
ああだこうだ(ブラーブラー)と喋っていた。
廃墟のヨーロッパを背後にして。鐘の音が       
国葬を告げていた。」                                       
  ―『ハムレットマシーン』第1景「家族のアルバム」

  何故かこの春は、また、『ハムレットマシーン』ブーム再来のようでした。『ハムレットマシーン』とは? シェイクスピアの『ハムレット』と関係があるのかな? あるのです。いうなれば『ハムレット』の脱構築? 演劇の世界では、知る人ぞ知る画期的な作品なのですが、ご存知ない方も多いでしょうから、まずは簡単にご紹介を!

 ブレヒトの後継者として東ドイツ演劇界に登場したのがハイナー・ミュラーです。彼は、ブレヒトが十数年の亡命生活に入る前の、〈教育劇〉と総称される一連の演劇実験の終点であった1933年のゼロ地点に戻ることをモットーに、東ドイツの現実に向き合う現代劇でデビューしたのですが、次第に自作の上演・出版禁止が続きます。そういう中で、1977年に「ブレヒト教育劇への決別宣言」とともに書かれたのが、もっと大きなタイムスパンでの小さな『ハムレットマシーン』でした。東ドイツでは刊行も上演もされずに、西ドイツの代表的演劇雑誌「テアーター・ホイテ」にひっそりさしはさまれたわずか3ページの極小のこのテクストが、西側で謎の塊か台風の目のような役割を担うことになります。およそ上演不可能と言われながら、挑戦意欲をかきたてられるものがあり、1979年のジュルドゥイユによるパリでの初演以来、上演史自体が話題になるという代物。

 なかでも話題になったのが、アメリカのポストモダン演劇の旗手とされたロバート・ウイルソン演出の1986年の『ハムレットマシーン』でした。ニューヨーク大学の学生を使って、いかにもアメリカ的な風景に置き換えられたような意外感をもったその初演は評判を呼んで、ヨーロッパ中を巡演して席捲していく。90年代は、日本でも「ハイナー・ミュラー・プロジェクト(HMP)」が結成されたほど、「ハイナー・ミュラーハムレットマシーンの時代」でした。1990年にはフランクフルトでミュラー一人を17日間にわたって特集する実験演劇祭「エクスペリメンタ7」が開催される。かつ、ハイナー・ミュラー自身が東ベルリン・ドイツ座で、『ハムレット』と『ハムレットマシーン』を合体させた8時間の『ハムレット/マシーン』を演出して大評判となり、一躍「世界のミュラー」になりつつ、奇しくもその初日の3月18日が東西ドイツの総選挙の日で、ドイツ再統一=東ドイツの消滅の日とも重なりました。そしてベルリーナー・アンサンブルの監督などを務めた後で、1995年12月30日に永眠。享年66歳。

 それからも20年余…東西冷戦は終わりましたが、アメリカ大統領もクリントン、ブッシュから、オバマ、そしてトランプへ、イラン危機から北朝鮮問題へ、新たな覇権争いに世界の難民化、ファクトからフェイクへ?… 等々、時代変容が大きく一巡りしたかの今このときに、ハムレットマシーンの亡霊が、過去/未来から再来したようなのです。

            f:id:tanigawamichiko:20180616230712j:plain

                                          (ROBERT WILSON | HEINER MÜLLER, HAMLETMACHINE photo by Lucie Jansch)

 しかも皮切りは、件のロバート・ウイルソンがあの『ハムレットマシーン』を2017年にイタリア・フィレンツエで新作上演したという噂。その年の12月半ばに第16回ヨーロッパ演劇賞の授賞式イベントがローマで開催され、ウイルソンの『ハムレットマシーン』も上演されるらしいから、谷川さんも絶対に観に行かなきゃと舞踊評論家の立木燁子氏に急に誘われましたが、招待も宿も定かでない身で飛行機に飛び乗るわけにもいかない。代わりにしっかり観てきてね、と念押しして、その報告を首長くして待つことに――。立木さんの報告は、「シアターアーツ」誌最新62号に掲載されましたので参照いただきたいですが、過去の受賞者の代表作を招聘する賞だったとはいえ、「リメイク/新作上演」と謳われていながら、1986年のニューヨーク大学でのあの初演版に基づいてシルヴィオ・ダミコ国立演劇アカデミーの学生たちによって演じられた、ほぼ1986年版と同じものだったらしい。1986年初演版とて、我々もハイナー・ミュラーさんから送って貰ったヴィデオをダビングして皆で回し観て共有化したものですが(どういう作品だったかは日本でも西堂行人氏や新野守弘氏や私などの文章もあるので参照ください)、それと殆ど変わらなかったとは、ローマで観た批評家・観客も同じ感想だったと。

 

 思えば、ダンスの振付も同じコレオグラファーの版権に則とればそういうものなのかとも思いますが、再演の受賞というのは、演出の版権化、パック化、商品化ではないのでしょうか。俳優やダンサーは変わっていても、写真や映像で見る限りは、デジャ・ビュの既視感。ウイルソン演出自体が映像も使った絵画的で「透徹した美意識で磨き上げられた美の宇宙」(立木燁子報告)だということもあるので、映画と同じと思えばいいのか。映画ならむしろ、たとえば同じヘップバーン主演の『ローマの休日』を期待して観に行き、俳優や監督が変わればどういう新作になっているかと期待するので、ことは分かりやすい。演劇はライブのTP0のコンテクストでの感応や実存、コミュニケーションを前提としているところもあり、30年ぶりのウイルソン新演出なら何がどう変わっているのだろうかと、だから「絶対に観に行かなきゃ」とたしかに思いましたが、「過去からの亡霊/オレオレ詐欺」に引っかからないでよかったかなとも。

 おそらくそこでこそ、演劇とは何かが問われるのでしょう。そう、いわば『ハムレットマシーン』は、そのためのリトマス試験紙だった。 

 

f:id:tanigawamichiko:20180616222801j:plain

 興味深かったのは、明けて2018年3月半ばに、同じニューヨークからダンス・タクティクス・パフォーマンス・グループがシアターXの招聘で上演した『ハムレットマシーンのかけら』が、まさに対照的だったとでしょうか。芸術監督キース・トンプソンにより、「一切の衣装を脱ぎ捨てた自分自身とコミュニケーションできるダンスの可能性を探ること」を志向して、2006年に設立されたコンテンポラリーダンスのカンパニーで、肉体的な演劇との融合に加えて、抽象概念と語りの結合へと挑戦した試みが、この『ハムレットマシーンのかけら』だったといいます。

 舞台は、衣装も装置も殆どない素の6人の男女のダンサーで、女性の一人が作曲即興のヴァイオリンを弾き、男性の一人がナレーターを兼ねる。根底にシェイクスピアの『ハムレット』、それにミュラーの「改訂版ハムレットマシーン」が上書きされ、その舞台化への経緯を語るトンプソン・グループのテクストの語りと動き、という3層構造の英語の語りの日本語字幕が、舞台上部に映る。

 英語でのアフタートークで、その印象を私は「シンプルでナイーブでストロング」と表現しましたが、「私はハムレットではない、もう役は演じない」と言い続けながらそれぞれがどんどんハムレットになっていくようだった、と語った男性観客もいて、演出のトンプソンは、今回の新改作は「いま周囲に見られる恐怖や虚偽、崩壊への私たちの反応だ」と言明しました。ウイルソン演出と対照的だと感じたのは、そういうことだったのでしょう。どちらがいいとか、正しいということではなく、舞台表象の立ち位置が問われている。

     f:id:tanigawamichiko:20180620022302j:plain  f:id:tanigawamichiko:20180620022224j:plain
                                                                      (ダンス・タクティクス・パフォーマンス・グループ 『ハムレットマシーンのかけら』)

 

f:id:tanigawamichiko:20180616224353j:plain

 そして、そういうなかで、東京は日暮里のd-倉庫で4月4~22日に開催されたのが、参加10団体による『ハムレットマシーン』フェスティバルでした。私も知らずに、突然にその企画編集室発行の「アートイシュー」誌から邦訳者として原稿を依頼され、ハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』について、その過去と未来に思いをはせる好機となりました。思い返せば、小劇場d-倉庫というと、1990年に仲間と始めたハムレットマシーン・プロジェクト(HMP)の活動のいわば終着点であったのが、2003年の「ハイナー・ミュラー/ザ・ワールド(HM/W)」と銘打った、18劇団がそれぞれのハイナー・ミュラー作品を競演するという韓国や中国からも参加の国際演劇祭。そのときに会場や企画運営の中心になって活躍してくださったのが、d-倉庫やdie pratzeと、主宰のOⅯ-2の真壁茂夫さんでしたか。半月で18劇団がさまざまなハイナー・ミュラー作品を競演するという無謀で刺激的な大企画で、総括論集も出せないまま討ち死にした感もありましたが、d-倉庫は前衛(的)舞台芸術の拠点であり続けようと、この『ハムレットマシーン』フェスもその活動の一環としての「現代劇作家シリーズ」の第8弾で、かつ集大成だといいます。

 今回は『ハムレットマシーン』作品だけに絞って、「従来のドラマ形式を解体した金字塔ともいえるこのテクストに、演劇、ダンス、パフォーマンスなどのジャンルを超えた全10団体がどう挑むのか」と謳いつつ、「アートイシュー」誌は2018年1月に、『ハムレットマシーン』に縁の深い西堂行人氏に市川明氏、私とこの企画者・金原知輝氏の論考を収めた特別企画号を刊行。次いでフェスティバルの日程と参加10団体を紹介するチラシ(各団体は1時間の2公演とアフタートーク)と、各出演団体がどう挑むのかを表明する「演出ノート」も作成。連携企画には、3月にプレ朗読と村瀬民子氏のレクチャー、0M-2の『ハムレットマシーン』公演を、ラストの締めには劇評家の藤原央登氏の司会で、「実演家vs実演家~上演作品の相互批評」というシンポジウムまで企画されていました。

 残念ながらすべてを観られたわけではなかったので、全作品の詳述はできないのですが、事前の紹介や演出ノートやシンポ、送って頂いたDVDや映像にも助けられて、見えてきた範囲内での感想を少しだけ。

 パフォーマンス集団のOM-2は2003年に上演した『ハムレットマシーン』を世界各地で巡演し、今回がラストの公演とか。同様にHM/Wに参加した劇団チャンパの『ハムレットマシーン』で、主演俳優として世界的に活躍してきたシム・チョルジョンによるシアターゼロの『ハムレットマシーン』がフェスの打ち止め公演。いずれも「過去からの亡霊の帰還」かと思いましたが、両者ともにこの15年間、『ハムレットマシーン』を演劇の核として手放さずに展開上演させ続けてきて、自己コピーやリコピーではない。主演の日韓の「怪優」佐々木敦とシム・チョルジュンの中にはハムレットハムレットマシーンが乗り移ったというか移り住んでいる感があって、ことにシム・チョルジョンは私宅を活用した極小公演や一坪劇場から大型野外劇まで、多彩にハムレットマシーンを展開してきたとか、舞踏かマダン(広場)劇のシャーマンとでも形容すべき存在感と迫力がありました。2003年からの15年を架橋しようという思いが、両者で『ハムレットマシーン』フェスを挟んだ所以かと、納得しました。

 他の9劇団は殆ど初めて知る劇団やグループでしたが、様々な資料にも依拠しながら、世代も劇団史も専門も異なる、それぞれの立ち位置からの多様なアプローチを楽しませて貰いました。こちらの勝手な言及で恐縮ですが…。各カンパニー名のユニークさにも驚き!

 『ハムレットマシーン』のテクストとの関係で言うなら、もろに正面から「ダンス」と銘打ったのが「ダンスの犬All IS FULL」 という、深谷和子氏が2001年に創始したダンスグループ。女性だけのダンサー8人で、「歴史における男性原理の象徴=ハムレットを背中に携え、女性原理としてのオフィーリアの台詞〈私の心臓であった胸の時計を埋葬しましょう〉を如何に身体表現だけで完走できるか」に挑む。身体の部位のデフォルメや女の笑いで、「母なるユートピア願望」もそんなに簡単にはいかないのよと、舞台から突き返してくるよう。最終景の「こちらはエレクトラ」の発信を思わせる…。

ハムレットマシーン』のテクストから自分たちの表現を紡ぎだそうとしたひとつが、「サイマル演劇団」。それこそ男性原理をハムレット役者に代表させ、女性原理のオフィーリア役者と格闘演技する背後で、劇作家役者が椅子に座って、『ハムレットマシーン』に触発された自分の言葉を語って、語ろうとしていく。物語は成立しない。

対して、14年に旗揚げしたばかりという若い演劇する団体の「隣屋」は、『ハムレットマシーン』からの言葉を引き出しながら、3人の男女が真ん中の四角の空間(4畳半?)で〈ハムレットマシーンごっこ〉を様々に遊んでいく。それを取り囲み介入するのが、これまた様々な音や遊具、映像、音響の遊び。素直に楽しい。面白かったのが「演出ノート」の言葉――冒頭が「私はpepperだった」。ご存知、感情認識ヒューマノイドロボットのソフトバンク市販版のネーミングだ。なるほど、ハムレットはpepperか。「いまpepperになってしまっている人と、誰かをpepperにしてしまっている人へ、どろどろした“生者”の感触が残ることを目指して」―また、なるほどと。

 『ハムレットマシーン』のテクストをすべて語ってくれたのが、第三エロチカから02年に結成されたという「IDIOT SAVANT シアターカンパニー」。硬派の独特な装置や音響、映像と身体表現で、いかにもアナーキー学生運動世代の空気を醸し出す。そういう中であの『ハムレットマシーン』のテクストがすべて引用のごとく語られると、不思議な距離感と説得力が生まれるのだ。世代感覚かな。

 シムの「劇団シアターゼロ」は前述の通り。演出ノートにはこうあった、「〈機械〉を超えて完璧な「無」を夢見るハムレットは、長く伸びた先のとある破壊の地点におり、私たちはそれを観客と共に眺め、彼が不存在に向かっていく様を嘲笑し証明しなければならない」と。

 同じ『ハムレットマシーン』へのアプローチのこの多様さがいい。競演の醍醐味でしょうね。頑張った企画だったので、すべてを観られなくて申し訳なかったですが、ここから何が産まれていくでしょうか。

 

 最後にやはり原点のハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』にもう一度戻るなら、そもそもは、東ドイツ・フォルクスビューネでのベンノ・ベッソン演出のためにハイナー・ミュラーは『ハムレット』の翻訳上演台本を依頼され、それは1977年に初演され刊行もされたのですが、その際に「鬼っ子」のように生まれたのが、『ハムレットマシーン』でした。ハイナー・ミュラーいわく、「30年間、『ハムレット』は私にとってオブセッションだった。だから『ハムレット』を破壊しようとして短いテクスト『ハムレットマシーン』を書いたのだ」とも。「ハムレット」は、いわば「近代演劇と近代的個人」のシンボルで代名詞とも言えるのでしょうか。「私はハムレットだった」…いかにこのハムレットを過去形にできるかが問われていて、『ハムレットマシーン』そのものが再現のための上演台本ではないのです。ハイナー・ミュラーの「上演不可能」の言葉は、「さあ、あなたなら「ハムレット」をどう過去形にしますか?」の問いかけだったと思う。考えるための切掛けはいろいろに与えられている。たとえば、私ハイナー・ミュラーならこう読みますよ、『ハムレット/マシーン』も演出しましたよ、生きていたら南仏で『ハムレットマシーン』単独で野外上演するはずの計画が叶いませんでしたが…。さて、あなたなら『ハムレット』と『ハムレットマシーン』をどう読んで、どう舞台化しますか?と。

 そう、過去からの亡霊を「未来からやってくる亡霊」にしなくてはならないのでしょう。「近代演劇と近代個人の彼方」を、「その未来形」を、あなたならどう創りますか? とすれば、問いかけは続くしかない。演劇とはとりあえずは、「今ここ我々」のためのライブ・パフォーマンスなのでしょうから。

 

 もうひとつだけ、勇み足の未来形の秘密を少しだけ洩らせば、日独両国語で活躍するあの作家の多和田葉子さんが1992年にハンブルク大学に提出した修士論文が『ハムレットマシーン』論、邦題にすれば、「『ハムレットマシーン』(と)の<読みの旅>――ハイナー・ミュラーにおける間テクスト性と読み直し(仮訳)」。これが途方もなく面白いので、もっか仲間と鋭意、共訳作業中なのです。言うなれば「多和田葉子ハイナー・ミュラーの怪しい関係」――長年温めてきた最期の企画として、これが刊行の暁には、2020年の春頃でしょうか、実はまた懲りずに、何かの形で、「ハムレットマシーン・フェス」ができないかなと思案中なのですが・・・。めげずに問いかけは続くのです、「こちらはハムレットマシーン、応答せよ、応答せよ」…。