谷川道子ブログ

東大大学院修了(ドイツ演劇)。東京外国語大学教授。現在、東京外国語大学名誉教授。

〈あとがきのあとがき〉『三文オペラ』の訳者・谷川道子さんに聞く(光文社ブログ)

台風騒ぎの中、急に秋深し、の気候になりましたが、ご無事でお元気でしょうか。先月の9月28日に、無事におかげさまで好評裡に、『三文オペラ』も千秋楽をむかえることができました。たくさんご観劇いただき、またいろいろなサポートも含めて、感謝しております。ありがとうございました。

 

三文オペラ (光文社古典新訳文庫)

 

光文社古典新訳文庫版の『三文オペラは初日に合わせて刊行されたこともあって、「訳者あとがき」に、舞台のことが全然触れられていませんでした。その分、光文社のブログに、稽古レポートや初日報告も載せてくださったのですが、最後に、「『三文オペラ』あとがきのあとがき、谷川道子さんに聞く」が編集者の大橋由香子さんによるインタビューの形でまとめられ、以下のようにアップされました。

大橋さんによる以下のような推薦文もありますので、ご参照いただければ、嬉しく思います。

これをもって、我がブログでも、新国立劇場での『三文オペラ上演をめぐる考察はとりあえず、締めさせていただきます。

 

 

また、『演劇の未来形』も、東京外国語出版会から刊行されました。

演劇の未来形 (Pieria Books)

ともにご報告させていただき、よろずのもろもろのご支援に感謝しつつ・・・

 

「『聖母と娼婦を超えて』から始まるジェンダーの視点をからめたブレヒト論にもなっていると思いますのでぜひ、ご一読ください。どうぞよろしくお願いします。

大橋由香子」

 

 

 

 


〈あとがきのあとがき〉『三文オペラ』の訳者・谷川道子さんに聞く - 光文社古典新訳文庫

 

三文オペラ』補遺!

 

前回の「マンスリー演劇講座」のブログについて

ハンブルグ在住の原サチコさんから、訂正メールが届いた。ニコラス・シュテーマン演出の『三文オペラ』と日本人女優原サチコのポリー役でのデビューは2002年ハノーファー演劇場が初演で、2011年からケルンで再演されたと。わがケアレスミス!ちゃんとフォローして下さっている、さっそく訂正をと思い、全体も改行や小見出しを入れたりと多少読みやすくして全体を差し替えた。が、何故か同じものがいくつも・・・ヘルプ!

 

昨25日、博多から旧友が観劇に上京してくれたので、3度目の本番観劇。観るたびに細部も全体も進化・成長してあきない。なるほど、そうきたかと…にやりとしたり!

もうあと3日、3ステージかと思えば、名残おしさは募るが、意味の確認は必要だろうか。

 

その日の夕刊に、山本健一さんが劇評を書いて下さった。新訳;新演出ながら「原典に忠実と言うか、ブレヒト劇の上演にふさわしい大胆な読み替えはない」・・・そのことについて、少しだけ補足させてほしい。前ブログでも触れたように、たしかに世界中で、日本でも、さまざまな『三文オペラ』がカバー、映画化、上演されていて、それは個人的には歓迎すべきことと思っているのだが、多少の表や裏の事情がある。

 

 『三文オペラ』受容史

初演前後(ロングランで俳優が代わったり)のてんやわんやの成立事情もあって、この作品自体が「ワーク・イン・プログレス」の様相をなし、たくさんのヴァ-ジョンがある。しかもブレヒトは、パープストの映画化にあたって、ネロ映画会社からは拒否されたが映画シナリオ『瘤』や、発展形の浩瀚な小説『三文小説』も書いている。『屠畜場の聖ヨハンナ』も、ブレヒトの問題意識では、同じ延長線上にある。生前のブレヒト自身の『三文オペラ』再演がなかったこともあって、いわゆるお墨付きの「定番」や「定本」がないのだ。

 

最初に本になったのはキーペンホイエル社から出た「試み」第3分冊。ブレヒトの版権を一括管理するズーアカンプ社は、一九九八年に生誕百年記念の30余巻のベルリン版ブレヒト大全集を出したが、これにはそのキーペンホイエル社版が採用されている。今回の光文社文庫でもそれを使って邦訳した。だが、東西ドイツに分かれていた時代はなおさらに、いろいろな全集や選集が出てもいる。しかも、東ドイツ時代はブレヒト未亡人ヴァイゲル率いる劇団ベルリーナー・アンサンブルとブレヒトの遺産継承委員会が権威を持っていて、旧西ドイツや西側での「勝手な」上演にクレームをつけて上演中止にしたり・・・・

のみならず、『三文オペラ』のヴァイルの作曲の版権は、ウイーンのユニヴァール出版がもっていて、レコードのカバーやコンサート、楽譜なども自立して売れに売れた。また、アメリカで1952年にマーク・ブリッツスタインの名訳とレーニャのジェニー役で、何とレナード・バーンスタイン指揮で、まずはブランデイス大学でのコンサート版として上演され、それを契機に1954年にニューヨークはリス劇場で『三文オペラ』として上演され大ヒット、それがオフ・ブロードウエイ誕生の契機ともなって、「マック・ザ・ナイフ」や「海賊ジェニーの歌」をはじめ、アメリカで人口に膾炙する大ヒットナンバーにもなっていく。未亡人としてヴァイルの名声の復活に力を注いでいたロッテ・レーニャの尽力がみのって、世界の『三文オペラ』の時代が到来。クルト・ヴァイル遺産継承委員会もできて、人気とともに『三文オペラ』の上演料は高くなり、台詞や音程の変更を認めない上演権取得はますます厳しくなった。それが逆にさまざまな「海賊版」というか、自由な翻案上演に拍車もかけた。未亡人戦争と言われたり、東ドイツvsアメリカ・ニューヨークの文化代理戦争の様相も呈して・・・そもそも『三文オペラ』とはどういう作品で、どんな位置と可能性を持っていたのかさえ、見えなくなっていった。ブレヒトもヴァイルも没後50年経っているから、版権も切れたかとも思っていたが、いまなおクルト・ヴァイル・ファンデーションは健在で、『三文オペラ』の上演権料は高いと聞く。

 

原典・原点への回帰の意味

「ポストドラマ演劇」の時代に、何をいまさら「原作に忠実な上演」か、と言われていそうだが、逆なのだ。今だからこそ再度、『三文オペラ』の原典と原点に立ち返って、ブレヒトとヴァイルが何を試みようとしたのかを探る意味はあるのだ、あったと思う。

ツイッターなどを覗くと、『三文オペラ』という作品の意味が初めて分かったとか、お名前を書いていいのか…ブレヒト/ヴァイルの曲をいろいろにカバーもしておられるT.Kさんが、「第3幕のフィナーレ」の意味が初めて分かったとつぶやいて下さっていた。

私は自分のブログで、「三文ドラゴン」といういい方をわざとキ―ワードのように使ってきたが、ピーチャム夫妻を中心とする乞食ワールド、メッキースの泥棒団、ジェニーを中心とする娼婦ワールド。背後に警視総監ブラウンが率いる警官たち――そのすべてのお話が女王の戴冠式をめぐって、大きな鉄骨鉄橋のようなシンプルでダイナミックな舞台装置のなかで展開するために、それが龍のように見えて、それぞれの世界がくんずほぐれつするこの世の集団力学、いわば民衆のエネルギーの化身のような『三文オペラ』という龍=ドラゴンが本当に生命を得てうごめき始めるように見えてくる。

第3幕のフィナーレでまた登場人物の全員によって、「これですべてがハッピーエンド」、「現実の世界ではこうはいかない」、「不正はあまり追及すると、この世の冷たさに、凍りついてしまう」と輪唱・合唱される。二重三重にこの世の嘘と真のからくりが引っくり返って問われ、笑い飛ばされる。ブレヒトの歌詞にヴァイルが作曲した23の歌=ソング=曲が、実は全体をコメントしつつ、引っ張って行くドラゴンだった。

ブレヒトとヴァイルの共同作業が目指していたものが、90年後にまた浮かび上がって来る。ヴァイルの側からまた『三文オペラ』を読み直す契機となる。大田美佐子さんの『ヴァイル評伝』が完成したら、また、その意味が語り直される機会がくることも楽しみだ。バレエ『小市民の七つの大罪』もソングプレイ『小マハゴニー』も日本で観たい!

 

ここから再度、1920年代の『三文オペラ』の意義が、21世紀に復活していくのだと思う。脱構築は、しっかりした構築なしにはあり得ない。

 

  9月13日に『三文オペラ』トーク、女性三世代トリオで開催!

 

     「マンスリー演劇講座」――「『三文オペラ』の魅力を探る」

 新国立劇場では毎月無料で、上演中の舞台と関連させつつ、観客に演劇への関心を深めて貰おうと「マンスリー演劇講座」というのを企画していて、今回はもちろん「『三文オペラ』の魅力を探る」・・・・マチネ―公演後の大きな中劇場の舞台に立つのは、まずは今回の『三文オペラ』公演をブレヒトとヴァイルの原典・原点に戻って演出したいという芸術監督宮田慶子さんの熱い思い。

 宮田さんは、今が旬の売れっ子演出家、新国立劇場を背負って立つ、頼りになるめげないタフな女性だ。何せ、劇団青年座入団2年目の『ミュージカル 三文オペラ』で楽団員としてピアノを弾いて全国巡演までなさったという、演出も今回で3度目だ。

 1世代若いのが、大田美佐子さん。「クルト・ヴァイルと音楽劇」のテーマでウィーン大学で学位(博士号)を取得し、もっかそれをもとに「ヴァイルの評伝」を執筆中というこれからのホープ。大田さんは1993年のケルン演劇場の『三文オペラ』日本客演ではオーケストラピットでシンセサイザーを弾かれたとか、ヴァイルへの関心も四半世紀。ともに関わりは半端ではない。

 対して古希近い最年長の私は、ブレヒトやドイツ演劇との付き合いは半世紀近いけれど、3年前にくも膜下出血から奇跡の生還をした身、やりきれるかなあと危惧しつつ『三文オペラ』の新訳をお引き受けし、何とか初日とこの三世代トークの日を迎えられて、感無量。

 おそらく3人ともに語りたいことは山ほどあるなか、公演プログラム担当の佐藤優さんの名司会で、トークは『三文オペラ』を中心に順調に進む。

 

      ブレヒト x ヴァイル

 ブレヒトとヴァイルの共同作業は、1927年のブレヒトの詩集『家庭用説教集』のテクストに興味を持ったヴァイルが作曲したソング劇『小マハゴニー』から、ともに亡命中のパリでのバレエ『七つの大罪』まで、わずか6年間の7作品。時代のよろずの転換期の気候(クリマ)の中で、お互いにもっとも、音楽や演劇の改革に燃えて、実験精神で作品をつくっていたときだった。ヒンデミットたちの新音楽運動や、バーデン・バーデン音楽祭へのいわゆるブレヒトの「教育劇」の作品『リンドバーグの飛行』や『イエスマン』も作曲、1930年にはオペラ『マハゴニー市の興亡』も初演された。

 しかも1933年にパリで「バレエ1933」という催しがあることを知ったヴァイルは、ブレヒトに台本を執筆しないかともちかけて、わずか数日でできたのがバレエ『小市民の七つの大罪』だった。ルイジアナの片田舎から成功を夢見て大都会に出てきた娘アンナ、実は彼女は二つに分裂していて、バレリーナのアンナⅠが自由に生きようとすると、歌手のアンナⅡが正しい非人間的で打算的な道に引き戻す。

 この作品はパリのシャンゼリゼ劇場で、ジョ-ジ・バランシンの振り付けでアンナⅠを女優ティリー・ロッシュ、アンナⅡ役をロッテ・レーニャで上演された。ピカソやストラヴィンスキイらには絶賛されたが、新しすぎて、観客の反響は悪かった。だが、約半世紀後に、たとえばピナ・バウシュに大きな影響を与え、彼女の「タンツテアタ-」への大きな契機になったという。

  ただしそんなこんなまではトークではとても語れなかったが、トーク前後に、大田さんの「ヴァイル評伝」が出たら、この3人でまたブレヒト=ヴァイルのイベントでもやりたいね、という話になった。

 

    ブレヒト+ヴァイル+アウフリヒトの野心と挑戦

 ともあれ、基本的にはブレヒトとヴァイルの間には、そういう互いの才能や関心のあり方のへ深い信頼関係があって、『三文オペラ』はたしかに、プロデューサ-のアウフリヒトのシフバウアーダム劇場のリニューアル・オープンでひとやま当てたいという野心と打算にブレヒトが乗って、ヴァイルに声をかけて大車輪で仕上げたてんやわんやのなかでの「頼まれやっつけ仕事」だった、ように見えるが、失敗するのも覚悟の上で、30歳前後の若いパワ-で強引果敢に初演の大成功までもっていった二人の、1928年8月31日初日という時限付きのこの仕事にかける思いや努力、集中力、志においては、一期一会の真剣勝負ではあっただろう。単なる偶然ではない、時代精神とシンクロして必然となったミラクルだ。

 

      ヴァイル音楽の魅力

 『三文オペラ』には、音楽的にも過渡期の時代で、当時のクラシックやオペラ、ジャズ、俗謡、タンゴ、ポピュラー音楽等々、さまざまな要素が実にうまくミックスされている。ソングそれぞれに異なる機能を持たせつつ、基本的には、序曲、第1幕のフィナーレ、第2幕のフィナーレ、第3幕のフィナーレ、とオペラの形式は踏襲しながら、ブレヒトの人を食ったような歌詞まで、ヴァイルは付かず離れずに乖離と寄り添いのバランスで実にうまく曲に乗せている。オペラのパロディではなく、ブレヒトの言葉を借りれば、「オペラの機能転換」か。

 聞き手はその陶酔的な毒性に気付かぬうちに嵌ってしまい、大田さんの言葉を借りれば、「アドレナリンを分泌させる美しいメロディを心地よく口ずさみながら、後で気付いてぞっとするような」計算された音楽世界とテクスト世界の仕掛けが『三文オペラ』の魅力、魔力なのだろう、とは3人の結論。他にもいろいろトーク・テーマはあったのだが、女性視線だとか、民衆劇の構造とか、それらは以下中略。

 

      『三文オペラ』さまざま

 ただもうひとつだけ。『三文オペラ』は世界中でさまざまにカバーされ、映画化され、舞台化されている。そもそも千田是也さんの1932年の東京演劇集団TESによる日本初演は、ブレヒトの台本が手に入らず、ジョン・ゲイの原作とヴァイルの楽譜、パプストの映画シナリオとご自身のベルリン観劇の記憶とで、舞台を明冶初年に置き変えた自由翻案の『乞食芝居』だった。

 半世紀余の後、劇団黒テント版の『三文オペラ』も舞台を明治初期の東京に移し、日本の近代化の意味を問いかけた。

 先日、SPACで客演した『ファウスト』で日本人観客の度肝を抜いたポストドラマ演劇の旗手の演出家ニコラス・シュテーマンが2002年にハノーファー演劇場で演出した『三文オペラ』もすごかった。タイのバンコクの安酒場に買春ツアーでやってきた男たちが、日本人女優原サチコ演じる酒場の女給ポリーと「三文オペラごっこ」を演じるのだ。これが、ドイツの公立劇場専属(今の所属はハンブルグ演劇場)で活躍するほぼ唯一の日本人女優原サチコの実質的なデビュー作となった。もちろんドイツ語での舞台で、背後にブレヒトの原作テクストがテロップで流れる。

 

     原点・原典への立ちかえり

いろんな『三文オペラ』があっていい、あった方がいいと、私は思う。それが作品と受け手の振れ幅だし、キャパシティだ。そういうなかで、そもそも『三文オペラ』というのはどういう作品で、どんな可能性があった・あるのだろうと、今回のように原典・原点に立ち帰る試みもやはり必要なのだと思う。たくさんの新しい発見があったし。初めて『三文オペラ』という作品がよくわかった、という声もたくさん聞こえてきた。それが日本演劇の舞台の古典を豊かに創っていく歴史の礎石になるのだ。そう実感できた体験だった。

 

 

 

 

 『三文オペラ』9月10日に開幕、”三文ドラゴン”始動!

 あくまで翻訳者としてだが7月半ばに顔合わせして以来の2カ月近い稽古に何回か波状的におつきあいさせて貰って迎える初日は、やはりわくわくドキドキします…。

 稽古場で現寸大の舞台を組んで稽古してきたものが本番の千席近い大きな中劇場の舞台に置かれると、承知はしていたものの、なるほどこういうスケールかと、『三文オペラ』の世界と現在の世界が合わせ鏡で浮かびあがってくるよう。舞台に乗る役者だけで40名近い、楽団を入れるとほぼ50名。スタッフ総勢で80名のパワーの結集。

 

 稽古場報告のときも書いたように、ピーチャム夫妻を中心とする乞食ワールドが10数名、メッキースの泥棒団が6名ほど、ジェニーを中心とする娼婦ワールドも10名近い。背後に警視総監ブラウンが率いる警官たち――そのすべてのお話が大きな鉄骨鉄橋のようなシンプルでダイナミックな舞台装置のなかで展開するために、それが龍のように見えて、それぞれの世界がくんずほぐれつするこの世の集団力学、いわば民衆のエネルギーの化身のような『三文オペラ』という龍=ドラゴンが実際に生命を得てうごめき始めるように見えてくるのです。

 そもそもは、盗賊団キャプテンのメッキースが乞食の友商会の社長ピーチャムの娘ポリーと結婚したことから、娘を取り戻そうとピーチャム夫妻が、警視総監ブラウンにメッキースの悪行を密告して逮捕させようと画策。だがブラウンはメッキースとは戦友で親友の仲。そこで女王の戴冠式に乞食のデモをすると圧力をかけ、あわやメッキースが絞首刑になるかというときに女王の使者でブラウンが登場し・・・そういった荒唐無稽の喜劇。

 

 初日の感想で舞台のネタばれになってはいけないのかもしれませんが、18世紀初頭のジョン・ゲイの原作『乞食オペラ』を借りてブレヒトが20世紀初頭に自由に翻案改作したありそうであり得ないお話は、「それがこの世の仕組み」という「三文ドラゴン」の仕掛けに取り込まれても行く。ふつうは大道歌手によって唄われる冒頭のメッキースの悪行を並べたてた「モリタ―ト=大道殺人歌」が、序曲の後、全員(乞食に泥棒に娼婦たち…)がどこからともなく、マンホールからも現れてきて、皆で代わり番こに、輪唱・合唱される。そしてあの有名なメッキースの辞世の言葉、「銀行強盗に使う合鍵など、銀行の株券に比べれば何ほどのものでありましょう。銀校設立に比べれば、銀行強盗など何ほどの罪か。男一匹飼い殺すのと、男一匹殺すのと、どちらがたちが悪いでしょう」という今でも十分リアルそうな半沢直樹張りの演説をはさんで、第3幕のフィナーレでまた登場人物の全員によって、「これですべてがハッピーエンド」、「現実の世界ではこうはいかない」、「不正はあまり追及すると、この世の冷たさに、凍りついてしまう」と輪唱・合唱される。二重三重にこの世の嘘と真のからくりが引っくり返って問われ、笑い飛ばされるのです。ブレヒトの歌詞にヴァイルが作曲した23の歌=ソング=曲が、実は全体をコメントしつつ、引っ張って行くドラゴンだった。

 

 気障な女たらしで稀代の大泥棒という池内メッキースは実は憎めない可愛いいい男で、石井タイガ―・ブラウンとのあそこまでの友情もありかと思わせもする。観客に語りかける山路ピーチャムが、実に絶妙な形で全体の狂言回し役となって舞台と客席をつなぐ。

 そしてパワフルな女たち。あめくみちこ演じるピーチャム夫人は山路ピーチャムのいい相棒だし、ポリー役のソニンはいまどきの可愛いぶりっ子風のしたたかさで大健闘、大塚演じるブラウンの娘ルーシーとの妻の座をめぐる闘いと嫉妬のデュエットも楽しい。対して、愛するメッキースを二度も裏切る娼婦ジェニー役の島田は、人生の酸いも甘いも体得した大人の女の切なさと哀しさとしたたかさを、唄のうまさだけでなく風情と佇まいと立ち位置で魅力を際立たせる。

 その7名だけでなく、乞食たちや泥棒たちや娼婦たちや警官たちも、「たち」としてだけでなく、それぞれの顔と表情と存在がしっかり見える、稀有な民衆劇になっている。”ドラゴン”は、この世界という劇場を動かしている仕組みや潜在力・エネルギーの隠喩でもあり、最後のフィナーレの讃美歌は、「マルティチュード」の負けてたまるかの人間讃歌ともとれるかもしれない。

 

 そんなこんなが相まって、実に重層的な『三文オペラ』ワールド、”三文ドラゴン”が出来あがっています。それらすべてを仕切る現場監督のような粘り強くタフな演出家宮田慶子の腕力こそ”ドラゴン”だったか。初日の硬さはあったものの、それがほぐれてパワー全開すれば、もっと楽しく大きな”三文ドラゴン”が蠢く舞台になっていくことでしょう。舞台は生き物、毎日成長変化していく龍です。観てお損はありません、お勧めです。まだ空席はあるようですし、この秋は是非、新国立劇場へ!

演劇の秋へのお誘い

芸術の秋、演劇の秋へのお誘い

 

9月になった途端に夏が秋に取って代わられたみたいな、夏好きとしてはちょっと待ってえ、の心境ですが、心地よい季節はご同慶の至り。そして芸術の秋、演劇の秋でもありますので、ちょっと劇場へのお誘いを! 

 もちろん9月10日初日の『三文オペラ』も、稽古や上演パンフその他の本番への準備たけなわなのですが、他にもたくさんのお勧めの舞台が目白押し。そういうなかで、ドイツ演劇絡みの作品を二つだけ…。

 

 ひとつは、東京演劇アンサンブルは60周年記念公演の第二弾として、9月11-21日に武蔵関のブレヒトの芝居小屋(元映画スタジオの面白い空間です)で上演される、三輪玲子訳、公家義徳演出のデーア・ローアー作『無実』。デーア・ローアーは、ドイツ語圏でブレヒトミュラー系譜を継ぐ(と私が思う)二人の女性作家の一人で、もう一方が、エルフリーデ・イエリネクだろう。イエリネクはノーベル文学賞を受賞し、すでにF/T(フェスティヴァル・トーキョー)での『光のない』(林立騎訳)の演出の競演など、日本でもかなり紹介受容されている。ともにポストドラマ的ドラマなのだが、その拓き方が、それぞれに微妙に決定的に違っていて、比較考察すると興味深い。ローアーは、三輪玲子さんが印象的な分かりやすい邦訳を論創社からいくつか、出されている。ローアー作『無実』は2003年の作品なのだが、どこか「フクシマ」をめぐる「罪」を先取りしたような問いかけがある。公家演出がそこをどう舞台化するか、楽しみ。

 

 もうひとつのお勧めは、東の演劇祭F/Tに対応(?)すると言われる、西のキョウト・エクスペリメント=京都国際舞台芸術祭。今年で五回目の開催で、その枠内で昨年もドイツから来日公演したShe She Pop.の新作『春の祭典』。このグループは1998年にギーセン大学の8人の女子学生で設立され、今は6人の女性と一人の男性で構成されているというが、メンバー全員の手による集団作品だ。2010年に横浜KAATで招聘公演した、『リア王』を素材にした『テスタメント』で日本でも一躍注目された。この公演は近刊の拙著『演劇の未来形』でも紹介しているので参照いただければ嬉しい。自分たちの本当の父親を起用して、自伝的な要素も取り入れて、老いのテーマでシェイクスピア原作ともいわば共同創作。今年は、ストラヴィンスキイの『春の祭典』を使って、その父親と子の問題を、母親と子の関係に展開・転回させるのだという。しかも、京都エクスペリメントとの共同制作で、日本初演。10月4日と5日の2公演だけ。ちょっとしんどいが、行かざなるまい、いざ京都へ、というところだろうか! 地点の三浦基演出『光のない』も再演されるが、10月18,19日では、二週間の滞在が必要? 迷うなあ。

ともあれ、演劇は出かけて自分で観るしかないのだ…。

 

谷川道子著 『演劇の未来形』

 

 

谷川道子【著】演劇の未来形

閑話休題、話題を換えて、といっても、また我が身の宣伝で恐縮だが、実は、外語大出版会から、『演劇の未来形』というすごいタイトルの拙書が9月中に出ます。
外語大の最終講義から、3・11以降まで、ドイツ演劇と日本の間をつなぎたい思いの最近の論考を集めた本です。ま、我が遺言か、人生の卒業論文です。チラシができましたので、転載・宣伝させて頂きます。菊池信義さんの素敵なフランス装丁の外語大出版会ピエリア叢書で、368頁の大部ですが、若い方に買って貰いたいと2400円定価です。大学出版会として頑張っていますので、是非とも応援して頂ければ、幸せです。中味は、乞うご期待?

 

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Tokyo University of Foreign StudiesPress

東京外国語大学出版会 新刊のご案内
2014 年 9月19日発売
谷川道子【著】演劇の未来形
四六判・仮フランス装・368 頁・定価:本体2400 円+税

ISBN978-4-904575-36-9 C0074 ¥2400E

ブレヒトミュラー、イェリネク、ピナ・バウシュなどのドイツ現代演劇と、アングラ演劇、蜷川幸雄富良野塾、若手・シニア劇団など日本の演劇シーンを遍歴し、内外のさまざまな上演・劇場の現場をめぐりながら、1960 年代から〈3.11〉後の文化状況までを射程に、時代史と個人史の交点で演劇の可能性をさぐる、人間と文化の未来に向けた渾身のメッセージ!

【本書の目次より】
第1 章  個人史と時代史の交点としての演劇遍歴
第2 章  演劇と〈教育劇〉の可能性
第3 章  日本のブレヒト受容とアングラ演劇
第4 章  トランジット・ベルリン
第5 章  ベンヤミンブレヒトをめぐる亡命
     /越境のトランジット
第6 章  日本からのエクソフォニー
第7 章  ハイナー・ミュラー『指令』の時空
第8 章  演劇アヴァンギャルド・イエリネク
第9 章  ピナ・バウシュのまなざし
第10 章 福島オデュッセイ
第11 章 演劇の明日のために
第12 章 未来への挑戦
【著者紹介】
谷川道子(たにがわ・みちこ)
1946 年鹿児島県生まれ。東京外国語大学名誉教授。専門はドイツ現代演劇・表象文化研究。著書に『聖母と娼婦を超えて――ブレヒトと女たちの共生』(花
伝社)、『ハイナー・ミュラー・マシーン』(未來社)、『ドイツ現代演劇の構図』(論創社)など。訳書にブレヒト『母アンナの子連れ従軍記』(光文社古典新訳文庫)、『ガリレオの生涯』(同)、『三文オペラ』(同)、レーマン『ポストドラマ演劇』(共訳、同学社)などがある。
*Pieria Books(ピエリア・ブックス)とは、東京外国語大学出版会の叢書名です。
*ご注文・ご予約は、最寄りの書店、各ネット書店にてお申し込みください。全国の書店でお取り扱い可能です。

 

『三文オペラ』の稽古について

三文オペラ』の稽古について

 

 これだけの作品なので、どうやって全体を構築していくか、そのプロセスの全体を仕切る芸術監督で演出家の宮田慶子さんの、段取りの見事さと気合いの強さ、気風の良さにまずは真から感心。キャストは早めに決まっていたので、5月に台本作りの読み合わせと相談を制作の茂木さんを入れた3人で集中的に行い、6月には上演台本を作成して全員に配布、7月半ばに顔合わせ、そして最初の1週間は集中的な歌稽古。その後10日ほど歌と台本解釈も加えた全員の読み合わせ、そして8月に入ったらもう稽古場に装置が組まれて立ち稽古の開始、8月半ばには粗立ちで(?)、大体の流れが浮かび上がってきた。

 何せ、役者だけで40余名。ピーチャム夫妻を中心とする泥棒ワールドが10数名、メッキースの泥棒団が10名ほど、ジェニーを中心とする娼婦ワールドも10名近い。背後に警視総監ブラウン率いる警官たち――それぞれがくんずほぐれつする中で見えてくるこの世の集団力学、いわば民衆のエネルギーの化身のような『三文オペラ』という龍=ドラゴンが生命を得てうごめき始める。 

 いま、そこまで来ただけでワクワクなのだが、8月末からは生演奏の9名のバンドが入って、大きな稽古場も、現場監督のような宮田さんの名仕切りでも大変になるだろう。9月から仕込みに入って、舞台稽古開始だから、9月10日の初日には、魅力あふれた役者さんたちがそれぞれの顔と演技を競う『三文オペラ』ドラゴンが、大きな中劇場狭しと、どんな姿で果たして、立ち現われてくるだろう。どんなメッキースとポリーとジェニーが登場するか。幕切れは? ウーマンパワー炸裂となるか? あれもこれも、乞うご期待!!