谷川道子ブログ

東大大学院修了(ドイツ演劇)。東京外国語大学教授。現在、東京外国語大学名誉教授。

多和田葉子のカバレット『マヤコフスキー』とHM?                        

カバレット?

 芥川賞作家の多和田葉子さんが、「カバレット」なるものの名パフォーマーでもあることをご存知ですか。メジャーシーンでは殆ど演じられていないのであまり知られていないのですが、これが絶品でお勧めなのです。

 そも「カバレット」とは何なのか。英語風に言うとキャバレーですが、ご想像とはちょっと違う。日本風で言えば寄席? 江戸期からの落語、講談、漫才、音曲などの大衆芸能の演芸場。グロイル著の浩瀚な2巻本『キャバレーの文化史』(ありな書房, 1983・1988)によると、そもそもの源泉には遊びと風刺精神があって、古代ギリシアのサチュロス劇やアリストファネス喜劇の時事演劇に、古代ローマ以降の道化芸人などの存在を経て、近現代までさまざまな系譜があるという。いまや欧米では酒場の舞台などで社会風刺を含んだ歌や寸劇を見せる場所。ことにドイツ語圏では世紀末から20世紀に、大衆演芸場やレビュー、ヴァリエテ、文学寄席、超寄席、反戦・亡命者・学生カバレット――等々と時代精神を反映して多様化しつつしぶとく生き延びています。それぞれのトポス・都市で流行りすたりはあるものの、実は、私もケルンやウイーンに住んでいた頃は、方言や時事ネタの解説役には学生さんたちに付き合ってもらいながら、劇場だけでなく、人気のカバレットにもよく通ったものです。

 

シアターXでの「晩秋のカバレット」

 そう、東京は両国にある「シアターX」で2001年に始まったのが、多和田葉子+ピアニスト高瀬アキによる毎秋1ステージという「晩秋のカバレット」で、昨2017年で第16回目という、シアターXの貴重な誇るべきヒット企画です。

 2001年の最初はチェーホフ演劇祭での前夜祭的な番外編『ピアノのかもめ/声のかもめ』、次が2003年の「ブレヒトブレヒト演劇祭」参加の『ブレ. BRECHT』。あれから10数年も続いた! 毎年多和田さんも時宜に応じて工夫を凝らし、観る方の私も、都合のつく限り、なんせ1ステージなので、今年はどう来るかなと無理しても楽しみにはせ参じたものです(拙著『演劇の未来形』も乞う参照)。

 

多和田葉子カバレット「マヤコフスキー2017」

 そして昨2017年はロシア革命から百年なので、テーマは「マヤコフスキー」。そもそもロシア革命一周年記念に上演されるために書かれたのが、作マヤコフスキー、演出メイエルホリドの『ミステリヤ・ブッフ』。最近では地点が三浦基演出で、半世紀前には千田是也翁の頑張った演出でも観た覚えがある。「奇妙奇天烈聖史喜劇」などという副題をつけられるとなおさら気になるのですが、地球が大洪水に襲われて、押し寄せてきた人々が北極の穴から「ノアの方舟」に乗って約束・理想の地を求めて古今東西、地獄と天国を旅する話です。

 多和田さんはこの戯曲をいろいろ工夫(小道具の手袋帽子にお面、国旗、衣装等に、身振り)をこらして読みくだき演じながら、作家マヤコフスキーとともに、ときにピアニストの高瀬アキさんとも掛け合い漫才をしつつ、現代の地球を経めぐってみせるのです。ロシアと言えば、プーチンさんはいま何を考えているの? オーストラリア大陸は無事かしら? ヨーロッパ共同体はどうなっていくんだろうねえ? イギリスに、フランスに、ドイツのメルケル首相…? 移民・難民っていうけど、そもそも国籍って何よ? あちこちで戦争に洪水―世界各地から亡霊たちの声が聞こえてくる…グローバリゼーションの檻に閉じ込められている地球!! 百年をはさんだ多和田葉子マヤコフスキーの『ミステリヤ・ブッフ』、実に愉快で、実に面白かった。(舞台写真)

                 f:id:tanigawamichiko:20181029004514j:plain

 ああ、また多和田葉子さんは一捻りしたなと思ったもの。読むとはともに考え遊ぶこと、キーワードは〈読み〉の創造性。これはどこかで経験済みだ。そう、前回の我がブログでも取り上げた『ハムレットマシーンHM』。『ハムレットH』の世界に入り込んだハイナー・ミュラーH・Mが読む現在のHM。キーワードは自己言及性と間テクスト性。繰り返しになりますが、多和田さんの1991年にハンブルク大学提出の修士論文のタイトルは「ハムレットマシーン(と)の読みの旅――ハイナー・ミュラーにおける間テクスト性と再読行為」。そのパフォーマンス的な実践がこの『ミステリヤ・ブッフ』であり、シアターXの「晩秋のカバレット」シリーズなのではないでしょうか。

 

多和田葉子カバレット「ハイナー・ミュラー2019」とTMP2019~2020

f:id:tanigawamichiko:20181029004543j:plain

 多和田葉子における「間テクスト性と再読行為」―30年前に30歳そこそこでドイツ語で書かれたこのHM論は、HMこそバフチンの言う「ポリフォニー小説」を体現展開し、かつ、「死者の演劇」としての「夢幻能」であると断じる、切れ味するどいユニークなHM論なのです。30年前の修士論文だからと渋る多和田さんを説得して邦訳し、再度ハイナー・ミュラー多和田葉子の関係を考えようかと思っているところ。それだったら、来年の「晩秋のカバレット2019」では「ハイナー・ミュラー」をやってよ、「了解、そうしましょう」と。ですから、来年の多和田葉子カバレットは、30年ぶりの多和田葉子ハイナー・ミュラーとの対話です。今年は11月19日、テーマは「ジョン・ケージ」(チラシ参照)。このブログ原稿も一部は、シアターX批評通信に依頼されて書いた報告からの転載をもとにしています。ご寛恕、多謝!

 このところ国際的にも多和田葉子は各国の博士論文のテーマに取り上げられつつあり、今年ベルリン工科大学で多和田さんと同じSigrid Weigel教授のもとで「多和田葉子の翻訳論」で博士論文を提出した斎藤由美子さんなどとも組んで、この多和田葉子HM論邦訳とカバレットHMが形になったら、『多和田葉子ハイナー・ミュラー~演劇表象の現場』を刊行し、TMP「多和田葉子ハイナー・ミュラー・プロジェクト」をたちあげて、その枠の中でいろいろなことがやれないかとまだめげずに夢想中。前ブログ『《ハムレットマシーン》2018春』の4ケ月後の続き・・・「こちらはTMP、応答せよ、応答せよ」となれるかどうか。「TMP2019~2020」を乞うご期待!!

 

 ☆ 多和田葉子 カバレット 演目リスト ☆

第 1回 2001年  9月 1日 [木] 『ピアノのかもめ/声のかもめ』
 (シアターX チェーホフ演劇祭40日間 参加作品 前夜祭的な番外編)  
第 2回 2003年 11月24日[月]『ブレ.BRECHT』
 (シアターX 2年がかりのブレヒトブレヒト演劇祭1 参加作品)
第 3回 2004年  9月21日 [火]『ピアノのかもめ/声のかもめ』PART2
 チェーホフ東京国際フェスティバル2004 参加作品)
第 4回 2005年 11月  3日[木] 『脳楽と狂弦』
第 5回 2006年 11月19日[日] 『詩人の休日』
 (シアターX 詩の通路 参加作品)
第 6回 2007年 11月  3日[土] 『飛魂(Ⅰ)』
第 7回 2008年 11月14日[金] 『飛魂(Ⅱ)』
第 8回 2009年 11月  3日[火] 『宇治拾遺物語
第 9回 2010年 12月  1日[水] 『まっかな おひるね』
第10回 2011年 11月20日[日] 『菌じられた遊び』
第11回 2012年 11月18日[日] 『変身』
第12回 2013年 11月17日[日] 『魔の山
第13回 2014年 11月14日[金] 『白拍子VS変拍子
第14回 2015年 11月15日[日] 『猫も杓子もカントル』
第15回 2016年 11月16日[水] 『絵師 葛飾北斎
第16回 2017年 11月15日[水] 『マヤコフスキー

 

〔付記〕:どの場合も、タイトルから読みとれるように、ある作家や作品やジャンル(能と狂言とか)を対象に、それらを読みつつ戯れながら自在に展開する。例えば第2回の『ブレ.Brecht』では、『三文オペラ』の「ポリーとマックの結婚式」の声と音の言葉遊び「こけ、むす、こけでら、こけ、こっか、国家公務員、コッカイン-----ご結婚、コケコッコ、コケッコン、ご結婚」などは大爆笑。あるいは、第12回の『魔の山――ベルリンから気まぐれて』は「トーマス・マンの小説からの「振動」は、〈3・11〉に触れて「まちごうても」の話までぶれる。いつも、高瀬のピアノと掛け合いながらのそのボケと突っ込みの変幻自在さ振りが楽しい。

『ハムレットマシーン』──2018、春    

「私はハムレットだった。                                  
浜辺に立ち、寄せては砕ける波に向かって       
ああだこうだ(ブラーブラー)と喋っていた。
廃墟のヨーロッパを背後にして。鐘の音が       
国葬を告げていた。」                                       
  ―『ハムレットマシーン』第1景「家族のアルバム」

  何故かこの春は、また、『ハムレットマシーン』ブーム再来のようでした。『ハムレットマシーン』とは? シェイクスピアの『ハムレット』と関係があるのかな? あるのです。いうなれば『ハムレット』の脱構築? 演劇の世界では、知る人ぞ知る画期的な作品なのですが、ご存知ない方も多いでしょうから、まずは簡単にご紹介を!

 ブレヒトの後継者として東ドイツ演劇界に登場したのがハイナー・ミュラーです。彼は、ブレヒトが十数年の亡命生活に入る前の、〈教育劇〉と総称される一連の演劇実験の終点であった1933年のゼロ地点に戻ることをモットーに、東ドイツの現実に向き合う現代劇でデビューしたのですが、次第に自作の上演・出版禁止が続きます。そういう中で、1977年に「ブレヒト教育劇への決別宣言」とともに書かれたのが、もっと大きなタイムスパンでの小さな『ハムレットマシーン』でした。東ドイツでは刊行も上演もされずに、西ドイツの代表的演劇雑誌「テアーター・ホイテ」にひっそりさしはさまれたわずか3ページの極小のこのテクストが、西側で謎の塊か台風の目のような役割を担うことになります。およそ上演不可能と言われながら、挑戦意欲をかきたてられるものがあり、1979年のジュルドゥイユによるパリでの初演以来、上演史自体が話題になるという代物。

 なかでも話題になったのが、アメリカのポストモダン演劇の旗手とされたロバート・ウイルソン演出の1986年の『ハムレットマシーン』でした。ニューヨーク大学の学生を使って、いかにもアメリカ的な風景に置き換えられたような意外感をもったその初演は評判を呼んで、ヨーロッパ中を巡演して席捲していく。90年代は、日本でも「ハイナー・ミュラー・プロジェクト(HMP)」が結成されたほど、「ハイナー・ミュラーハムレットマシーンの時代」でした。1990年にはフランクフルトでミュラー一人を17日間にわたって特集する実験演劇祭「エクスペリメンタ7」が開催される。かつ、ハイナー・ミュラー自身が東ベルリン・ドイツ座で、『ハムレット』と『ハムレットマシーン』を合体させた8時間の『ハムレット/マシーン』を演出して大評判となり、一躍「世界のミュラー」になりつつ、奇しくもその初日の3月18日が東西ドイツの総選挙の日で、ドイツ再統一=東ドイツの消滅の日とも重なりました。そしてベルリーナー・アンサンブルの監督などを務めた後で、1995年12月30日に永眠。享年66歳。

 それからも20年余…東西冷戦は終わりましたが、アメリカ大統領もクリントン、ブッシュから、オバマ、そしてトランプへ、イラン危機から北朝鮮問題へ、新たな覇権争いに世界の難民化、ファクトからフェイクへ?… 等々、時代変容が大きく一巡りしたかの今このときに、ハムレットマシーンの亡霊が、過去/未来から再来したようなのです。

            f:id:tanigawamichiko:20180616230712j:plain

                                          (ROBERT WILSON | HEINER MÜLLER, HAMLETMACHINE photo by Lucie Jansch)

 しかも皮切りは、件のロバート・ウイルソンがあの『ハムレットマシーン』を2017年にイタリア・フィレンツエで新作上演したという噂。その年の12月半ばに第16回ヨーロッパ演劇賞の授賞式イベントがローマで開催され、ウイルソンの『ハムレットマシーン』も上演されるらしいから、谷川さんも絶対に観に行かなきゃと舞踊評論家の立木燁子氏に急に誘われましたが、招待も宿も定かでない身で飛行機に飛び乗るわけにもいかない。代わりにしっかり観てきてね、と念押しして、その報告を首長くして待つことに――。立木さんの報告は、「シアターアーツ」誌最新62号に掲載されましたので参照いただきたいですが、過去の受賞者の代表作を招聘する賞だったとはいえ、「リメイク/新作上演」と謳われていながら、1986年のニューヨーク大学でのあの初演版に基づいてシルヴィオ・ダミコ国立演劇アカデミーの学生たちによって演じられた、ほぼ1986年版と同じものだったらしい。1986年初演版とて、我々もハイナー・ミュラーさんから送って貰ったヴィデオをダビングして皆で回し観て共有化したものですが(どういう作品だったかは日本でも西堂行人氏や新野守弘氏や私などの文章もあるので参照ください)、それと殆ど変わらなかったとは、ローマで観た批評家・観客も同じ感想だったと。

 

 思えば、ダンスの振付も同じコレオグラファーの版権に則とればそういうものなのかとも思いますが、再演の受賞というのは、演出の版権化、パック化、商品化ではないのでしょうか。俳優やダンサーは変わっていても、写真や映像で見る限りは、デジャ・ビュの既視感。ウイルソン演出自体が映像も使った絵画的で「透徹した美意識で磨き上げられた美の宇宙」(立木燁子報告)だということもあるので、映画と同じと思えばいいのか。映画ならむしろ、たとえば同じヘップバーン主演の『ローマの休日』を期待して観に行き、俳優や監督が変わればどういう新作になっているかと期待するので、ことは分かりやすい。演劇はライブのTP0のコンテクストでの感応や実存、コミュニケーションを前提としているところもあり、30年ぶりのウイルソン新演出なら何がどう変わっているのだろうかと、だから「絶対に観に行かなきゃ」とたしかに思いましたが、「過去からの亡霊/オレオレ詐欺」に引っかからないでよかったかなとも。

 おそらくそこでこそ、演劇とは何かが問われるのでしょう。そう、いわば『ハムレットマシーン』は、そのためのリトマス試験紙だった。 

 

f:id:tanigawamichiko:20180616222801j:plain

 興味深かったのは、明けて2018年3月半ばに、同じニューヨークからダンス・タクティクス・パフォーマンス・グループがシアターXの招聘で上演した『ハムレットマシーンのかけら』が、まさに対照的だったとでしょうか。芸術監督キース・トンプソンにより、「一切の衣装を脱ぎ捨てた自分自身とコミュニケーションできるダンスの可能性を探ること」を志向して、2006年に設立されたコンテンポラリーダンスのカンパニーで、肉体的な演劇との融合に加えて、抽象概念と語りの結合へと挑戦した試みが、この『ハムレットマシーンのかけら』だったといいます。

 舞台は、衣装も装置も殆どない素の6人の男女のダンサーで、女性の一人が作曲即興のヴァイオリンを弾き、男性の一人がナレーターを兼ねる。根底にシェイクスピアの『ハムレット』、それにミュラーの「改訂版ハムレットマシーン」が上書きされ、その舞台化への経緯を語るトンプソン・グループのテクストの語りと動き、という3層構造の英語の語りの日本語字幕が、舞台上部に映る。

 英語でのアフタートークで、その印象を私は「シンプルでナイーブでストロング」と表現しましたが、「私はハムレットではない、もう役は演じない」と言い続けながらそれぞれがどんどんハムレットになっていくようだった、と語った男性観客もいて、演出のトンプソンは、今回の新改作は「いま周囲に見られる恐怖や虚偽、崩壊への私たちの反応だ」と言明しました。ウイルソン演出と対照的だと感じたのは、そういうことだったのでしょう。どちらがいいとか、正しいということではなく、舞台表象の立ち位置が問われている。

     f:id:tanigawamichiko:20180620022302j:plain  f:id:tanigawamichiko:20180620022224j:plain
                                                                      (ダンス・タクティクス・パフォーマンス・グループ 『ハムレットマシーンのかけら』)

 

f:id:tanigawamichiko:20180616224353j:plain

 そして、そういうなかで、東京は日暮里のd-倉庫で4月4~22日に開催されたのが、参加10団体による『ハムレットマシーン』フェスティバルでした。私も知らずに、突然にその企画編集室発行の「アートイシュー」誌から邦訳者として原稿を依頼され、ハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』について、その過去と未来に思いをはせる好機となりました。思い返せば、小劇場d-倉庫というと、1990年に仲間と始めたハムレットマシーン・プロジェクト(HMP)の活動のいわば終着点であったのが、2003年の「ハイナー・ミュラー/ザ・ワールド(HM/W)」と銘打った、18劇団がそれぞれのハイナー・ミュラー作品を競演するという韓国や中国からも参加の国際演劇祭。そのときに会場や企画運営の中心になって活躍してくださったのが、d-倉庫やdie pratzeと、主宰のOⅯ-2の真壁茂夫さんでしたか。半月で18劇団がさまざまなハイナー・ミュラー作品を競演するという無謀で刺激的な大企画で、総括論集も出せないまま討ち死にした感もありましたが、d-倉庫は前衛(的)舞台芸術の拠点であり続けようと、この『ハムレットマシーン』フェスもその活動の一環としての「現代劇作家シリーズ」の第8弾で、かつ集大成だといいます。

 今回は『ハムレットマシーン』作品だけに絞って、「従来のドラマ形式を解体した金字塔ともいえるこのテクストに、演劇、ダンス、パフォーマンスなどのジャンルを超えた全10団体がどう挑むのか」と謳いつつ、「アートイシュー」誌は2018年1月に、『ハムレットマシーン』に縁の深い西堂行人氏に市川明氏、私とこの企画者・金原知輝氏の論考を収めた特別企画号を刊行。次いでフェスティバルの日程と参加10団体を紹介するチラシ(各団体は1時間の2公演とアフタートーク)と、各出演団体がどう挑むのかを表明する「演出ノート」も作成。連携企画には、3月にプレ朗読と村瀬民子氏のレクチャー、0M-2の『ハムレットマシーン』公演を、ラストの締めには劇評家の藤原央登氏の司会で、「実演家vs実演家~上演作品の相互批評」というシンポジウムまで企画されていました。

 残念ながらすべてを観られたわけではなかったので、全作品の詳述はできないのですが、事前の紹介や演出ノートやシンポ、送って頂いたDVDや映像にも助けられて、見えてきた範囲内での感想を少しだけ。

 パフォーマンス集団のOM-2は2003年に上演した『ハムレットマシーン』を世界各地で巡演し、今回がラストの公演とか。同様にHM/Wに参加した劇団チャンパの『ハムレットマシーン』で、主演俳優として世界的に活躍してきたシム・チョルジョンによるシアターゼロの『ハムレットマシーン』がフェスの打ち止め公演。いずれも「過去からの亡霊の帰還」かと思いましたが、両者ともにこの15年間、『ハムレットマシーン』を演劇の核として手放さずに展開上演させ続けてきて、自己コピーやリコピーではない。主演の日韓の「怪優」佐々木敦とシム・チョルジュンの中にはハムレットハムレットマシーンが乗り移ったというか移り住んでいる感があって、ことにシム・チョルジョンは私宅を活用した極小公演や一坪劇場から大型野外劇まで、多彩にハムレットマシーンを展開してきたとか、舞踏かマダン(広場)劇のシャーマンとでも形容すべき存在感と迫力がありました。2003年からの15年を架橋しようという思いが、両者で『ハムレットマシーン』フェスを挟んだ所以かと、納得しました。

 他の9劇団は殆ど初めて知る劇団やグループでしたが、様々な資料にも依拠しながら、世代も劇団史も専門も異なる、それぞれの立ち位置からの多様なアプローチを楽しませて貰いました。こちらの勝手な言及で恐縮ですが…。各カンパニー名のユニークさにも驚き!

 『ハムレットマシーン』のテクストとの関係で言うなら、もろに正面から「ダンス」と銘打ったのが「ダンスの犬All IS FULL」 という、深谷和子氏が2001年に創始したダンスグループ。女性だけのダンサー8人で、「歴史における男性原理の象徴=ハムレットを背中に携え、女性原理としてのオフィーリアの台詞〈私の心臓であった胸の時計を埋葬しましょう〉を如何に身体表現だけで完走できるか」に挑む。身体の部位のデフォルメや女の笑いで、「母なるユートピア願望」もそんなに簡単にはいかないのよと、舞台から突き返してくるよう。最終景の「こちらはエレクトラ」の発信を思わせる…。

ハムレットマシーン』のテクストから自分たちの表現を紡ぎだそうとしたひとつが、「サイマル演劇団」。それこそ男性原理をハムレット役者に代表させ、女性原理のオフィーリア役者と格闘演技する背後で、劇作家役者が椅子に座って、『ハムレットマシーン』に触発された自分の言葉を語って、語ろうとしていく。物語は成立しない。

対して、14年に旗揚げしたばかりという若い演劇する団体の「隣屋」は、『ハムレットマシーン』からの言葉を引き出しながら、3人の男女が真ん中の四角の空間(4畳半?)で〈ハムレットマシーンごっこ〉を様々に遊んでいく。それを取り囲み介入するのが、これまた様々な音や遊具、映像、音響の遊び。素直に楽しい。面白かったのが「演出ノート」の言葉――冒頭が「私はpepperだった」。ご存知、感情認識ヒューマノイドロボットのソフトバンク市販版のネーミングだ。なるほど、ハムレットはpepperか。「いまpepperになってしまっている人と、誰かをpepperにしてしまっている人へ、どろどろした“生者”の感触が残ることを目指して」―また、なるほどと。

 『ハムレットマシーン』のテクストをすべて語ってくれたのが、第三エロチカから02年に結成されたという「IDIOT SAVANT シアターカンパニー」。硬派の独特な装置や音響、映像と身体表現で、いかにもアナーキー学生運動世代の空気を醸し出す。そういう中であの『ハムレットマシーン』のテクストがすべて引用のごとく語られると、不思議な距離感と説得力が生まれるのだ。世代感覚かな。

 シムの「劇団シアターゼロ」は前述の通り。演出ノートにはこうあった、「〈機械〉を超えて完璧な「無」を夢見るハムレットは、長く伸びた先のとある破壊の地点におり、私たちはそれを観客と共に眺め、彼が不存在に向かっていく様を嘲笑し証明しなければならない」と。

 同じ『ハムレットマシーン』へのアプローチのこの多様さがいい。競演の醍醐味でしょうね。頑張った企画だったので、すべてを観られなくて申し訳なかったですが、ここから何が産まれていくでしょうか。

 

 最後にやはり原点のハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』にもう一度戻るなら、そもそもは、東ドイツ・フォルクスビューネでのベンノ・ベッソン演出のためにハイナー・ミュラーは『ハムレット』の翻訳上演台本を依頼され、それは1977年に初演され刊行もされたのですが、その際に「鬼っ子」のように生まれたのが、『ハムレットマシーン』でした。ハイナー・ミュラーいわく、「30年間、『ハムレット』は私にとってオブセッションだった。だから『ハムレット』を破壊しようとして短いテクスト『ハムレットマシーン』を書いたのだ」とも。「ハムレット」は、いわば「近代演劇と近代的個人」のシンボルで代名詞とも言えるのでしょうか。「私はハムレットだった」…いかにこのハムレットを過去形にできるかが問われていて、『ハムレットマシーン』そのものが再現のための上演台本ではないのです。ハイナー・ミュラーの「上演不可能」の言葉は、「さあ、あなたなら「ハムレット」をどう過去形にしますか?」の問いかけだったと思う。考えるための切掛けはいろいろに与えられている。たとえば、私ハイナー・ミュラーならこう読みますよ、『ハムレット/マシーン』も演出しましたよ、生きていたら南仏で『ハムレットマシーン』単独で野外上演するはずの計画が叶いませんでしたが…。さて、あなたなら『ハムレット』と『ハムレットマシーン』をどう読んで、どう舞台化しますか?と。

 そう、過去からの亡霊を「未来からやってくる亡霊」にしなくてはならないのでしょう。「近代演劇と近代個人の彼方」を、「その未来形」を、あなたならどう創りますか? とすれば、問いかけは続くしかない。演劇とはとりあえずは、「今ここ我々」のためのライブ・パフォーマンスなのでしょうから。

 

 もうひとつだけ、勇み足の未来形の秘密を少しだけ洩らせば、日独両国語で活躍するあの作家の多和田葉子さんが1992年にハンブルク大学に提出した修士論文が『ハムレットマシーン』論、邦題にすれば、「『ハムレットマシーン』(と)の<読みの旅>――ハイナー・ミュラーにおける間テクスト性と読み直し(仮訳)」。これが途方もなく面白いので、もっか仲間と鋭意、共訳作業中なのです。言うなれば「多和田葉子ハイナー・ミュラーの怪しい関係」――長年温めてきた最期の企画として、これが刊行の暁には、2020年の春頃でしょうか、実はまた懲りずに、何かの形で、「ハムレットマシーン・フェス」ができないかなと思案中なのですが・・・。めげずに問いかけは続くのです、「こちらはハムレットマシーン、応答せよ、応答せよ」…。

 

 

鳥取の「鳥の劇場」の大人の『三文オペラ』

    ―地域と生活に根付きつつ、世界へ―

 

 10年ぶりに雪の鳥取、「鳥の劇場」を再訪しました。拙著『演劇の未来形』でも紹介していますが、彼らとの付き合いもけっこう長くて深い。その続編を!

利賀村演出家コンクールでの出会い

 劇団主宰者中島諒人さんたちとの初めての出会いは2001年、SCOT(鈴木カンパニー・オブ・トガ)が主催する利賀村での「演出家コンクール」。前年に始まって01年はH・ミュラー作『ハムレットマシーン』が課題作の一つになっていたので、翻訳者としては行かざなるまいと観に行ったのが始まりでした。

 なかでもこれは何だと気になったのが、当時は「ジンジャントロプスボイセイ」と突っ張った名前のグループで、学生劇団出身らしく、中島諒人演出のハイテクを駆使したモダンでとんがった舞台は私にはけっこう面白かったのですが、鈴木忠志御大にはお気に召さなかったらしく見事に落選。「あの頃は意地みたいに『ハムレットマシーン』ばかりいろいろやっていた」そうで、来日した『ポストドラマ演劇』の著者レーマン教授を稽古場にお連れしたりしたものの、03年の「演出家コンクール」に捲土重来。今度は俳優を主体にした『人形の家』で見事に優勝。で、しばらくは東京や静岡で演劇活動を続けていたが、そういう根無し草のような都会での活動に見切りをつけられたか(勝手な解釈で失礼!)、2006年に中島氏の故郷の鳥取に舞い戻って、そこを拠点に「鳥の劇場」を開始。しかし、半端ではなかった!

鳥取鹿野町での「鳥の劇場」の船出

 まずは2006年4月に鳥取市鹿野町の廃校の旧鹿野小学校体育館を稽古場・劇場として、7月からは同じ敷地の旧幼稚園を事務所などに利用できるように手作りでリノベーションしてスタート、08年にNPO法人を獲得。建物は公の所有の無償貸与でも、劇団の運営は地元やサポーターの支えという民の意志による、民設民営の劇場にして劇団、というユニークで意地でも豊かな自立の、ここにしかない「鳥取の劇場」であろうと願っているのが「鳥の劇場」!「演劇、劇場というものが、生活を豊かにし、未来をつくるために意外と大事なものかもしれない。そのことを鳥取の地で証明してみたい。無謀な挑戦だが、社会から必要とされるものならば、生き残れる」と謳う。なるほど、半端ではない、いい度胸といい覚悟だと納得したものだ。

       f:id:tanigawamichiko:20180302104437j:plain

 08年度から県や市と協働して地域と世界に開いた毎夏の「鳥の演劇祭」を開始…。実際にはどういうことなのかと気になった私は、その2回目を訪れた。空路ながら初めての山陰の初秋の旅という風情の、2009年9月のことだった。

 鹿野町は2004年に鳥取市と合併した人口4000人弱の風情ある城下町。JRで鳥取駅から1時間弱。公演の時は最寄りのJR浜村駅から劇場の無料送迎バスが出て約15分。演劇祭のコンパクトなパンフレットには、スケジュールや地図、お勧めスポットに宿の紹介、さまざまな体験プログラムまで掲載されていて、2週間のこの演劇祭全体が、演劇と自然や文化や地域を知って楽しむ「旅」として構想されているのだ。便利や効率など無視して手間暇かけてゆっくりと体験し、よろずと生身で出会う。詳論の余地はないが、演劇の演目も日本だけでなくルーマニアや韓国からの客演、全国公募での劇団による「鳥の演劇祭ショーケース」、参加者を募って専門の振付家と作品を創り披露する「とりっとダンス」等々、さらに演劇や文化をめぐるシンポジウムやトーク、こんな贅沢な演劇文化体験はないかな。

鳥の劇場」での『母アンナの子連れ従軍記』

 実は「鳥の演劇祭」を訪ねたのは、ブレヒトの『肝っ玉おっ母』あらため拙訳の『母アンナの子連れ従軍記』を2010年1月に上演したいのでよろしく、というオファーを受けて、東京の1000の客席の栗山民也演出・大竹しのぶ主演の新国立劇場の大劇場公演に対し、客席200の大きな小劇場というのを見ておきたかった、ということでもあった。2009年12月には、観客へのプレ・ブレヒト・レクチャーに呼ばれ、率直でキラキラした観客の好奇心にも触れた。稽古も見せてもらった。MC役のようなブレヒトさんを配して娼婦イヴェット役の中川怜奈に重ね、現在との時間的・空間的距離を観客に考えて貰おうという構成に、「翻訳劇」を超える工夫を感じた。

 そして本番の1月には、我が教え子秋野有紀が東京外語大の博士論文を留学中のヒルデスハイム大学との共同学位にしたいということで、その公開審査会にドイツ文化政策の権威のシュナイダー教授の来日とも重なったので、審査会を終えた慰安温泉旅行もかねて総勢10名の観劇ツアーを企画。ついでというか、神戸大の藤野一夫教授をはじめ、これだけの文化政策の専門家メンバーが集まる好機だからと、鳥取大学とも組んで、日独の文化政策についてのシンポジウムまで、観劇後に開催しようと欲張った。上演後の熱気と相俟って、西日本から駆け付けたらしい150名余の観客との議論も白熱し、こんなこともできる「鳥の劇場」の可能性を実感。

       f:id:tanigawamichiko:20180302104657j:plain

10年ぶりの再訪

 などというような前史も受けての今回の10年ぶりの再訪。この間は、私自身は東京外国語大の定年退職にハワイ大学でのブレヒト学会発表、クモ膜下で倒れての手術にリハビリしながらの奇跡の社会復帰…等々の人生の転機・危機もあって、気が付くと10年近くが過ぎ去っていた、という感じだろうか。もちろん、MLや情報は受け取っていたが、拙訳で『三文オペラ』上演をやりたい、という再度のラブコールも貰っていた。「鳥の劇場」も10周年を迎えていたわけだ。

 神様の粋な計らいに感謝しつつ、2月の公演なので、全日14時開演、鳥の劇場で「どんな大雪でも上演を行います」とのこと。北極にでも行くような重装備で飛行機に乗ったが、さほどの大雪でもなし。10年前からどう変わったのか、変わっていないのか。

 まずは2011年に耐震化工事として、劇場改修がなされていた。雨漏りの屋根や壁の構造に客席もしっかりとなり、照明や劇場床シート張替え、道具倉庫づくり、また手作りながら、建物改修の費用は県や市が支えてくれたとか。それだけ地域に根付いた活動として認められた証拠で、「国際交流基金地球市民賞」も受賞。

        f:id:tanigawamichiko:20180302104727j:plain

 「鳥の劇場通信」も充実して、「劇場がただ演劇を愛好する人だけの場ではなくて、広く地域のみなさんに必要だと思ってもらえる場になることが、私たちの目標です。演劇創作を中心に据えて、国内・海外の優れた舞台作品の招聘、舞台芸術家との交流、他芸術ジャンルとの交流、教育普及活動などを行い、地域の発展に少しでも貢献したいと考えています」という精神は、随所に行き渡っている。週末や夏休みを使っての小鳥の学校。さまざまな場所での出張上演・ワークショップ。2013年にたちあげた障害のある人とない人がともに演劇をつくる「じゆう劇場」が2017年に「『ロミオとジュリエット』から生まれたものー2017」をフランスはナント市での日仏障碍者文化芸術交流事業で公演するという文化庁の委託事業までやってのけたという。日常的には写真展に映画上映会。呼んだり呼ばれたりの滞在制作に発表会。モノづくり体験にセレクトショップ。等々―20名弱の劇団員でよくここまでやれるなあと思えるほどの多彩ぶり。拓いているのだ。いい覚悟は、やはり半端ではなかった!

        f:id:tanigawamichiko:20180302104844j:plain

さて、「鳥の劇場」の『三文オペラ

さて最後に、今回の『三文オペラ』の舞台に触れなくては。

ブレヒトの名前を1928年に一挙に世界的にしたこの作品。当時は映画化の伝播もあってもちろん、今なお世界中でさまざまに上演されているが、私自身も両手で足りないくらいに観ているが、その中でもこの「中島・鳥の劇場」版は、風変わりでユニークだった。

 ブレヒトの『三文オペラ』は、200年前のイギリスのジョン・ゲイ作『乞食オペラ』の独訳をもとに、ベルリンのシフバウアーダム劇場の改築杮落し公演に間に合わせて作曲家のクルト・ヴァイルを誘って大車輪で完成させた音楽劇。つまり、原作1728年―改作1928年―上演2018年という三階建て構造をどうするかだ。ネタバレご容赦だが、硬い言い方をすれば、産業資本主義の勃興期―金融資本主義への転換期(1929年には世界金融恐慌!)―グローバル新自由主義の現在? ブレヒトの改作には「男一匹飼い殺すのと、男一匹殺すのと、どちらがたちが悪いでしょう」、「銀行設立に比べれば、銀行強盗などいかほどの罪でしょうか」という有名な名文句がある。色男・斎藤頼陽演じる最後のメッキースの「絞首台での演説」だが、その行きつく先が現在、という解釈だろう。

f:id:tanigawamichiko:20180302104811j:plain

 場面はずっと「みらい銀行」の受付職場という設定の装置だ。役者のほぼ全員が今は銀行マンと銀行レイディーズで、舞台前ど真ん中に生演奏のバンドが陣取る中で、18世紀のロンドンが舞台らしい乞食と盗賊と娼婦たちによる『三文オペラ』がロビー公演として上演される構図。十数名の役者で2時間余の舞台に変換するには、なるほどそう来たか、という納得の設定だ。このブログを大人の『三文オペラ』と題打った次第。

      f:id:tanigawamichiko:20180302104943j:plain

 音楽・ソングをどうするかも思案どころ。ドイツはブレーメンからの参加というオーボエファゴットクラリネット木管トリオのアンサンブル・ココペリ3人の生演奏と、サックス(松本智彦)、ピアノ(渡邉芳恵)、エレクトーン(太田紗都子)演奏をうまく組み合わせて、原則としてヴァイルの曲を使いながら、歌詞もそのなかで唄えるように、アレンジャー武中淳彦氏の腕の見せ所。ものすごく苦労工夫されたというが、これもなるほど。私自身も翻訳において意図的に、ヴァイルの曲に合わせての訳詞はあえてしなかった。音楽・ソングの使い方は上演の位置づけ方次第だから、ともあれ原語でのブレヒトの意図が通るようにと日本語に訳した。これでは歌えないという批判も伺ったが、それは上演集団が考えることだと思うから。この音楽も「鳥の劇場版」になっていた。

       f:id:tanigawamichiko:20180302105003j:plain

 原作の意図をリスペクトしながら、上演はいまの自分たちの観客に届くように、というのが「鳥の劇場」の基本理念で、公演前にはいつも作品についてのプレトークがあって、毎公演後にアフタートークを欠かさないのも基本姿勢。このときは私も飛び入りで参加させてもらった。

         f:id:tanigawamichiko:20180302105029j:plain

 劇場を出たところが大きなカフェ・ラウンジになっていて、もちろんバリアフリーで、無料の水にプロの入れるコーヒーとパンやお菓子、劇団手作りのいろんなグッズ。鳥マークのTシャツや根付け、ハンカチ、原作翻訳の文庫、等々も販売。観客は思い思いにおしゃべりしたり、アンケートを書いたり。もちろんここがトークと議論の場。この居心地の良さは何だろう。無料で、送迎車、託児室、ハンド版の字幕、飲み水、大人2000円に18歳以下500円、中学生以下無料なのだ。すべてが観にきてくれる観客のため、ホント、初日は雪でも補助席が出るほどの満員で、子供たちも沢山いたのに、楽しそうに乗って見入っているのだ。こういう配慮あふれる観客つくりがいい。

2026年の20周年へ!

 毎年度の活動テーマがあるというが、今年のそれは「豊かさってのは金のことか?それだけじゃない?じゃあ、もう一度考えよう。豊かさってなんだ?」。そだね~

 10年間の蓄積がこういう形で実っていることに、ホッと嬉しく、これからも息切れしないように、ずっと頑張れと、エールも送りたくなるのだ。10年ぶりの再会の高揚とその間の互いの頑張りを想起しての交歓!2026年の20周年記念も一緒にやろうねと言われ、生き延びられるかなあと。ともにガンバ!!

 

Alles Liebe und Gute fuer das neue Jahr 2018 !!  賀正!!

 小正月も過ぎたのに今頃の年賀メールかとあきれておられるでしょうが、この恒例の遅れ年賀メールがないとブログが新年2018年になり替わりませんので、立春前の寒中見舞い代わりかと、ご容赦を!

 さすがに内容まで年賀モードは憚れますので、とりあえず先日観た、今年初めての舞台、ジェローム・ベルの『Gala –ガラ』について、ちょっとだけ。


 久しぶりの彩の国さいたま芸術劇場蜷川幸雄さんの逝去後には、さいたまゴールド・シアターのその後が気になり、追悼公演『鴉よ、おれたちは弾丸(たま)を込める』の再演だけは観に行った。まだ蜷川さんの魂が漂う舞台でしたが、三回忌も終わって、今回のジェローム・ベルの『Gala –ガラ』で喪が明けたのかなと感じてしまいました。何故か、今年の新年もやっとこれで明けたなとも。

 パリ在住の国際的に活躍している振付家ジェローム・ベル。2011年にF/T(フェスティバル・トーキョー)の締めとして招聘された『ザ・ショー・マスト・ゴー・オン』(以下『ザ・ショー』)が彩の国劇場に、日本にも初登場して、不思議な楽しさでした。2001年に初演され、反響を得て2005年にニューヨーク公演でベッシ―賞を受賞、世界的なツアーを経ての10年後の日本初演。今回の『Gala –ガラ』も、2015年初演後にすでに世界50都市以上で上演され、日本公演の後もツアーが続くらしい。ともに上演する都市でキャスティングして創り上げる、ご当地参加型のダンス、と言えましょうか。

 『ザ・ショー』のときは、踊り手は300名近い応募者の中から26人が選ばれ、ビートルズデヴィッド・ボウイ、クイーンなど、誰でも知っている、日本版のそれも加えた人気ポピュラー・ポップソングに合わせて、自在に踊る形。今回の『ガラ』は、6歳から75歳までのプロのダンサーや俳優、芝居とはまったく縁のないアマチュアまで、年齢、職業、国籍など多種多様な20名の老若男女が、ダンス、ワルツ、お辞儀、ソロ、カンパニー、といった表題の順に即興で踊る。自己紹介的なソロから、それぞれが率いてのカンパニーを創る踊りへと展開。これは、個人と共同体の両極での「踊りの探り」の合わせ鏡か。

 谷川塾のメンバーの越智雄磨さんがもっかベルで博士論文を執筆中なので、時折り話を聞くのですが、元々ダンサーとしてデビューしたベルは、ダンスというジャンルに批評的なまなざしを向けて活動停止し、しばしの間の考察を経て、『作者によって与えられた名前』で振付家として再デビュー。2作目の全裸のパフォーマーが殆ど踊らない『ジェローム・ベル』という作品で注目を集める。「踊らない」ことから初期には「ノンダンス」と評されていたが、ダンスと社会における個人と共同性の関係性を問いかけるこういう試みにとりあえず辿り着いたらしい。ダンサーと振付家、プロとアマ、自己と他者、コントロールと即興、作品と上演…。ゼロ地点に戻ってからの再構築の探りは、前衛/アバンギャルドの辿る道でもあるでしょうが、そう来たかと思わせるある種の納得と解放感がありました。

 その越智さんによるインタビューが上演パンフに掲載されて、そこに曰く、「『Gala』ではダンサーたちの多様性が、次第に作品の中に共同体を成立させ、喜びにあふれたものとして活気づけていきます」――そのタイトルが、「喜びにあふれた多様性が、共同体を成立させる」。その多様性はそれぞれの都市や状況で異なるでしょうが、さいたまバージョンも、不思議な楽しさでした。おそらく舞台も客席も。

 

 プロの領域の「優れた芸術作品」というものとは次元の異なる舞台表現の楽しさというのが、確かに存在する。拙著『演劇の未来形』で、「第2章:演劇と≺教育劇>の可能性――ピナ・バウシュ蜷川幸雄の試みまで」で言いたかったのもそういうことでした。ダンスと演劇を融合させた「タンツテアター」の創始者ピナ・バウシュは、自らのヴッパタール舞踊団の男女の葛藤をダンス化した傑作『コンタクトホーフ』に対して、65歳以上の26人の「年金生活者」によるシニア版と、10代の少年少女たち40人によるテイーンエージャー版を作って見せた。後者は『ピナ・バウシュ――夢の教室』と題するドキュメンタリー映画まで成立させた。「踊ること」がもつ心身解放の意味と力が透けて見える傑作。蜷川が遺した「さいたまゴールド・シアター」もその線上でしょうか。

 

 ピナ・バウシュ蜷川幸雄も故人となりましたが、健在のジェローム・ベルはここにとどまってはいないはず。「自分ファースト」ではなく文化や価値観の異なる多様性が共存し得る社会や世界のための思考や方法論の探りは、いま我々の焦眉の課題でしょう。

f:id:tanigawamichiko:20180128230918j:plain

 (c) Photograper Josefina Tommasi, Museo de Arte Modernode Buenos Aires, 2015 
2015年のブエノスアイレスでの舞台写真をお借りしました。

浪速のソーホーの関西弁の若者たちの「三文オペラ」

──演劇教育と公立劇場と地域のウイン・ウインの可能性を考える?──

 近畿大学文芸学部芸術学科舞台芸術専攻の26期生の卒業公演に拙訳の『三文オペラ』をやりたいという依頼を松本修さんから頂いて、上演パンフに短文を依頼され、その一節―。

 「演出の松本修先生に『まんま演らないで、自分たちらしいのにしてね』と伝えたら、谷川翻訳台本の台詞等を、さらに下町感を出すために関西弁にアレンジするという挑戦をしているとか。制作担当の山下君から『関西弁の方がここは聞き取りやすいのでは?ここは標準語のままの方が伝わりやすいのでは?といったように、日々試行錯誤しながら取り組んでおります』というメールも頂きました。ソングだけでなく、台本全体を関西弁にするのだとか。… 谷川翻訳台本ではなく、二六期生翻訳台本になるのではないかなあと・・・ギャラ貰っていいのかなと怖れたり、そうなってほしいというサプライズを期待したり…。

 そもそもが、ブレヒトの『三文オペラ』も、二〇〇年前のロンドンでの当たりソングプレイであったジョン・ゲイの『乞食オペラ』を女性秘書エリーザベト・ハウプトマンが翻訳していたものにブレヒトが手入れ改作して、作曲家クルト・ヴァイルと大車輪で完成させた台本。ベルリンのシフバウアーダム劇場の改築杮落とし公演に間に合うように、台本訂正のみならず、役者や演出家の抗議や交代など、ご難続きでやっと幕を開けた初日に、途中から客席が喝采でどよめき始めた、という。そして、誰も予想などしていなかったメガヒットになったのでした。その頃のブレヒトも、二九歳から三〇歳にかけての、まだまだ血気盛んな若者で、ベルリン留学中の若い千田是也もその舞台を観て、東京で『乞食芝居』として舞台化、世界の『三文オペラ』ブームの一翼を担った! さて近畿大学二六期生の若い『三文オペラ』は、一体どのような初日を迎えるのでしょうか?どんな関西弁に、どんな唄と踊りなのか。わくわく楽しみにしています」。

 ここまで書いたら行かざなるまいで、晩秋にでかけたのでした。いろいろ考えさせられて、行った甲斐は大いにありました。

 2013年の日本演劇学会近畿大学の新しいキャンパスは体験済みでしたが、でも上演場所は庶民的な繁華街の難波の近畿大学会館5F,日本橋アートスタジオとやら――想像と違って昔ながらの古モダンの何もないフラットな多目的ホール、客席100? 開場してから開演前も真ん中に階段付きの二階建ての木造舞台を釘と金槌で仕上げの途上。着替え途中の若者が、そこで椅子やテーブルを運び込んだり、機械仕掛けのカラオケで音合わせしたり・・・そう、もろ楽屋落ちというか、これからここでお芝居やりますよ、旅回り一座が小屋掛け芝居を始めるような・・・原作のゲイの『乞食オペラ』も河原乞食と呼ばれた旅芸人がドサ回りでやる芝居、それを見事に“パクった”ブレヒトの『三文オペラ』とて、オペラのパロディで、先ずは広場の縁日で大道演歌歌手が主人公の名うての盗賊メッキースの罪状を並べ立てる「殺しの歌モリタ―ト」を手風琴で唄い始める序幕から始まる。日本の祭りや歳の市で講談師や演歌師がやる呼び込みでもある。そう、演劇の原点は、これでいい、これが『三文オペラ』なのだ、と思い至った。チープでシャビ―なこの空間こそが、泥棒会社や、盗品で飾り立てた盗賊団ボスのにわか結婚式、やがてそのボスが逮捕処刑される監獄、あるいは娼婦たちが色目を使う淫売宿、の舞台となって、若い俳優たちがこれから出ていく世界をアングラの地下から演じて見せよう、という仕掛けだ。そういう芝居が「モリタート」を皆で歌い始めながら展開していく。そうやって私も、難波の縁日小屋に紛れ込んだように、いつしか巻き込まれていくのだった。うまい導入、まずは納得。さすがの松本演出。

 そして関西弁―。学生たちが自分たちなりに作り上げたというその台詞は無理に作り上げた方言調というより、なんとなく自分たちが日ごろ馴染んでいる地域のイントネーションと言葉(出演者全員が関西出身者らしい)、やりすぎず、遠慮しすぎず、配役に応じつつ工夫しながら、日常的に身についたユルーイ自分たちなりの関西弁になっている。そしてこれは、私たちにも馴染みの七五調のリズム、イントネーション、歌舞伎や浄瑠璃、あるいは落語や漫才の口調。この関西弁のテンポとリズムが、何となく不思議に「三文オペラ」に乗るのだ。「人食い鮫は するどい歯を 面一杯(つらいっぺえ) むき出している だがメッキースは自分のドスを 決して誰にも 見せやしねえ」・・・手風琴の「モリタ―ト」と流しのギターの演歌調は、義太夫節とも通底するのかもしれない。ついつい手拍子で唄い踊りたくなる。音楽はヴァイルの原曲を音楽担当の斎藤歩氏が編曲、三時間余の舞台に合わせて歌いやすいように工夫してあるとか。舞踊の相原マユコ先生の愛ある振付指導もあったらしいし、うまく乗っていた。

f:id:tanigawamichiko:20171205014544j:plain

 この近大舞台芸術専攻の学生さんたちはダンスや音楽なども履修できるようになっていて、ま、いまどきの若者は歌って踊らせればけっこう上手くサマになる。全体に肩の力の抜けた楽しい音楽芝居だ。そのリズムに「三文オペラ」を乗せた感じだ。自分たちの土俵に作品を持ってくる賢さ? オペラのパロディだからヘタウマ? ヘタに「演じ」ないからいいのだ! それが心地よく客席まで伝わってきて、リラックスする。

 演出の松本修さんは、ブレヒト生誕百年の一九九九年三月に世田谷パブリックシアター柄本明主演『ガリレオの生涯』で邦訳者としてご一緒させていただいた仲。大きな宇宙儀のような舞台空間でゆったり近代科学の曙から現在までつながる問題系を浮かび上がらせて、彼のブレヒト初演出だったのだが、「ブレヒトの考えている演劇は僕らの考えていることと同じなのですね」と言われ、その後カフカの三部作小説の舞台化が評判となった。この二度目のブレヒト三文オペラ』で、また枠が広がったかなあと・・・その悠揚迫らぬのびやかさは彼の本領だろうが、その彼でさえ、「ゆとり世代」のゆとり振りにはハラハラさせられたようだ。いつまでも出来あがらない関西弁の台本に、「おい、間に合わないぞ」とせかしても、「大丈夫ですよ」と焦らないのだとか。

 私も本番観劇の当日、受付で切符や座席を案内してくれたあの上演パンフ制作の山下君が、まだ着替えも何もしていないのに「僕が今日、メッキース役です」と涼しい顔で言う。「早く着替えなくちゃ」というと「はい、これからメイクします」―-幕が開いたら、真白なスーツに白手袋、象牙の柄のステッキのいなせな紳士ぶりでにこやかに登場して、七・三のポーズで流し目を決める変身振り。たしかに「ゆとりですが、なにか」の肩の力の抜け方かと感心。

 自分たちのテンポに移し替えた『三文オペラ』は、うまくカットしつつ原作通りの三幕構成だったが、最後のメッキースが絞首刑になる寸前に馬上の騎士の登場で恩赦の無罪放免となる幕切れは、すべてピーチャム役の語りと歌の中で、階段の回転やコーラスの動きで語られる。「現実の世界ではこうはいかない、せめて芝居の中ではハッピーエンド」・・・フィナーレも楽屋落ちで、「モリタート」のリズムに乗せながら、役者たちはいつの間にか自分たちの素顔と普段着に着替えて、自分たちのリズムにアレンジしたヴァイルのメロディ―で自由に踊りながら、客席の手拍子も受けながらさりげなくカーテンコールまでやってのけてしまう。

 こういう楽しさっていいなと思った。自分たちらしい四年生の卒業公演『三文オペラ』になっている。アフタートークでは途中から、大阪育ちで関西弁台詞の貢献者でもあったらしいピーチャム夫妻役の中野青葉・田中ひかり両氏も加わって、卒業公演の演目を投票で決めた経緯や、稽古のプロセスやエピソードも語ってくれて、なるほどと・・・納得。上演者の立ち位置の明確な舞台が私は好きだ。そもそもが演劇はワークイン・プログレス。上演者の観客と舞台への立ち位置とプロセスが見えてこそが醍醐味である。作品の版権というのは、たしかに作者と作品の権利を守る近代の優れた成果だが、版権が過ぎればパブリック・ドメイン。それ以上にライブの協働作業の賜物である舞台は、上演者の「今、ここ、我々」の「クリエイティブ・コモンズ」だという思想と理念の運動が、いま展開中である。ハーバード大学の法学者ローレンス・レッシグがアクテイビストとして法的な著作権のあり方に闘いを挑んだことから発していたというが、『三文オペラ』は日本でもしばしば上演権が問題化されるので、あえて一言。ブレヒトはすでにパブリック・ドメイン、そして舞台は本来的にクリエイティブ・コモンズであろう。これは上演の権利を謳う「ポストドラマ演劇」の理念でもある。

f:id:tanigawamichiko:20171205014616j:plain

 ここまで書いて、もう一言、蛇足を重ねたくなりました。

 近畿大文芸学部舞台芸術専攻は、演劇創作系、舞踊創作系、戯曲創作系、トッププロデュース系にわかれつつ、それぞれ自由な選択をしながら四年間で、舞台芸術のプロとして通用する教養と技術を身に着けるという。四年で十回ほどのさまざまな舞台を経験し、カリキュラムを見ても、今度の卒業公演を見ても、演劇人のプロを養成している。それなのに日本では、プロの演劇人として受け入れて、育ててくれる場所やシステムが圧倒的に不足している。それぞれにフリーで劇団や作品を創って認められるまで頑張る、という道もあろうが、食べて生活していける保障はない。これだけの演劇教育を受けて人材が育ちながら、もったいない話です。

 演劇王国と言われるドイツをはじめヨーロッパの劇場は主軸が公立で、劇場=劇団=専属劇団。ドイツでは150を数える公立劇場の劇団員は平均三百人。つまり公務員で、劇場収入は必要経費の三割という潤沢な助成金で支えられ、社会の重要な文化の柱として存在している。ヨーロッパ市民社会の根付きの豊かさでしょうか。

 そこまでの道のりは遠くても、日本でも公立劇場の建設が一九九〇年頃からやっと現実となってきた。しかしハード/箱物としての立派な劇場はできても、中身の劇団や何をやるかのソフトウエア―のない状況で、付属劇団のあるのは静岡SPACや兵庫のピッコロ劇団くらいか、どの劇場も少ない人材や予算で、劇場監督や指定管理者制度のもとでそれぞれ必死に模索しているというのが現状だろう。埼玉の彩の国劇場では蜷川幸雄氏が、全シェイクスピア作品上演や、高齢者のゴールドシアターや若者のネクストシアターという拓かれた試みを、彼なりの天才的なやり方で果敢にやってのけて、与野本町の駅から劇場までの路上には、シェイクスピアの名文句の書かれた敷石が夜間には下から照らされ、脇には出演した俳優たちの手形やサインも飾られ、「演劇の街」つくりへの意欲や夢、プライドも感じられたが、そんなこんなのレガシーはどう引き継がれていくのでしょう。気になるところ。

 演劇教育も、千田是也氏が俳優座とともに必死の自前で俳優座養成所を設立し、たくさんの演劇人や新しい劇団を育て、日本の演劇界を支えた。そして演劇教育はやはり大学教育の場で引き受けるべきだとして生まれたのが桐朋学園短期大学演劇専攻。2015年にドイツ人ゲスナー先生演出の卒業公演で拙訳『三文オペラ』も俳優座劇場で上演され、我がブログでも触れているのだが、その時も同じことを考えた。他にも関東には演劇系大学が五つあって五演劇大学連合の連携共同制作公演を行っている。「演大連」というらしい、次世代文化創造の文化庁委託事業だ。私も時々覗くが、2016年に東京芸術劇場で観た野上絹代演出の野田秀樹作『カノン』などもなかなかのものだった。こういう人材が未来形で育っていくには何が必要可能なのだろう。演劇教育の側も、劇場や観客、地域や実践の場との連携を必死に図っている。それぞれの模索の手がウイン・ウインでつながる方法や可能性はあるのではないか。いろんな演劇がいろんなつながりで楽しく広がってほしい。演劇は古今東西の遺産だ。

 

 実は近畿大学のこの『三文オペラ』の卒業公演の時に、たまたま再来年開館予定という東大阪市のホール「創造文化館」に携わっておられる畑中浩明さんという方が観に来ておられてそんな話もしたので、ついついこの文章もそういう連関になった。

 劇場と大学と地域や市民がいい形でともに育て合い、支え合い、学び遊びあうような、結びつき。繰り返しになるが、演劇はワークイン・プログレス。上演者の観客や舞台への立ち位置とプロセスが見えてこそが醍醐味である。そうきたか、そこまで育ったか。学生ならぬ平均年齢77歳の埼玉ゴールドシアターなどはパリ公演までやってのけた。演劇専攻の若い学生や卒業生もその成長の可能性を、地域や劇場や大学が大きな眼差しと度量で引き受けて育ててほしいものだ。

 半世紀も日独の演劇にかかわってきた去り行く老兵としては、語りだせばきりがないほど言いたいことも思いも深いので、「ゆとり世代」から学びつつ、この辺でやめますが・・・ビバ、若者と演劇!! ビバ『三文オペラ』❕

f:id:tanigawamichiko:20171205014726j:plain  f:id:tanigawamichiko:20171205014748j:plain

f:id:tanigawamichiko:20171210124338j:plain

          写真/石塚洋史

『フジタの白鳥』

もうひとつ、昨年の成果としてぜひともご紹介させていただきたいのは、佐野勝也著『フジタの白鳥―画家藤田嗣治の舞台美術』です。

2015年12月の東京外語大学付属図書館主催の公開講演会「演劇という文化」、その内容もこのブログに転載させてもらいましたが、その時に触れた外語大の語劇プロジェクトにおいて、われらが片腕として頑張ってくださったスペイン語科OBの佐野勝也氏、その後、早稲田大学院に進学して博士論文を仕上げてその刊行を心待ちにしているさなかに急病で無念にも54歳で逝去。あの講演会の日が葬儀でした。前日のお通夜で、親しい友人で、何としても彼の思いを形にしてあげようねと立ち上がったのが「佐野勝也論文集刊行委員会」で、一周忌には間に合いませんでしたが、年明けの一月に上梓されました。

編集は、あの語劇本『劇場を世界に―外国語劇の歴史と挑戦』を同志のようにともに手掛けてくれた原島康晴氏、発行はエディマン+新宿書房、装丁も宗利淳一氏、宇野亜喜良氏が表紙に素敵な挿画も描いてくださいました。とても素敵な本に仕上がっています。

あの画家の藤田嗣治にこんな舞台美術の仕事があったのかという、これまでほとんど知られていなかったそういうフジタの側面を、日本ではほぼ初めて紹介する画期的な本で、その佐野さんの『フジタの白鳥』の書評での紹介もいくつか掲載されました。

4月7日号の『週刊読書人』では、演劇評論家・高橋宏幸さんが、そして4月8日の『日経新聞』では、三浦雅士さんが書評を書いてくださいました。

佐野さんの執念ともいうべき熱い思いと、それを支える皆の思いがしっかりとひとつの素敵な形になったなと、感無量です。そしてこれも佐野さんが思い篤く働きかけ続けてきた努力の成果なのですが、東京シティ・バレエ団が、2018年の3月に50周年記念公演として、藤田嗣治の舞台美術で『白鳥の湖』上演の情報をついにリリースしました。

佐野さんは亡くなってしまいましたが、こうして彼の情熱がマーチを続けていること、多くの方に支えられていること、彼の足跡を感じるとともに周囲の人たちの温かさを感じます。心から皆さんへの感謝と嬉しい思いをこめて、ここにお知らせさせていただきます。

 

                       f:id:tanigawamichiko:20170628015742j:plain

f:id:tanigawamichiko:20170628015756j:plain

『メイエルホリドとブレヒトの演劇』

『メイエルホリドとブレヒトの演劇』

 

この間の2016年に力を注いだ仕事としては、『メイエルホリドとブレヒトの演劇』があります。ずっと抱えてきて、2016年11月に玉川大学出版部から上梓されました。内容と経緯については、その「訳者あとがき」に触れられているので、了解を得て、そこから借用させていただきます。

    f:id:tanigawamichiko:20170627151806j:plain

『メイエルホリドとブレヒトの演劇』――訳者あとがき

 

 本書はKatherine Bliss Eaton, Theater of Meyerhold and Brecht, Westport; Greenwood Press, 1985の全訳である。キャサリン・ブリス・イートンは、ソヴィエト演劇と文化の研究者で、本書のほか、著書にKatherine Bliss Eaton, Daily Life in the Soviet Union, 2004、編著にEnemies of People: The Destruction of Soviet Literary, Theatre and Film Arts in the 1930s, 2001がある。

 『メイエルホリドとブレヒトの演劇』の原著は一九八五年にイギリスで出版された。これまで各国の演劇史研究の論文でたびたび参照、引用され、一九二〇-三〇年代の文化史研究において基礎文献の一つとなっている。日本では、本書の編訳者の一人である谷川が、当時『新日本文学』誌の編集長で、御茶の水書房の編集者でもあった久保覚氏からこの本の翻訳を依頼され、早い段階で全訳を行っていた。ところが、久保氏の急逝など諸事情が重なり、その訳稿は筐底に眠ったままになっていた。それ以来、長い年月を経て、二〇一〇年に早稲田大学演劇博物館「演劇映像学拠点」の主催でシンポジウム「メイエルホリドと越境の二〇世紀」(研究代表者、上田洋子)が開催されたことをきっかけに、本書の翻訳計画が再び持ち上がった。このタイミングでシンポジウムに参加していた伊藤愉にも声がかかり、最終的に谷川と伊藤の二人で翻訳を担当する形で今回の出版に至った。

 

 本書の特徴は、タイトルの示す通り、二〇世紀を代表する二人の演劇人、フセヴォロド・メイエルホリドとベルトルト・ブレヒトの演劇実践を関係づけているところにある。いみじくも、イートンが序章で述べているように、一九二〇-三〇年代、世界演劇において名を馳せていたのはブレヒトよりも圧倒的にメイエルホリドだった。ブレヒトに限らず、多くの演劇人たちが肯定・否定の違いはあれど、彼の影響を受けていたのである。ところが、周知のようにソ連時代にスターリンの粛清の嵐が吹き荒れ、メイエルホリドの名は歴史から抹殺され、その存在自体が無きものとされてしまった。一九五五年の名誉回復、そして一九六〇年代のメイエルホリド研究の第一次興隆を経て、彼は再び歴史に戻ってきたが、それでも依然として正当な評価を受けているとは言いがたい。イートンの狙いは第一に、ブレヒトの先駆者として位置付けることで、こうしたメイエルホリドの復権を試みることにあった。もちろん、このような問題意識はイートンがこの本を著した一九八五年時点のものであり、その後ソ連崩壊を経て、多くの情報が公開され、メイエルホリドの活動の実際は次第に明らかになってきている。しかし、日本に目を向けた場合、この問題意識は依然として有効であることは明らかだろう。

 かたやブレヒトは、現代演劇はブレヒト抜きでは語れないと言われるほどに、第二次大戦後、世界中である種「熱狂的に」受け入れられた。「ブレヒトの時代」とでも言うべき現象である。戯曲(ドラマ)と上演(シアター)両極での「叙事的演劇」、「異化効果」など、二〇世紀演劇のキーワードとなる手法を編み出したとされている彼の仕事は、一九六八年からは西ドイツでもシェイクスピアをしのぐ最多上演作家になり、日本でも一九六〇-七〇年代に翻訳・紹介・上演が相次いだ。あるいは単なる作品の受容を超えた「ブレヒトなきブレヒト受容」と言われるような方法論的革新の契機として、一九七〇-八〇年代には世界中で劇作家にも演出家にも、果てはピナ・バウシュの「タンツ・テアター」にも影響を与えた。八〇年代後半には逆に、「ブレヒト疲れ」という言葉が流行語になったほどだ。だが、イートンの主張に従えば、こうした世界演劇史においてブレヒトの「発明」として受け入れられてきた多くの試みが、それに先立つメイエルホリドの実践に確認できるのである。こうした歴史的に後発のブレヒトに対して、本書では、やや皮肉まじりに「《偉大な》借用者(“great” borrower)」という表現があてられている。見方によっては「剽窃」とも受け止められかねないこの表現が意味するところは、しかし、決してネガティヴなものではない。イートンは、アイデアの源泉を指摘しつつも、ブレヒトの業績をメイエルホリドの発明に還元するのではなく、その独自の展開におけるオリジナリティを論じ、二人の演劇人の創作の価値を伝える。両者の手法を具体的に参照し、紹介しながら論じるイートンの記述からは、たしかにブレヒトの実践における「メイエルホリド的要素」を確認できる。だが、その一方で〈借用(あるいは剽窃)/受容〉とその独自の展開は、伝統演劇に想を得て新しい演劇を構想したメイエルホリドにも見られる側面であり、そもそも歴史とはそのように更新されていくものである。こうした受容史は、例えば二〇世紀後半にブレヒトとメイエルホリドの方法を継承したロシア人演出家ユーリー・リュビーモフにもしばしば指摘され、また、日本の鈴木忠志が「本歌取り」と名付けるコラージュの方法も、あるいはハイナー・ミュラーが『画の描写』(一九八四年)の注の中で「補筆彩色(Übermalung)/レイヤー」と呼んだ手法も同様だろう。

 イートンの記述が興味深いのは、こうしたメイエルホリドとブレヒトの関係を、ロシア、ドイツ両国の文化交流史というべき人間関係の中に描き出そうとしているところである。これが本書のもう一つの特徴だろう。たしかにイートンは、メイエルホリドとブレヒトという具体的な名前に限定して論を展開している。さらに言えば、本書で言及されるブレヒトは「演出家ブレヒト」であり、劇作家としての彼の側面は敢えて掘り下げられていない。しかし、こうした個別具体的な演出手法の比較、考察の先には、二〇世前半における重要な文化的コンテクストが拓かれている。この時代の交流史は一方では左翼人ネットワークがあり、また他方では亡命知識人らのネットワークがあり、きわめて広範で複雑だった。本書に登場するベンヤミン、ルナチャルスキー、アーシャ・ラツィス、トレチヤコフといった関係者たちは、そうした交流史において重要な役割を果たした人物たちで、メイエルホリドやブレヒトは、互いに直接的な言及は少なくても、こうしたネットワークの中で確かに近接していたのである。

 実際、一九二〇年代のドイツ・ロシア文化圏における相互交流は実に驚くべきものだった。例えば、メイエルホリドについては、次のような補足も可能だろう。メイエルホリド自身は、国外での上演がやや遅れたこともあり、とくにドイツでの受容に関しては、カーメルヌイ劇場の演出家タイーロフの後塵を拝した。しかしその一方で、イートンが指摘しているように、彼の演劇実践はドイツを代表する演劇人ピスカートア(彼もまた、国際革命演劇同盟(MORT)で活動しており、一九三一年から一九三六年にはモスクワに滞在していた)の思想、演出手法にも影響を与えていた。またメイエルホリド自身も、一九二〇年代後半から一九三〇年代にかけて構想していた未完の新劇場建設プロジェクトの設計において、ピスカートアの盟友でありバウハウス初代学長であったドイツ人建築家ヴァルター・グロピウスがピスカートアのために設計した「全体劇場」の影響を受けていたという指摘もある。あるいは、メイエルホリドが歌舞伎をはじめとする日本演劇の影響を受けていたことはよく知られているが、革命前の時代から彼はそうした情報を主にドイツ語の書物から得ていた。革命後にも、一九二五年にはドイツ人演出家、演劇批評家のカール・ハーゲマンの東洋演劇に関する書籍『諸民族の演技』(ドイツ語の原書は一九一九年出版)が三巻本でロシア語へ翻訳出版されるが、その第二巻は日本演劇に関する内容で、メイエルホリドの近くにいた人間たちはこぞってこの本を読んでいた。

 さらに言えば、近年、主にエリカ・フィッシャー=リヒテ(邦訳、『パフォーマンスの美学』論創社、二〇〇九、『演劇学へのいざない』国書刊行会、二〇一三年)らの活動により再評価を受けているドイツ人演劇学者マックス・ヘルマン(一八六五-一九四二)の「演劇学」創設の活動も同時代的にロシアに影響を与えていた。ロシアでは一九二〇年代にレニングラードの芸術史研究所演劇部門を中心として「演劇学派」が立ち上がるが、これはヘルマンの「戯曲ではなく上演」を分析対象とする「新しい学問としての演劇学」という思想をロシアなりに受容したものだった。このロシア演劇学の活動の中心にいたのが、アレクセイ・グヴォズジェフ(一八八七-一九三九)という演劇史学者で、彼こそがしばしば激論を呼び起こしたメイエルホリドの演劇活動を理論的に支えた、演出家にとって最も信頼のできる批評家、理論家だった。

 このように、二〇世紀前半において世界の演劇を牽引したドイツとロシア両国は互いに影響を与えあい、そうした文化的背景を背負いながらメイエルホリドとブレヒトは活動していたのである(そして、こうした文脈のなかに千田是也佐野碩土方与志村山知義、そして小山内薫といった日本人たちが入り込んでくる)。それゆえ、イートンが述べるように、ブレヒトの「異化効果」という用語がロシア・フォルマリズムに由来するもので、それがセルゲイ・トレチヤコフを通じてブレヒトの演劇理論へと移入されたことなど、彼女の主張の多くが十分な説得力を持っている。ソ連崩壊後の私たちには、ソ連時代は「鉄のカーテン」があって、すべてが遮断されていたイメージが強いが、一九二〇年代、そして三〇年代においてもなお、情報や人的な交流が活発になされていたことをあらためて問い直すことは、この時代の世界の文化・芸術地図を正しく把握するために重要だろう。

 四半世紀前の一九八五年の著作として、現在から見れば、本書は情報の不足や誤認、またそれに起因する論証の甘さなども指摘できる。とはいえ、トレチヤコフやアーシャ・ラツィス、ベンヤミンら、ロシア演劇に関するブレーンたちがブレヒトに提供した情報を丹念に追いながら、個々の作品や演出方法を例にとってブレヒトとメイエルホリドの新しさと面白さを示してくれる本書は、二〇世紀を代表する二人の演劇人の活動を、歴史的事実から読み解く格好の入門書ともなってくれるだろう。冒頭でも述べたように、メイエルホリドとブレヒトの接続を的確に捉えた本書は、現在でも各国の演劇研究で参照され続けている。その意味では時代を超えて読まれる価値が本書にはあり、基礎文献としての意義を十分に有している。

 

 本書の構成は、第一章でブレヒトのメイエルホリド演劇との出会いに触れ、第二章と第三章でメイエルホリドの演劇について、第四章でそのブレヒトなりの受容を語り、最後の第五章で、メイエルホリドの先駆性を改めて主張しながら、両者の時代的な革新性を指摘するに至る。これに加え、本書では、この間のいきさつを踏まえて、イートンの記述への補足・展開として編訳者の谷川と伊藤に、演劇批評家の鴻英良氏を加えた三つの論考を添えた。

 それぞれ、谷川道子「現代演劇へのパラダイム・チェンジ――メイエルホリドとブレヒトベンヤミンの位相」は、一九二六年に上演されたメイエルホリドの『査察官』を基軸に、二人の演劇人にベンヤミンを介在させ、ブレヒトベンヤミンの相関関係を、時代の変遷を押さえつつ解説している。伊藤愉「現実を解剖せよ――討論劇『子どもが欲しい』再考」は、ブレヒトと最も親しかった作家セルゲイ・トレチヤコフの戯曲『子どもが欲しい』を、メイエルホリドの上演計画とともに紹介している。鴻英良「叙事詩と革命、もしくは反乱――メイエルホリドとブレヒト」は、革命後、ソヴィエト最初の戯曲と言われるマヤコフスキー『ミステリヤ・ブッフ』を中心に、叙事詩における「革命を記述する」機能を読み解き、イートンとはまた異なる視点からメイエルホリドとブレヒトの連関を論じている。なお、鴻氏には、訳文に関しても細かいご指摘をいただいた。この場を借りて御礼申し上げる。

 いずれの論考も、一九八五年の出版から現在にいたるまでに明らかになった事実などを補足情報として取り入れつつ、読者にとってイートンの本文を読む上で補助線となることを意識して(しかし、それぞれの論者の立場を保ちつつ)記した。時代背景の事実、情報もそれぞれの論者が記述しているため、イートンが扱う時代の厚みと複雑さを少しでも味わっていただければ幸いである。

 二〇世紀初頭の激動の時代を生きた二人の演劇人は、ともに演劇と社会との関係、演劇が社会に与える影響、あるいはある時代において演劇を行うことの意味を問い続けた。本書には、しばしば「民衆」あるいは「大衆」と訳しうる用語(people / public / masses)が登場する。しかし、これらの用語が意味するところは必ずしも明確ではない。それは、もちろんイートンの瑕疵ではない。メイエルホリドとブレヒトの時代、「大衆」、「民衆」そして「観客」という言葉は、様々な意味を帯びながら多様に用いられた。その意味が揺れ動くなかで演劇を行うことこそが、演劇と社会の関係を問うことでもあったと言えるだろう。そこに答えは当然ない。しかし問わずにはいられない状況に彼らは生きていた。私たち一人一人がいま現在も「大衆」、「民衆」であるならば、その存在自体を問うた演劇人たちの活動を私たちが再度読み直すことは、同じ問いを今の私たちもまた投げかけられるということでもある。それゆえ、本書が、単なる時代考証の研究成果としてだけではなく、確かなアクテュアリティを持って、読者の方々に読まれることを願ってやまない。

 

 なお、訳出に際しては、イートンが引用しているロシア語、ドイツ語の原文に当たれるものは、極力原文を参照し、イートンの文意が損なわれない範囲で、適宜原文の文脈をなるべく拾いあげるようにした。また情報の単純な誤り、頁数の誤表記などに関しては、特に断りがない限り、訳出の際に訂正を施している。基本的に谷川がかつて訳してあった原稿を元に、改めて伊藤と谷川で全面的に見直しを行った。ドイツ、ロシアそれぞれの国、言語における細かい事実確認等は谷川、伊藤がそれぞれの専門を担当しつつ、何度もやり取りを重ねたが、不備、不足もあるかもしれない。その責任は両者にある。お気づきの際はご指摘、ご教示いただければ幸いである。

 最後に、本書出版計画のきっかけとなったメイエルホリド・シンポジウムを企画してくださった上田洋子さん、煩雑な編集作業を引き受けてくださった竹中龍太さん、装幀をしていただいた宗利淳一さん、そしてなにより、本書の意義をご理解いただき、出版の機会を与えてくださった玉川大学出版部の森貴志さんと相馬さやかさんに心よりの感謝を申し上げます。

 長い年月をかけてようやく本書の日本語訳を刊行できることとなったことは望外の喜びで、この先の若い世代、次の世代の読者の方々に末長く愛される本となりますよう。

 

 二〇一六年初夏 
                                      

                            谷川道子、伊藤愉

f:id:tanigawamichiko:20170627152054j:plain

    (図書新聞2017年3月25日号に掲載された高橋宏幸氏による書評)