谷川道子ブログ

東大大学院修了(ドイツ演劇)。東京外国語大学教授。現在、東京外国語大学名誉教授。

中川安奈さんのお別れ会のこと。  

 

中川安奈さんのお別れ会のこと。

 

 女優中川安奈さんが、去る11月17日に癌のために49歳の若さで急逝された。そのお別れの会が11月24日に青山葬儀所で執り行われた。

真っ白な斎場の奥に、安奈さんの凛とした美しい遺影を、100万本の(実際は2000本とか)真っ赤なバラが取り囲む。夫君栗山民也氏の意向というが、それは、無念にも若く美しいさなかに彼岸に召されてしまった安奈さんにふさわしく、まだまだ女優としてこれから大輪の花を咲かせられたであろう中川安奈さんの可能性への我々の最後のカーテンコールでもあった。最後の一人一人の献花も真紅の薔薇だった。

 

 映画『敦煌』でデビューし、新人賞など総なめしたが、たくさんの映画やテレビの出演はあっても、ドイツ演劇研究者の私にとってはやはり舞台女優だった。シェイクスピアの舞台などでも映えた姿で際立っていたが、私にとって忘れがたい作品をあげるならば2つ。

 ひとつは、2006年、世田谷パブリックシアターで上演された宮沢章夫作・演出の『鵺/NUE』。これはこの劇場の芸術監督野村萬斎による「現代能楽集」シリーズの第3弾。能の物語や様式を大胆に現代演劇へと架橋・融合させる試みを目指して2002年に始まったもの。第1弾は川村毅作・演出『AOI/KOMACHI』、第2弾は鐘下辰夫作・演出『求塚』。第3弾は世阿弥の作と言われる夢幻能『鵺』――「頭は猿、尾は蛇、足手は虎のごとく、鳴く声鵺に似たりける」と怖れられる怪物「鵺」の霊を旅の僧が弔い成仏する…という話を、若い宮沢(1956~)は、国際空港の待合室でのヨーロッパ公演を終えた日本人演劇団員たちの前に現れた黒づくめの男に変換する。清水邦夫の作品群が引用され、演出家は1970年前後の蜷川幸雄を思わせ、この日本に帰りそびれた男は現代人劇場の岡田英次か蟹江敬三か。そういう中で小劇場系の日本人演劇団を率いる制作者役が中川安奈、彼女だけなぜか「桐山雅子」という固有名で登場、すべては暗喩的な時空にあるのだが、60-70年代のアングラ演劇と、宮沢も含めたその後の小劇場世代が対峙するのは、40年間をはさんだ、いわば行き場のなくなった鵺的な演劇のトポスだろうか、安奈さんはそんな不思議な中間地帯でさりげなく制作者を演じて見せた。詳しくは拙著第4章参照。

 

 もうひとつが、「日本におけるドイツ年」で来日した、シュリンゲンジーフと並ぶ鬼才ルネ・ポレシュの作・演出による『皆に伝えよ、ソイレント・グリーンは人肉だと』。というベニサンピットでのtpt公演。題名からして不思議だが、映画『ソイレント・グリーン』と『ブギーナイツ』をもとに。ポレシュが勝手自在に作・演出。ホストクラブのようなエログロの空間に3人の女と一人の男(中川安奈木内みどり池田有希子長谷川博己)が登場し、ベッドに固まって代わる代わるマイクでささやくように、ミシェル・フーコーからの引用のようなセックスやお金にまつわる哲学的言葉をしゃべり続ける、何の筋書きもない言葉の奔流…・ドイツはベルリンのフォルクスビューネでの付属プラーター小劇場でのポレシュ作品を知る身には周知のポレシュ流の言葉と動きの洪水なのだが、しかもしゃべっている俳優のアップや表情が大型スクリーンに映されたり、叫んだり、踊ったりのチープなパフォーマンスが挟まったり…・しかも4人の俳優たちはあらかじめ決められた役や台詞をしゃべるのではなく、ポレシュの書いた言葉を俳優自身の心で受けとめて語るように要請される。俳優たちは知を求める存在で、「演技をするな」、フーコー/ポレシュのテクストを自分たちなりに理解・思考して表現せよと…安奈さんをはじめ4人の俳優さんたちはその頃すでに十分に日本では有名な役者さんたち。よくこういう芝居への出演を引き受けたと思わせるほどの思い切った演技と表情と対応で、強烈な演劇体験を観る者にも迫ってくる。

台本を翻訳したのが我が教え子で仕事仲間の本田雅也/木内宏昌の両名だったこともあって、その稽古のプロセスも聞かせて貰ったものだが、最初は戸惑ったというが、木内みどりさんのインタビューを借りると、「ポレシュ以前とポレシュ以後に分かれるぐらい影響が大きかった」という。私自身、2002年に初めてベルリンのプラーター小屋でポレシュを観たときは、何が何やらちんぷんかんぷん、それでも切符が買えないほどの連日の人気ぶりだった。ともあれドイツ演劇の過激さは半端ではない。だが日本での4人の俳優さんたちの「演技」への勇気と思い切りの良さにも共感と敬意を感じたものだ。

 

 祖父が千田是也氏で祖母がドイツ人妻のイルゼさんというクオーターで、あるパーティで同席して見とれて思わず「本当にお美しい方なのですね」と口にしたら、「そんな…」と困った顔をされたこともあったっけ。お別れの会では、共演した熊谷真美さんが、「なぜ栗山さんの芝居に出ないの」と聞いたら、「人生を全部演出してもらっているから、舞台には出なくていいの」と答えられたという。でもまだまだこれからの女優さんだった。私個人は、安奈さんのヘレナ役で栗山民也演出の『ファウスト 第2部』を観たかった。