谷川道子ブログ

東大大学院修了(ドイツ演劇)。東京外国語大学教授。現在、東京外国語大学名誉教授。

TMPとやなぎみわの『神話機械展 MM』終了

 2018年に美術家やなぎみわから、学生たちの手作りのギリシア神話に基づく「神話機械」の中に、ハイナー・ミュラーの『メデアマテリアルMM』のテクストを中心にしたライブパフォーマンスを挟んだ展覧会「やなぎみわ展 神話機械」を2019年度一年かけて各地の五つの美術館で巡回公演したい、という途方もないオファーを受けて、それならその枠の中にミュラーと多和田の作品に関連したパフォーマンスをちりばめられないかと背中を押され、2020年度までのTMP(Tawada/Mueller/Projekt)=(多和田葉子/ハイナー・ミュラー/プロジェクト)始動の肚を決めたのだった。その「神話機械展」が、2019年10~12月の神奈川県民ホールと2019年12~2020年2月の静岡県立美術館を最後についに幕を閉じた。先日その5美術館による報告書が送られてきた。巡回先で進化変容を遂げつつそれぞれ工夫を凝らした関連イベントも多彩豊かで、まずは記録と記憶にとどめたいという主催者たちの思いがひしと伝わってくる。チームワークもあっぱれ、感無量である。

「谷川先生の脳内劇場」と揶揄われつつ演劇表象をめぐる思索と上演を関連させ試みをとさまざまな企画や可能性を思い描いたのだが、すれ違いや早とちりで、果ては2020年になってからはコロナウイルス禍に巻き込まれ、上演中止や延期、企画中断も挟んで、ここまできた。ミュラー関連では京都の新装なった民営劇場E9で劇団地点が『ハムレットマシーンHM』を上演。元来がドイツ演劇との縁も深く、ミュラーシェイクスピア脱構築した手法を活かしてきた劇団と捉えていたが、逆に原作にも戻しつつ彼らなりの斬新な「Jという場所」の探りとしてのHMにして見せた。そう来たかと。さらにいくつもの企画もあったのだが、捕れなかった皮算用を少し挙げれば、ベルリン・ゴーリキー劇場難民劇団の「HM」の招聘公演や、勅使川原三郎氏への『カルテット』ダンス化依頼、あるいはHMP(ハイナー・ミュラー・プロジェクト)の主軸であった劇作家故岸田理生を偲んだ13回目の〈リオ・アバンギャルド・フェス〉(このフェスはそれぞれ関わった原作=ミュラー=岸田=谷川=上演集団の上書きでクリエイティブ・コモンズの試みと言えようが)での劇団 風蝕異人街の『メディアマシーン』や『カルテット』の上演等々も、コロナ禍で中止・延期となったり…。多和田葉子の演劇は11月を中心に公演できた。

 こうした主として2019年度の活動は、東京外国語大学出版会から2020年夏に刊行予定の『多和田葉子ハイナー・ミュラー~演劇表象の現場~』という本に、多和田の修士論文邦訳とカバレット上演台本を合わせ鏡にする形で、様々な論者の論考や舞台実践記録をまとめて集大成される予定である。連動して秋には『多和田葉子の〈演劇〉を読む』も論創社から刊行予定。まだまだコロナ禍の動態の先が読めないなかで、あれもこれもいまだに捕らぬ狸の皮算用ながら、とりあえず「神話機械展」の終了にエールを贈る思いで、神奈川県民ホール静岡県立美術館でのトークの際に参考として配布した資料をここに採録して、次の「多和田葉子の〈演劇〉」の展開の段階へのつなぎとしたい。

 

1)  ハイナー・ミュラー(1929~1995)とは何者か

今は亡き国、30年前に分裂していた二つの国が統一して、消えてしまった国「ドイツ民主共和国」、通称「東ドイツ」。40年間存在して、その前はヒトラーナチス第三帝国。その前はワイマル共和国。ハイナー・ミュラーは、そういう時代の転変を、東ドイツに在住しつつ、壁や境界、隙間を縫う様に巡って、現在と歴史を俯瞰的に透視する鳥の目をもつて、ブレヒトの後継者として、演劇や表象の可能性を探り続けた作家・劇作家・演出家である。70年代には東ドイツでは出版禁止や上演禁止に会い、西側で受容。次第に世界的なブームにさえなって行く。

 

2)その象徴のハムレットマシーン(HM)』シェイクスピアの『ハムレット』の翻訳上演台本を頼まれて、それがベッソン演出で東ベルリン・フォルクスビューネで1977年に上演された。しかしそれを解体しようと同時に極小のテクスト『ハムレットマシーン』を書き、西ドイツの演劇雑誌に発表される。「一体これは何なのだ」という謎の塊として、西側演劇界を席捲していく。フランスのジュルドイユ、アメリカのウイルソン、等々。ミュラー自身は、1989~90年に『ハムレット(H)』に『ハムレットマシーン(HM)』を挿入させた『ハムレット/マシーン(H/M)』を東ベルリン・ドイツ座で演出。ちょうど稽古の最中に、ドイツ座も中核となった東ドイツ民主化運動がおこり、あっという間にベルリンの壁が崩壊。1990年のH/Mの初日には、東ドイツ消滅が決まっており、H/Mのメーキング映画を撮影していたリューターは『タガの外れた時代』というドキュメント映画を完成させることとなった。偶然だったか、必然なのか、それがHMである。

 

3)『メデアマテリアルMM』は、もっとタイムスパンは大きい。アルゴー船の伝説神話はすでに紀元前800年のホメロス叙事詩にも出てくるし、エウリピデスの悲劇『メデイア』は紀元前400年。さらにセネカ、グリルパルツァー、アヌイ、等々と書き継がれ、ミュラーまで3000年近い歴史を持つ。

 簡単に伝説のあらましを。ギリシア神話の英雄イアソンは、簒奪された父の王位返還の代償に東の野蛮国コルキス王の金毛羊皮を要求され、遠征隊員たちとアルゴー船で蛮地コルキスへ向かう。コルキス王の娘メデイアはイアソンに一目惚れ、父も弟も裏切って薬物のエキスパートとしてイアソンを助け、ギリシアについていく。一度は王位奪還したものの、また追われ、二人の息子ともどもコリントスに逃れてクレオン王の庇護を受け、クレオン王の娘との結婚を望まれる。それを知ったメデイアは、復讐にクレオン王と娘を毒殺。二人の息子までわが手で殺し、竜の車に乗って逃れ去る。一人残されたイアソンは、諸説あるが、アルゴー船で漂流した後、壊れたアルゴー船の船首の下敷きになって死んだという。

 

4)ミュラーの『メデアマテリアルMM』は3部作になっていて、第1部は「落魄の岸辺」。ベルリン郊外の荒廃した湖のほとり、アルゴー船隊員たち等々のさまざまな残骸の風景。泥水の底からメデイアがいつか立ち上がってきて第2部『メデアマテリアル』。形はイアソンとの呪詛の対話。第3部が『アルゴー船隊員たちのいる風景』。とは言っても、「残るは抒情詩」のような「私とは誰?」という問いを巡るモノローグのよう、詠唱のコロスのよう。

第1部は1953年に、第2部は1974年、第3部は刊行時の1983年にと、30年余にわたって書かれたという。それぞれバラバラにも使われる。例えばブレヒト生誕百年祭にアメリカのウイルソンブレヒト劇場BEで上演出した『大洋横断飛行』は、『大洋横断飛行(技術科学の時代の開始)/アルゴー船隊員たちのいる風景(私とは誰?という人類滅亡の自意識)/地下生活者の手記(生存者の魂の牢獄)』という3部構成で、作者も「ブレヒトミュラードストエフスキー」となって、(ブレヒト生誕百年の20世紀をそう逆転させるのかと納得させる)一風変わった秀逸さだった。

 

5)対してやなぎみわの『神話機械MM』は、これだ!と思えるほどにミュラーの「風景」が立ち上がっていると感じさせる。MMのテーマは「風景」だ。3000年のトポスを30年かけて3部作にまとめ、真ん中にアルゴー船のイアソンと復讐するメデイアの〈私〉を置き、第3部の「私って誰?」は、現在の風景の中にも素材として溶解して遍在するイアソンとメデイアの「私」と「あなた」であろう。

「イアソンの物語は植民地についての最古の神話なのです。ギリシア神話では最古でしょう。そしてイアソンの最期は、神話から歴史への過渡にある閾です。イアソンは自分自身の船によって打ち殺されるのですから」。(ミュラー)。ギリシアの勝利は、今なお遍在する文明・男性社会の成立と、敗者・女性の野蛮の抑圧で、アルゴー船はいまなお世界を漂う3000年続く風景、神話の難民の海、人類の記憶の岸辺だ。

 やなぎみわは、ミュラーのテクストを再現でなく、時空不特定のビジュアルマシンに変換し(友人の文化人類学者は「ポルポト政権の遺骸の山に再会させられたようだ」と言った)、有人公演ではそこに演者と奏者の二人を演劇代表で登場させ、あるいは無人公演の時は手造り感満載のマシーン(現代の「デウス・エクス・マキナ機械仕掛けの神)」?)に、HMとMMからのさらに抽出したやなぎ再読異聞の短いテクストのエキスを語らせるだけだ。それなのに、立ち上がった「風景」が、そんなこんなをしっかり謎かけのように語り掛けてくる。

「風景というのは個体よりも長生きするものです。そうしながら風景は人間の消滅を待っている、類としての自らの未来を考慮することなく風景を荒廃させている人間の消滅をね」(ミュラー)。ここが劇場でなく、やなぎみわの設えによる美術のための展示空間であるのも決定的なのだろう。キチッと本質を透視してすぐにビジョン化して「そこの風景」として実現させてしまう。半端ない、やなぎみわのイメージと思考はすでに早くも、現代のアルゴー難民船の野外マシーン劇へと展開しているようなのだが。

f:id:tanigawamichiko:20200702194927j:plain

やなぎみわ展 神話機械   ライブパフォーマンス『MM』  撮影:bozzo

やなぎみわ展 神話機械
ライブパフォーマンス『MM』
構成・演出:やなぎみわ
出演:高山のえみ
音楽:内橋和久
公演日:2019年11月29日(金)、30日(土)各19:30~
会場:神奈川県民ホールギャラリー 第5展示室

「地点」という新しい地点 ~ Theatre E9 Kyoto でのTMP・HM上演に寄せて

 日本にも遂にこういう演劇集団が登場したのかと、いつだったか感じ入った。どう新しいか。媚びないのである。観客に対して「わかって下さい」などと媚びない、退かない。だってこれが「演劇」なのだから。その点で彼らは本気の確信犯である。だからと言って、「わからない」と独り言ちて帰る観客を、ただ放り出すわけではない。しかし、へたな弁解の解説をするわけでもない。


「カルチベート・プログラム」 

 年度によるが、「カルチベート・プログラム」というのが開催される。例えば2014年度は、2013年に自前で作った(けっこう格好いい)アトリエ「アンダースロー」で上演される合計6本の公演と3回のレクチャーをすべて無料で受けて、終了後にのちに冊子として刊行される報告エッセイを提出するという企画。定員40名の参加者は募集。私自身は参加したことはないが、この報告集を読むのは、実に面白く楽しい。自称演劇研究者の訳知り顔の文言ではなく、殆ど観劇体験のない若者が(?)、必死で(無料ほど苦労は高くつく?)自分の言葉で観劇体験を身近な人に語り掛けようとしている文章が面白くないはずがない。おまけに「カルチベート(耕す)チケット」というのもあって、より多くの観客に広がるように余分の切符代を観客がカンパする制度である。常設レパートリーシアターである「地点」(基本定額3000円)の観客は、リピーターも多く、今は定員40名がいつもほぼ満員だという。のみならず、提携する大きな横浜KAAT神奈川芸術劇場での「地点」公演も、新人松原俊太郎の戯曲『山山』(2019年度岸田戯曲賞受賞!)でも、客席はほぼ全員が若い観客であることに、老輩の私は驚いたものだ。これが報告冊子に謳う太宰治の「真にカルチベートされた人間」だろうか! 実例をひとつ。「カルチベート・プログラム2014報告エッセイ集」の中から――「なにか外に出る機会がないかと探しておりましたら〈地点〉〈空間現代〉〈ファッツアー〉という固有名詞を目にしましてね。「…」これは行くしかない、重い腰を引きづって赤いビロードの洒落た椅子に座って観終わったらもうものすごかった。打ちのめされてそのあと三度観に行きました。これからも観続けます。これが初演劇だったのは不幸中の幸いでした。「…」『ファッツアー』は、まずはわけが分からない。圧倒されます。20世紀前半に書かれたこの戯曲が「アクチュアル」になってしまう現代がどうかしているのでしょう。…『ファッツアー』を観ていて退屈するなんてことは、相当な平和ボケでない限りあり得ないでしょう。…」これを書いたのが、岸田戯曲賞を今年貰った松原俊太郎氏である。カルチベート…?

f:id:tanigawamichiko:20190703154520j:plain

『山山』撮影:松見拓也

 つい制度から語ってしまったが、全体を貫くこういう姿勢こそが「地点」というプロ劇団の新地点だからだ。新しくないはずがない。彼らがめざすのは、近代劇を乗り越えた現代演劇が、日本の観客に根づくことなのだろう。

 

「地点」と三浦基と太田省吾

 「地点」を率いる三浦基氏に会ったのは、たしか2001年のベルリンだった。ベルリン在住の旧友、ミヒャエル・ヘルターと河合純枝夫妻から、「今日面白い日本人青年に会うから一緒に」と誘われた。ミヒャエルは、ベケットで博士号を取り、ベルリンでのベケット自身の『ゴドー』初演出を助手としてもサポートし、その後に「68年世代」として、旧病院を改築したベターニエン芸術家会館を創立し、諸ジャンルを横断した東欧・アジア圏などの芸術家との交流の場として主宰し、美術評論家の純枝さんと日本の『BUTOH舞踏』を紹介したり、太田省吾の沈黙劇『風の駅』をベルリン招聘したりした中心人物だ。一方、三浦さんは文化庁派遣で青年団からパリに滞在中。フランス語と日独語のクロスで、主な話題は、たしかベケットの話と、純枝さんが気に入って邦訳していたノルウエーの劇作家ヨン・フォッセのこと。その頃「21世紀のベケット」とか「イプセンの再来」として注目され始めていて、私も京都の太田さん宅で、純枝さんから日本で上演できないかと送ってきたという邦訳台本を手渡されてもいた。この出会いから生まれたのが、2004年の太田省吾と三浦基の競演出のヨン・フォッセ上演シリーズだ。「地点」の根っこには、演劇の可能性を極大・極小に自在化したベケットも存在しているのだろう。太田省吾氏も自作以外に演出したのはベケットとフォッセだけだったが、2007年に無念にも他界…。ちなみに「地点」は2005年に青年団平田オリザ氏に〈自立〉を学んだと聞く!)から独立して拠点を京都に移して活動を本格化、2007年から〈チェーホフ四大戯曲上演〉シリーズに取り組んだのも太田省吾の遺言を受けてのことだったというが、高い評価を得て、それらもロシア各地で招聘公演を果たしている。フォッセの『だれか、来る』も太田氏から引き継いでアトリエ「アンダースロー」でのレパートリーにし、2019年9月にはノルウェーオスロに招聘されることになっている。どういうわけか、ご縁は続く。

 

f:id:tanigawamichiko:20190703153101j:plain

『光のない。』撮影:松見拓也

「地点」とドイツ演劇~まずはイェリネクから

 私の専門領域であるドイツ演劇と「地点」の関係について記させていただく。2004年のフォッセを観て、2007年の太田さんの逝去をはさんで以降、定年退職やクモ膜下手術等々で、連絡やDVDは頂きながら観劇の機会を逃していたが、地点イェリネクの第一弾『光のない。』は何とか観ることができた。フクシマ原発事故を受けての2012年秋の国際演劇祭F/T(フェスティバル/トーキョー)は、「言葉の彼方へ」とイェリネクを特集テーマに、地点は『光のない。』(林立騎訳)を委嘱される。三浦基の演出はテクストの演劇的な核と真正面から向き合った。無限に拡散する光/放射能と声にならない死者たちの言葉、メディアを中心に語られる狂騒的な意味不明の多弁…それらがどういう主体によってどう生まれているのかを問いかける。三輪眞弘の作曲と、木津潤平の建築的な舞台美術と、地点メンバーの鍛え抜かれた独自の身体と発声――そういった圧倒的な空間での言葉の強度と声と音と身体の迫力が、負けてなるかと、姿や得体の知れない恐怖と対峙する。この演劇の場で「地点」はイェリネクと出会った、と私は体感した。地点イェリネク第2弾は2016年のKAATでの『スポーツ劇』、第3弾がアンダースローでの2017年の拙訳『汝、気にすることなかれ』と続いた。 

f:id:tanigawamichiko:20190703153138j:plain

『スポーツ劇』撮影:松見拓也

イェリネク/ブレヒト/ミュラー 

 そういった2012年の『光のない。』観劇後に、久しぶりに三浦基氏と再会。せっかちに前向きの彼は讃辞など不要とばかりに、「次は何を上演すればいいですかね」と問いかけてくる。「イェリネクの後は―やはりその前のブレヒトミュラーはやってほしい、両方一体でなら、『ファッツァー』かな」と私は提案。   

 ブレヒト1920年代に、新しい未来形の演劇を模索し始めたのが一連の〈教育劇〉と総称される試みだ。その先に亡命期を通じても未完の膨大な断片群として遺されたのが『ファッツァー』。ミュラーはこのテクストを「ブレヒトの最上のテクスト」、「技術的には最高の水準」「百年に一度の作品」とみなして、膨大な遺稿を取捨選択・再構成して「ブレヒトミュラー版」ともいえる『ファッツァー』を完成させ、ハンブルグ劇場の依頼も受けて、1978年に初演されている。70年代はシュタインヴェークらの研究者によってブレヒト演劇における〈教育劇〉再評価の波が到来していたのだが、それを受けた上でかわすかのように、1977年にミュラーが書いたのが「教育劇への決別宣言」だった。


「シュタインヴェーク様。〈教育劇〉についての私たちの対談から第三者にとって役に立ちそうな物をひねり出そうと努めたのですが、気乗りがしなくなりました。挫折です、〈教育劇〉についてはもう何も思いつきません。「…」次の地震が来るまでは、我々は〈教育劇〉と決別するしかない、と思っています。「…」モグラ、あるいは構築的な敗北主義です」。
 

 同じ1977年に『ハムレットマシーンHM』も生まれたのである。『ファッツァー』を挟んで、いわばこの三者は、演劇の可能性の探りとして三位一体だったのではないか。実は未来社の『ハイナー・ミュラー・テクスト集』の第4巻として『ファッツァー』と『指令』と遺作『ゲルマーニア3』を収めて刊行する予定だったのだが、間に合わなかった。

f:id:tanigawamichiko:20190703153041j:plain

『ファッツァー』撮影:松本久木

 その『ファッツァー』を2013年に、「地点」はアンダースローで、若い津崎正行氏の渾身の邦訳(「舞台芸術」誌所収)によって、「空間現代」のロックの生バンドとあの地点役者たちの声と身体で、強烈な謎かけのパンチとして初演してくれたのだった。それは松原氏のみならず、若い観客たちには謎かけが大受けで、劇団のヒット作となる! しかもこの『ファッツァー』は、2016年に本場ドイツはミュールハイム市での「第5回ファッツァー祭」に正式に招かれて公演し、かつ三浦氏も講演。それらのドキュメント論集も「ミュールハイム・ファッツァー叢書5」の“Not, Lehre, Wirklichkeit(悲惨、教訓、現実)”として、豊富な写真入りで2017年にNeofilsVerlagから刊行されている。モスクワや中国の北京・上海でも招待されて客演したらしい。こういう越境性は快挙だろう。

 それだけではない。翌年にはブレヒトの20以上の戯曲や詩から神、金、愛、戦争、芝居というテーマ別に言葉を抜粋したコラージュ劇『ブレヒト売り』まで創って見せた。音楽家の桜井圭介氏との共同作業と言うが、確かにリズミカルな音楽身体演劇でもある。ブレヒト作品のテクストをシャッフルして並べなおし、「買わんかい、ブレヒト!」とガレージ・バーゲンセールならぬ『ブレヒト売り』。なるほど、そうきたか。そう出来るか、それもアリだなと、ブレヒト邦訳者の一人としてシャッポを脱いだ。『ブレヒト売り』も、今年2019年の夏のライプチヒ市立劇場でのブレヒト学会で正式招待公演することになっているという。

f:id:tanigawamichiko:20190703153118j:plain

ブレヒト売り』撮影:松見拓也

 これらのアレンジへの契機は、2010年夏のハワイ大学でのブレヒト学会。テーマが「アジアと/のブレヒト」だったので、平田栄一朗、市川明、ヨアヒム・ルケージの各氏らと4人で「日本と/のブレヒト」を発表した際のMC役を引き受けて下さったのがライプチヒ大学のギュンター・ヘーグ教授で、慶応大学の平田栄一朗氏がよろずの仲介役を買って出てくれた成果である。そういうご縁と努力を経由しての、ブレヒト本場への「地点版ブレヒト」の挑戦だ。

 

新劇場 Theatre E9 KyotoでのTMPと連動の『ハムレットマシーンHM』

 この夏も「地点」は地下のアンダースローから下手投げで、ロシア、ノルウェー、ドイツと世界を経めぐって、各地本場の「古典」で勝負を挑み、かつ11月には京都の東九条に夏に新規開場した劇場 Theatre E9 Kyoto で、ついにTMPと連動して『ハムレットマシーンHM』に挑んでくれることになった。売られた挑戦は、何であれ逃げずに本気で買ってくれるのが三浦「地点」だ。下支えするあっぱれな制作者・田嶋結菜氏が居てこそだろう。しかもいつも劇団の共同作業振りはこちらの期待や思い込みを潔く裏切ってくれる。というか、サプライズ的に軽々と想定を超えて見せる。作家の言いたいだろうことに強靭に向かい合って、そのテクストの言葉と本質に正面対決の格闘をする――演劇とは何であり得るかをめぐっての本気のバトルだ。ワクワク・ドキドキ感が「地点」の真骨頂だから、今回も見当はつかない。さて、どんなHMを観せて貰えるだろう。本番でのサプライズを楽しみに! 変わらぬパワーで存分に裏切ってください!

 

補足の付記…

 個人的な思い入れがすぎて冷静な「地点演劇」紹介にはなっていない感があるので、「地点の舞台」についてはTMPのHPに、若手気鋭の演劇評論担当の我らがホープの渋革まろん氏が書いて下さることになっている。三浦基氏自身の演劇論は、9年前の前著『おもしろければOKか? 現代演劇考』(五柳書院)を引き継いだ、第2弾の岩波書店からの最新刊『やっぱり悲劇だった~「わからない」演劇へのオマージュ』を、是非お読みいただきたい。気負いやテレもありつつ正直誠実で、面白い。舞台や稽古の様子や各国での体験や料理…こういう演劇への多面的な開きかたも楽しく、お見事である。

 

 

TMPに連動するやなぎみわの半端ない『神話機械』

前書き:TMPをどう始動しようかと思案しているさなかに、やなぎみわさんから、ハイナー・ミュラーのテクストを使ったライブパフォーマンスを挟んだ『神話機械』というプロジェクトをやりたいというオファーが届いて、背中を押された。これが実質的にTMPのスタートとなった。その経緯と内容を、まずは紹介させていただく。


 「やなぎみわ」に出会ったのは、彼女が2011~12年の美術家から演劇に「転身」した最初のプロジェクト『1924』三部作。関東大震災で東京の文化が壊滅したという報をベルリン留学中に聞いた土方与志が帰国して建てた新劇最初の有形劇場で、日本新劇のメッカとされる築地小劇場をめぐる三部作だという。1920年代の演劇革命のベルリン時代のブレヒトで卒論を書いた身としては、「え?」という感じだった。同時期に村山も土方も千田もベルリンに居た。東北大震災の直後だし、限定の切符をネット予約してでも観に行かなくては、と思い立った。

プロジェクト『1924』三部作

 しかも第1部の『Tokyo-Berlin』は、初演は京都国立博物館での「モホイ=ナジ」展の中に埋め込まれた、ナジからの(架空の)手紙と電話を巡っての村山知義土方与志、そして岸田劉生との協働と確執。それをやなぎみわ特有のモダンな案内嬢たちが観客を展覧会から演劇空間にイヤホンガイドで案内して回るという設定。第2部はそれより4か月前の「血沸き肉躍る築地小劇場の旗揚げ公演」、村山の魂が「デングリ帰った」、ドイツ表現主義の作家ゲーリング作で土方演出の『海戦』の舞台。これはKAAT神奈川劇場の大スタジオ。今回も案内嬢によって、観客はまずは舞台上を案内され、築地小劇場旗揚げ公演の演出家土方と小山内薫による役者たちの稽古・準備風景と、1924年当時の築地小劇場と、現在の公演地KAATの最新設備が渾然一体で説明される。そして上演される『海戦』は稽古なのか本番なのか、楽屋落ちなのか。境い目も定かでない感じで展開し、案内嬢の「仕舞口上」の解説のエピローグで終わる。

 第3部の『人間機械』は、私が観たのは世田谷美術館で、葉山の神奈川県立近代美術館でも関連企画「新・劇場の三科 1925→2012」として、1920年代のベルリンー東京で前衛的な芸術の探求を美術、建築、演劇、ダンス、デザインにと、八面六臂の活躍で「日本のダ・ヴィビンチ」と言われた村山知義の多面的な展覧会『すべての僕が沸騰する-村山知義の宇宙-』の会期中に、そのなかに設定された劇場空間で演じられた。『人間機械』は村山の著書のタイトルだが、村山は傷痍軍人を指して用いている。前二作と同様に、観客は案内嬢たちに案内・同伴され、最後には搬入用エレベーターに誘導され、バックヤードの搬入口に辿り着くのだが、その時には生きた村山自身が二人に分裂し、一人が収蔵庫に収められ、もう一人は反戦プロレタリア演劇人として街宣車で演説しながら去っていく。沸騰した村山の「僕」の痕跡だけが展覧会に遺されて歴史化・無害化されるという、村山知義自身と美術館のパラドックスの「見える化」でもあろうか。

 後の2作の脚本は若手劇作家で演出家のあごうさとしだったが、歴史上の実名の人物像がいわゆる近代歴史劇に収まらず、その後の歴史展開を知り尽くした視点で、現在から過去への語りかけのような架空の対話・自問・問いかけが成立してくる。「築地の1924年」にモダニズムと演劇史の問題の要点が凝縮していたことに気付かされる―あのモダニズムはどこに消えたのか…2年足らずの間でのこの半端でない凝縮した「三部作」――やなぎの言葉を借りれば、「ホワイトキューブの美術館の中に劇場というブラックボックス」を入れ込み、異種間交流の醍醐味を探る。そう、こんなものを観たかったのだと心騒いだ。

 そのときに思ったのは「やなぎみわ」とは何者で何をしようとしているのかという謎と、いつかこの女性はきっとハイナー・ミュラーとクロスするだろうなという直感だった。


 直感が当たったのはほぼ10年後の2018年――『神話機械』というプロジェクトにハイナー・ミュラーのテクスト『ハムレットマシーンHM』と『メデイアマテリアルMM』を使わせてほしいのだけどと突然にメールと電話を頂いた…。ちょうど、TMPのプロジェクトをさてどうしようかと考え始めていた頃だったので、連携してくれるかなと持ち掛けたら、喜んでと…。はて、どう来るのかと聞いたら、やはりこれも半端なかった。機械も1年かけて各地の大学や高専の研究者や学生に共同制作してもらって、ライブパフォーマンスを挟みこんだ展覧会として、高松美術館、アーツ前橋、福島県立美術館神奈川県民ホールギャラリー、静岡県立美術館を、1年かけて巡回するのだという。そう来るのか、それならそれを大枠に、演劇表象とは何かという問いかけを、日本中の点と線でつなぐようなプロジェクトにTMPがなれるかもしれないなと、徒手空拳でありながら夢見た。せっかくなら先の読めない冒険の方が面白いかなと。やなぎみわのエネルギーとヴァイタリティに煽られたか。

f:id:tanigawamichiko:20190608002800j:plain f:id:tanigawamichiko:20190608004406j:plain

写真家から演劇人へ~やなぎみわの仕事

 今年2月からの最初の高松市美術館には行けなかったが、代わりにTMP相棒の小松原由理さんに行ってもらい(TMPのHP参照)、2か所目のアーツ前橋でのライブパフォーマンス目当てに足を運んだ。これは『やなぎみわ 神話機械』展でありつつ、美術と舞台を往還するやなぎみわの10年ぶりの大規模個展でもあった。「やなぎみわ」とは何者かとそれなりに探ってきたものが、回顧展のように示される。5美術館による公式図録もそれに合わせて充実している。なるほどと、とても参考になった。

 いまや世界的な写真家やなぎみわの仕事――消費社会の象徴のような規格化された『エレベーター・ガール』シリーズは、CGを使って実際のモデルが増殖・加工され、ある種のディストピア的な未来社会像を思わせる。『1924年三部作』の案内嬢もその延長線上にあるのだろう。『マイ・グランドマザーズ』(2000~2009)は、公募したモデルが「50年後に理想の自分」をイメージしてやなぎとの対話から浮かび上がった老女像を特殊メイクやCGを組み合わせてビジュアル化する26点のレポート。大きな美術館に並ぶと現実と想像の交差の不思議な時空の広がり方の迫力だ。さらに世界で語り継がれてきた老女と少女の寓話や物語を少女が細工を凝らしてイメージ化した『Fairy Tales-老少女奇譚』。そしてさまざまな『ビデオ・インスタレーション』…その先に『1924年三部作』が来て、その後に、台湾で出会い製造輸入に到ったという移動舞台車=ステージトレーラーによる、中上健次の原作小説を山崎なしが脚本化して日本各地で巡回公演した『日輪の翼』―これは2016年より中上健次の故郷の熊野をはじめ全国5か所を旅公演。今年は10月初めに神戸の水産卸売市場内の波止場と海上を使って上演される予定だ。あえて総覧したのは、それぞれが複眼的批判的思考と直感の「やなぎみわワールド」として、それなりにつながってイメージとモチーフが展開しているように思えるからだ。

『神話機械』=MM=Myth Machines

 そして今回の『神話機械』―美術館会場に入ってまず圧倒されるのが、巨大でたくさんの桃の木の写真シリーズだ。福島市内の果樹園で撮影されたという。しかも『女神と男神が桃の木の下で別れる』と題されている。『古事記』の神話が背景にあることを示すタイトル。男神イザナギがあの世とこの世の境、黄泉平坂に辿り着いて、そこに生えていた桃の実をとっては投げ、ようやく女神イザナミを死の国に追い払ったという、ギリシアオルフェウス神話をも思わせる物語。そういえば多和田葉子に『オルフェウス、あるいはイザナギ』という戯曲があって、今回のTMPの枠内で本邦初訳初演されることになっている。思えば東西の神話は意外なほど似ているが、どこでどう、絡むのだろうか? 

 ちなみにやなぎみわワールドにおいては、中上健次ワールドから戻っての新たな神話世界への入り口なのだろう。ご丁寧にもその『神話機械』の入り口の一角には白い部屋があって、そこでは裸の男が『桃を投げる』場面の上からのビデオ・インスタレーションが映されるのだ。やなぎみわ異聞による『火と桃投げと別離の神話』と題する文がつけられている。

f:id:tanigawamichiko:20190610155936j:plain

「火の神を産んだときに火傷を負い、妻の女神は死の国へ赴く。
 美しい女神を慕う夫の男神は、死の国まで追っていき、

 禁断の部屋を覗き、女神の本来の姿を目撃する。
 それは地球の原初の生物の姿であり、光合成を行い鉄分を生み出す 
 泥のようなバクテリアの集積であった。
 その姿を見て驚いた男神は逃げ出す。「…中略」
 女神は、一心不乱に桃を投げつけてくる夫の姿を見ながら、
 夫の言うとおり火や鉄を産んだことを後悔する。
 女神は「一日千人の人間を殺す」と言い、
 男神は「ならば一日千五百人を産む」と答える。 

 男神と女神は決別し、女神は死の国の大神となり、
 男神は火や鉄とともに生の国に戻った。
 一つの世界が二つに分かれたれ、さらに
 果てしなく分裂していく悲劇が始まる。」

 HMやMMも想起させるが、これが東西の「神話機械」=MM=Myth Machinesへの導入なのだろうが、さて…まずは機械だ。「モバイル・シアター・プロジェクト」と名付けられたこれも半端ではない。ギリシア神話の文芸を司る女神たちの名前を与えられた4台のマシンが、やなぎみわと大学、高専、高校、および開催館が協働して制作された。

 メインマシンはタレイア、ギリシア演劇の、とくに喜劇の女神で、ハンブルグ市にはタリア劇場というのもある。メインになって、対象物に照明、音楽、台詞を与えながら走行する、いわば演出家。桃の花の花芯か女性器のようにきらめき開いたり蕾んだりする。ムネーメーは投擲マシンで、ピッチングマシンのように、しかし髑髏を定期的に投げては打ち壊す。テレプシコラーは振動マシンで、ガラス瓶に巻きコインが雄蕊のようにはいった枝葉が震えか響きで拍手喝采する大きなツリーのようだ。メルポメネーはのたうちマシンと呼ばれ、透明な胴体についた奇妙な手足で、床をのたうち回る。マシンは意外とアナログで手作り感にあふれている。そう、各地のそれぞれに「NHKロボコン」などで評価を得た研究室の先生と学生たちによる共同作業の成果の自信作とか。背後にイアソン率いる「アルゴー船の船首像」の大きな写真が逆さ吊りされている。それらが美術展示品のように置いてある大きな空間は、一見するとまずは戦場か墓場、都会か港の廃墟のようだ。それが「無人公演」と銘打ってスイッチが入って自動で動き出すと、夜の都会のショールームのように、さまざまな動きとカラフルな照明と弔い鐘か称賛鈴のような響きとで、何がどうなっているのかとさまざまな連想で興味深く見飽きない。ハイナー・ミュラーのテクスト風景を思わせる。

 展覧会期中に数ステージある「有人公演」、『MM=Myth Machines=神話機械』では、演者と奏者がそこに一人ずつ登場して、ハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』と『メデイアマテリアル』のテクスト世界が始まるわけだ。とは言っても、最初はどこからか聞こえてくる「墓堀人夫たち」の声の中で、奏者内橋和久は一画でギターと手作り弦楽器で作曲と即興による演奏を続け、トランスジェンダーという演者高山のえみは、ときにハムレット、ときにオフィーリア、あるいはときにメデイア、ときにイアソンとなって、シェイクスピアギリシア神話に基づくミュラーの謎のようなテクストを問いかける、という構図だ。最後はアルゴー船隊員の痕跡が難民船のイメージとも重なって、ともに生と死の混沌とした荒廃の風景だけが残る。やなぎは異聞化でなお闘う:「大地を掘りつつ、歌い、語れば、人は真実を思い出す。〈あとは沈黙〉?  馬鹿な。決して沈黙してはなりません」…なるほど、演者は語り部だ。直感は10年後に、こう当たって、こう実ったのだ、と。

 たしかに、これもやなぎ+ミュラー・ワールドのひとつの集大成だ。しかし、神話から現代の落魄の岸辺までを流離うこのマシンは、おそらく今後も動き続いていくのだろう…。

 

付記;神奈川県民ホールでの「やなぎみわ 神話機械」展に際して、二人で対談トークしようかと企画中。

TMP=多和田/ミュラー・プロジェクト=始動!

 

このブログでも何度か仄めかしてきたようなTMP20192020=多和田・ミュラー・プロジェクトを、紆余曲折を経ながら、なんとかやっと始動します!

HPにも載せたTMP設立宣言と重なりますが、以下に記します。

 

 1977年に『ハムレットマシーン』がひっそりと世に出たころは、一体これは何なのだろうと、謎の塊のように受け止められた。その後、その謎は、世界中に伝播していった。日本でも1990年に設立されたHMP=最初は「ハムレットマシーン・プロジェクト」、次第に「ハイナ―・ミュラー・プロジェクト」にスライドしていった。折りしもハイナ―・ミュラーがベルリン・ドイツ座で、『ハムレット』と合体させた8時間余の『ハムレット/マシーンH/M』を演出した時と重なって、しかも、1989/90年の壁の崩壊=ドイツ再統一と重なった。H=HM=H/M ・・・その関係は何を象徴していたのだろう。

 

 だが、芥川賞作家 多和田葉子とこの旧東ドイツの作家ハイナー・ミュラーの間に、一体どういう関係があるというのだろうか。実は多和田葉子が渡独してまもない 1991年にハンブルク大学 に提出した修士論文が 、その『ハムレットマシーン』論だった。

 しかも、神話・ ジェンダー・翻訳 ・間テクスト性 ・ 夢幻能 ・ 死(後)の演劇 ――彼女がそこでハイナー・ミュラーと共に「読むこと」(=リ・レクチュール)の旅を始動させ、それによって開かれたのは、時代状況のコンテクストとは一見は関係のなさそうな、テクスト自体から現代に開かれる 様々に魅惑的な 「窓」だった 。そこから見えてきた 「景色 」は、我々がなじんできた「景色」とは、一風変わったものに思えた。しかしなるほどと思わせる説得力をもち、多和田葉子の文学営為の誕生・展開とも深く密接に関係していたようにも、思えた。ここを読まなくてはと…。

 だが今、多和田葉子のハイナ―・ミュラーへの読みは、どのように見えるのだろうか。そうご本人に問いかけて、劇場シアターXで毎年の恒例となったピアニスト高瀬アキとの掛け合いの場「晩秋のカバレット」で、『ハイナ―・ミュラーハムレットマシーン』(2019年11月25日予定)を取り上げてもらえることとなった。多和田葉子ハイナー・ミュラーの不思議な(?)関係が、そこから果たして、どう見えてくるだろうか。演劇表象と文學的営為の関連は、果たしてどうあるのだろうか。

 

 壁崩壊・東西ドイツ統一後 30年を迎えた2019/2020年、TMPは、生誕60年の多和田と生誕90年・没後25年のミュラーを/(スラッシュ)で関わらせるプロジェクト「TMP(多和田/ミュラー・プロジェクト)12019~2020」を始動させる。それは、TMの「読みの旅」に共鳴・共振・反発しつつ、日本の研究者やアーティストたちが共にチームとなり 、多和田/ミュラー「窓」から、自らを、日本を、そして世界の「景色」をのぞき込む「演劇表象の現場」を再考し、創造するプロジェクトである。徒手空拳の試みながら、「3・11後8年の今」も思いあわせつつ、自らと地球のこれからも考え合わせる、さまざまな世代と点¥と線と面を繋いで拡がっていくような試みになればいいと念じている。そこからどんな「風景」が見えてくるだろうか。楽しみである。

 

 2019年3月25日 TMPメンバー 

  谷川道子、山口裕之、小松原由理、内野儀、尾方一郎、坂口勝彦

   (外語大本担当関係)、

  谷口幸代、川口智子、小山ゆうな、才目健二、渋革まろん

   (論創社多和田演劇本、HPなど、tmp関連))。

   

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

実際にはいまだ、模索中の企画や構想も多いのだが、いま2019年3月半ばの時点での始発点・到達点をいくつか、とりあえず披瀝させて頂こうと思う。勇み足の部分は、ご容赦下さい!HPも何とか立ち上がりつつ、もっか鋭意努力中である。https://tmp.themedia.jp/

f:id:tanigawamichiko:20190331132932p:plain

 

まず中心に構想されているのが、2020年春に東京外国語大学出版会から刊行予定の論集『多和田葉子ハイナー・ミュラー~演劇表象の現場』。多和田葉子の『HM論』とカバレット上演台本『ハイナー・ミュラー』を両極に、各論者がそこにどういう景色を覗きこんで展開していくか。まだ執筆依頼中の段階なので、目次公開にまでは至っていないのだが。これも追々に。

 

のみならず、今回の「TMP(多和田/ミュラー・プロジェクト)2019/20」傘下でも、いくつかの企画が、自発的なオファーがあったり、こちらからのオファーなどが、うまく噛み合ったり、はずれたりしつつ、遅々とながらも、進行している。勇み足を覚悟のうえで、その進行状況をいくつか。

 

まだ日本では、「多和田葉子の演劇世界」というフィールドは確立されていないようなので、実際はそうでもない実情を、何とか見える化する努力はできないかと。

  • まずは、2019年11月にシアターXでの多和田葉子『晩秋のカバレット:ハイナー・ミュラー』が実現する。
  • それと相前後する形で、小松原由理訳 小山ゆうな演出『オルフェウスあるいはイザナギ』と、川口智子演出による『夜光る鶴の仮面』の2本の多和田戯曲上演を企画中。来年度の助成金の申請がこの秋なので、それを使った本公演は2020年秋だが、今年はリーディング公演という形をドイツ文化センターで探れないかと若い演出家二人は思案模索中。リーディングは本公演とはもちろん異なってリーディングとして成立させたい、それゆえ、図書館でもロビーでも、ホールでも、むしろ劇場空間でないところでやれる方が面白いかと。日程など未定部分は多いが…
  • 川口智子は2018年に多和田戯曲『動物たちのバベル』を国立市の市民劇として上演して評判を得ており、2020年から、多和田葉子作の音楽劇を国立市の市民劇として、ともに創っていこうという話も進行中である。
  • こういう若手を中心に、今回のTMP(のT)を担うtmpという若いグループが、HPや「多和田演劇本」の活動部隊としてもできつつあるところだ。

つまり、並行して、これまでの多和田戯曲の上演に関する記録や論考などを紹介する「多和田葉子演劇本」を、東京外語大出版本の他に、論創社からも出そうということになっている。多和田葉子研究家の谷口幸代を中心に、新訳の戯曲2本と、多和田演劇上演に関する記録+論考集。これは2020年秋に刊行予定。

 

もちろんTMPのプロジェクトなので、ハイナー・ミュラー関連も進行中。

  • 美術家やなぎみわの『神話機械』は、独特にミュラーのテクストを使ったライブパフォーマンスを組み込んで、1年間にわたって各地の美術館を巡回する。すでに2月に高松美術館で始まって、小松原由理が観に行って、その記事をHPに掲載しているので、参照されたい。以降、4~6月アート前橋、7~9月福島県立美術館、10~12月神奈川県民ホールギャラリー、2019・12月~2020・2月の静岡県立美術館、へと巡回する。HP参照。
  • 京都の劇団「地点」は、2019年秋に京都の新劇場で『ハムレットマシーンHM』上演予定。ブレヒト作品をシャッフルしてガレージ・セールするかのような『ブレヒト売り』や、ブレヒト原作+ハイナ―・ミュラー改作の質的に緊密で凝縮した『ファッツアー』、そしてノーベル賞作家イエリネクの『光のない』、『スポーツ劇』、『汝、気にすることなかれ』、『難民劇』等々にも果敢に挑戦し続けている地点の三浦基演出に対しては、『ハムレットマシーンHM』を無視するわけには行かないでしょ、と説得。
  • 実は正式決定は2020年企画会議の6月まで待ってほしいと言われているが、静岡のSPACで、宮城聰演出の『メデイアマテリアル』を打診中。ミュラー流の夢幻能ともいえるこの『メデイアマテリアル』を、ギリシア演劇の現代化の巨匠ともいうべき宮城聰氏がどう料理してくれるのか、楽しみだからだ。
  • および、ゴーリキー劇場の難民劇団ExilEnsamble の『ハムレットマシーンHM』の招聘を、何らかの形で実現させられないかと思案・打診中である。ビザなどの関係で劇団招聘が無理なら、「映像+レクチャー+討論会」など、別の形での可能性も探っていこうと考えているが。この舞台についても、小松原由理が昨年12月にベルリンで観劇してきたHP記事を参照されたい。上演台本も資料も準備中! 「ポスト・マイグラント演劇」という新地平でもある。

  • いまだ企画中のものもいろいろあるが、進行に応じて、追々にこのHPで告示しいく予定なので、どうかフォローとご支援を!!

 

今回のTMPは、それこそ、1990年から30年という節目を読み直す機会でもある。難民問題と原発はそのこととも絡んでくるかと思う。多和田/ミュラーというのは、今の見通しがたい世界の現在状況を映し出す、ちょうどいい合わせ鏡の契機ではないかかとも思えるからだ。そこから繋がっていくであろう、さまざまな世代とジャンル、点と線と面を結びつつ、そこから何がどんな演劇表象の景色が見えて展開していくかを、我々自身が、楽しみにしているところである。 乞うご期待 !! 

 

        20190325 谷川道子記

多和田葉子のカバレット『マヤコフスキー』とHM?                        

カバレット?

 芥川賞作家の多和田葉子さんが、「カバレット」なるものの名パフォーマーでもあることをご存知ですか。メジャーシーンでは殆ど演じられていないのであまり知られていないのですが、これが絶品でお勧めなのです。

 そも「カバレット」とは何なのか。英語風に言うとキャバレーですが、ご想像とはちょっと違う。日本風で言えば寄席? 江戸期からの落語、講談、漫才、音曲などの大衆芸能の演芸場。グロイル著の浩瀚な2巻本『キャバレーの文化史』(ありな書房, 1983・1988)によると、そもそもの源泉には遊びと風刺精神があって、古代ギリシアのサチュロス劇やアリストファネス喜劇の時事演劇に、古代ローマ以降の道化芸人などの存在を経て、近現代までさまざまな系譜があるという。いまや欧米では酒場の舞台などで社会風刺を含んだ歌や寸劇を見せる場所。ことにドイツ語圏では世紀末から20世紀に、大衆演芸場やレビュー、ヴァリエテ、文学寄席、超寄席、反戦・亡命者・学生カバレット――等々と時代精神を反映して多様化しつつしぶとく生き延びています。それぞれのトポス・都市で流行りすたりはあるものの、実は、私もケルンやウイーンに住んでいた頃は、方言や時事ネタの解説役には学生さんたちに付き合ってもらいながら、劇場だけでなく、人気のカバレットにもよく通ったものです。

 

シアターXでの「晩秋のカバレット」

 そう、東京は両国にある「シアターX」で2001年に始まったのが、多和田葉子+ピアニスト高瀬アキによる毎秋1ステージという「晩秋のカバレット」で、昨2017年で第16回目という、シアターXの貴重な誇るべきヒット企画です。

 2001年の最初はチェーホフ演劇祭での前夜祭的な番外編『ピアノのかもめ/声のかもめ』、次が2003年の「ブレヒトブレヒト演劇祭」参加の『ブレ. BRECHT』。あれから10数年も続いた! 毎年多和田さんも時宜に応じて工夫を凝らし、観る方の私も、都合のつく限り、なんせ1ステージなので、今年はどう来るかなと無理しても楽しみにはせ参じたものです(拙著『演劇の未来形』も乞う参照)。

 

多和田葉子カバレット「マヤコフスキー2017」

 そして昨2017年はロシア革命から百年なので、テーマは「マヤコフスキー」。そもそもロシア革命一周年記念に上演されるために書かれたのが、作マヤコフスキー、演出メイエルホリドの『ミステリヤ・ブッフ』。最近では地点が三浦基演出で、半世紀前には千田是也翁の頑張った演出でも観た覚えがある。「奇妙奇天烈聖史喜劇」などという副題をつけられるとなおさら気になるのですが、地球が大洪水に襲われて、押し寄せてきた人々が北極の穴から「ノアの方舟」に乗って約束・理想の地を求めて古今東西、地獄と天国を旅する話です。

 多和田さんはこの戯曲をいろいろ工夫(小道具の手袋帽子にお面、国旗、衣装等に、身振り)をこらして読みくだき演じながら、作家マヤコフスキーとともに、ときにピアニストの高瀬アキさんとも掛け合い漫才をしつつ、現代の地球を経めぐってみせるのです。ロシアと言えば、プーチンさんはいま何を考えているの? オーストラリア大陸は無事かしら? ヨーロッパ共同体はどうなっていくんだろうねえ? イギリスに、フランスに、ドイツのメルケル首相…? 移民・難民っていうけど、そもそも国籍って何よ? あちこちで戦争に洪水―世界各地から亡霊たちの声が聞こえてくる…グローバリゼーションの檻に閉じ込められている地球!! 百年をはさんだ多和田葉子マヤコフスキーの『ミステリヤ・ブッフ』、実に愉快で、実に面白かった。(舞台写真)

                 f:id:tanigawamichiko:20181029004514j:plain

 ああ、また多和田葉子さんは一捻りしたなと思ったもの。読むとはともに考え遊ぶこと、キーワードは〈読み〉の創造性。これはどこかで経験済みだ。そう、前回の我がブログでも取り上げた『ハムレットマシーンHM』。『ハムレットH』の世界に入り込んだハイナー・ミュラーH・Mが読む現在のHM。キーワードは自己言及性と間テクスト性。繰り返しになりますが、多和田さんの1991年にハンブルク大学提出の修士論文のタイトルは「ハムレットマシーン(と)の読みの旅――ハイナー・ミュラーにおける間テクスト性と再読行為」。そのパフォーマンス的な実践がこの『ミステリヤ・ブッフ』であり、シアターXの「晩秋のカバレット」シリーズなのではないでしょうか。

 

多和田葉子カバレット「ハイナー・ミュラー2019」とTMP2019~2020

f:id:tanigawamichiko:20181029004543j:plain

 多和田葉子における「間テクスト性と再読行為」―30年前に30歳そこそこでドイツ語で書かれたこのHM論は、HMこそバフチンの言う「ポリフォニー小説」を体現展開し、かつ、「死者の演劇」としての「夢幻能」であると断じる、切れ味するどいユニークなHM論なのです。30年前の修士論文だからと渋る多和田さんを説得して邦訳し、再度ハイナー・ミュラー多和田葉子の関係を考えようかと思っているところ。それだったら、来年の「晩秋のカバレット2019」では「ハイナー・ミュラー」をやってよ、「了解、そうしましょう」と。ですから、来年の多和田葉子カバレットは、30年ぶりの多和田葉子ハイナー・ミュラーとの対話です。今年は11月19日、テーマは「ジョン・ケージ」(チラシ参照)。このブログ原稿も一部は、シアターX批評通信に依頼されて書いた報告からの転載をもとにしています。ご寛恕、多謝!

 このところ国際的にも多和田葉子は各国の博士論文のテーマに取り上げられつつあり、今年ベルリン工科大学で多和田さんと同じSigrid Weigel教授のもとで「多和田葉子の翻訳論」で博士論文を提出した斎藤由美子さんなどとも組んで、この多和田葉子HM論邦訳とカバレットHMが形になったら、『多和田葉子ハイナー・ミュラー~演劇表象の現場』を刊行し、TMP「多和田葉子ハイナー・ミュラー・プロジェクト」をたちあげて、その枠の中でいろいろなことがやれないかとまだめげずに夢想中。前ブログ『《ハムレットマシーン》2018春』の4ケ月後の続き・・・「こちらはTMP、応答せよ、応答せよ」となれるかどうか。「TMP2019~2020」を乞うご期待!!

 

 ☆ 多和田葉子 カバレット 演目リスト ☆

第 1回 2001年  9月 1日 [木] 『ピアノのかもめ/声のかもめ』
 (シアターX チェーホフ演劇祭40日間 参加作品 前夜祭的な番外編)  
第 2回 2003年 11月24日[月]『ブレ.BRECHT』
 (シアターX 2年がかりのブレヒトブレヒト演劇祭1 参加作品)
第 3回 2004年  9月21日 [火]『ピアノのかもめ/声のかもめ』PART2
 チェーホフ東京国際フェスティバル2004 参加作品)
第 4回 2005年 11月  3日[木] 『脳楽と狂弦』
第 5回 2006年 11月19日[日] 『詩人の休日』
 (シアターX 詩の通路 参加作品)
第 6回 2007年 11月  3日[土] 『飛魂(Ⅰ)』
第 7回 2008年 11月14日[金] 『飛魂(Ⅱ)』
第 8回 2009年 11月  3日[火] 『宇治拾遺物語
第 9回 2010年 12月  1日[水] 『まっかな おひるね』
第10回 2011年 11月20日[日] 『菌じられた遊び』
第11回 2012年 11月18日[日] 『変身』
第12回 2013年 11月17日[日] 『魔の山
第13回 2014年 11月14日[金] 『白拍子VS変拍子
第14回 2015年 11月15日[日] 『猫も杓子もカントル』
第15回 2016年 11月16日[水] 『絵師 葛飾北斎
第16回 2017年 11月15日[水] 『マヤコフスキー

 

〔付記〕:どの場合も、タイトルから読みとれるように、ある作家や作品やジャンル(能と狂言とか)を対象に、それらを読みつつ戯れながら自在に展開する。例えば第2回の『ブレ.Brecht』では、『三文オペラ』の「ポリーとマックの結婚式」の声と音の言葉遊び「こけ、むす、こけでら、こけ、こっか、国家公務員、コッカイン-----ご結婚、コケコッコ、コケッコン、ご結婚」などは大爆笑。あるいは、第12回の『魔の山――ベルリンから気まぐれて』は「トーマス・マンの小説からの「振動」は、〈3・11〉に触れて「まちごうても」の話までぶれる。いつも、高瀬のピアノと掛け合いながらのそのボケと突っ込みの変幻自在さ振りが楽しい。

『ハムレットマシーン』──2018、春    

「私はハムレットだった。                                  
浜辺に立ち、寄せては砕ける波に向かって       
ああだこうだ(ブラーブラー)と喋っていた。
廃墟のヨーロッパを背後にして。鐘の音が       
国葬を告げていた。」                                       
  ―『ハムレットマシーン』第1景「家族のアルバム」

  何故かこの春は、また、『ハムレットマシーン』ブーム再来のようでした。『ハムレットマシーン』とは? シェイクスピアの『ハムレット』と関係があるのかな? あるのです。いうなれば『ハムレット』の脱構築? 演劇の世界では、知る人ぞ知る画期的な作品なのですが、ご存知ない方も多いでしょうから、まずは簡単にご紹介を!

 ブレヒトの後継者として東ドイツ演劇界に登場したのがハイナー・ミュラーです。彼は、ブレヒトが十数年の亡命生活に入る前の、〈教育劇〉と総称される一連の演劇実験の終点であった1933年のゼロ地点に戻ることをモットーに、東ドイツの現実に向き合う現代劇でデビューしたのですが、次第に自作の上演・出版禁止が続きます。そういう中で、1977年に「ブレヒト教育劇への決別宣言」とともに書かれたのが、もっと大きなタイムスパンでの小さな『ハムレットマシーン』でした。東ドイツでは刊行も上演もされずに、西ドイツの代表的演劇雑誌「テアーター・ホイテ」にひっそりさしはさまれたわずか3ページの極小のこのテクストが、西側で謎の塊か台風の目のような役割を担うことになります。およそ上演不可能と言われながら、挑戦意欲をかきたてられるものがあり、1979年のジュルドゥイユによるパリでの初演以来、上演史自体が話題になるという代物。

 なかでも話題になったのが、アメリカのポストモダン演劇の旗手とされたロバート・ウイルソン演出の1986年の『ハムレットマシーン』でした。ニューヨーク大学の学生を使って、いかにもアメリカ的な風景に置き換えられたような意外感をもったその初演は評判を呼んで、ヨーロッパ中を巡演して席捲していく。90年代は、日本でも「ハイナー・ミュラー・プロジェクト(HMP)」が結成されたほど、「ハイナー・ミュラーハムレットマシーンの時代」でした。1990年にはフランクフルトでミュラー一人を17日間にわたって特集する実験演劇祭「エクスペリメンタ7」が開催される。かつ、ハイナー・ミュラー自身が東ベルリン・ドイツ座で、『ハムレット』と『ハムレットマシーン』を合体させた8時間の『ハムレット/マシーン』を演出して大評判となり、一躍「世界のミュラー」になりつつ、奇しくもその初日の3月18日が東西ドイツの総選挙の日で、ドイツ再統一=東ドイツの消滅の日とも重なりました。そしてベルリーナー・アンサンブルの監督などを務めた後で、1995年12月30日に永眠。享年66歳。

 それからも20年余…東西冷戦は終わりましたが、アメリカ大統領もクリントン、ブッシュから、オバマ、そしてトランプへ、イラン危機から北朝鮮問題へ、新たな覇権争いに世界の難民化、ファクトからフェイクへ?… 等々、時代変容が大きく一巡りしたかの今このときに、ハムレットマシーンの亡霊が、過去/未来から再来したようなのです。

            f:id:tanigawamichiko:20180616230712j:plain

                                          (ROBERT WILSON | HEINER MÜLLER, HAMLETMACHINE photo by Lucie Jansch)

 しかも皮切りは、件のロバート・ウイルソンがあの『ハムレットマシーン』を2017年にイタリア・フィレンツエで新作上演したという噂。その年の12月半ばに第16回ヨーロッパ演劇賞の授賞式イベントがローマで開催され、ウイルソンの『ハムレットマシーン』も上演されるらしいから、谷川さんも絶対に観に行かなきゃと舞踊評論家の立木燁子氏に急に誘われましたが、招待も宿も定かでない身で飛行機に飛び乗るわけにもいかない。代わりにしっかり観てきてね、と念押しして、その報告を首長くして待つことに――。立木さんの報告は、「シアターアーツ」誌最新62号に掲載されましたので参照いただきたいですが、過去の受賞者の代表作を招聘する賞だったとはいえ、「リメイク/新作上演」と謳われていながら、1986年のニューヨーク大学でのあの初演版に基づいてシルヴィオ・ダミコ国立演劇アカデミーの学生たちによって演じられた、ほぼ1986年版と同じものだったらしい。1986年初演版とて、我々もハイナー・ミュラーさんから送って貰ったヴィデオをダビングして皆で回し観て共有化したものですが(どういう作品だったかは日本でも西堂行人氏や新野守弘氏や私などの文章もあるので参照ください)、それと殆ど変わらなかったとは、ローマで観た批評家・観客も同じ感想だったと。

 

 思えば、ダンスの振付も同じコレオグラファーの版権に則とればそういうものなのかとも思いますが、再演の受賞というのは、演出の版権化、パック化、商品化ではないのでしょうか。俳優やダンサーは変わっていても、写真や映像で見る限りは、デジャ・ビュの既視感。ウイルソン演出自体が映像も使った絵画的で「透徹した美意識で磨き上げられた美の宇宙」(立木燁子報告)だということもあるので、映画と同じと思えばいいのか。映画ならむしろ、たとえば同じヘップバーン主演の『ローマの休日』を期待して観に行き、俳優や監督が変わればどういう新作になっているかと期待するので、ことは分かりやすい。演劇はライブのTP0のコンテクストでの感応や実存、コミュニケーションを前提としているところもあり、30年ぶりのウイルソン新演出なら何がどう変わっているのだろうかと、だから「絶対に観に行かなきゃ」とたしかに思いましたが、「過去からの亡霊/オレオレ詐欺」に引っかからないでよかったかなとも。

 おそらくそこでこそ、演劇とは何かが問われるのでしょう。そう、いわば『ハムレットマシーン』は、そのためのリトマス試験紙だった。 

 

f:id:tanigawamichiko:20180616222801j:plain

 興味深かったのは、明けて2018年3月半ばに、同じニューヨークからダンス・タクティクス・パフォーマンス・グループがシアターXの招聘で上演した『ハムレットマシーンのかけら』が、まさに対照的だったとでしょうか。芸術監督キース・トンプソンにより、「一切の衣装を脱ぎ捨てた自分自身とコミュニケーションできるダンスの可能性を探ること」を志向して、2006年に設立されたコンテンポラリーダンスのカンパニーで、肉体的な演劇との融合に加えて、抽象概念と語りの結合へと挑戦した試みが、この『ハムレットマシーンのかけら』だったといいます。

 舞台は、衣装も装置も殆どない素の6人の男女のダンサーで、女性の一人が作曲即興のヴァイオリンを弾き、男性の一人がナレーターを兼ねる。根底にシェイクスピアの『ハムレット』、それにミュラーの「改訂版ハムレットマシーン」が上書きされ、その舞台化への経緯を語るトンプソン・グループのテクストの語りと動き、という3層構造の英語の語りの日本語字幕が、舞台上部に映る。

 英語でのアフタートークで、その印象を私は「シンプルでナイーブでストロング」と表現しましたが、「私はハムレットではない、もう役は演じない」と言い続けながらそれぞれがどんどんハムレットになっていくようだった、と語った男性観客もいて、演出のトンプソンは、今回の新改作は「いま周囲に見られる恐怖や虚偽、崩壊への私たちの反応だ」と言明しました。ウイルソン演出と対照的だと感じたのは、そういうことだったのでしょう。どちらがいいとか、正しいということではなく、舞台表象の立ち位置が問われている。

     f:id:tanigawamichiko:20180620022302j:plain  f:id:tanigawamichiko:20180620022224j:plain
                                                                      (ダンス・タクティクス・パフォーマンス・グループ 『ハムレットマシーンのかけら』)

 

f:id:tanigawamichiko:20180616224353j:plain

 そして、そういうなかで、東京は日暮里のd-倉庫で4月4~22日に開催されたのが、参加10団体による『ハムレットマシーン』フェスティバルでした。私も知らずに、突然にその企画編集室発行の「アートイシュー」誌から邦訳者として原稿を依頼され、ハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』について、その過去と未来に思いをはせる好機となりました。思い返せば、小劇場d-倉庫というと、1990年に仲間と始めたハムレットマシーン・プロジェクト(HMP)の活動のいわば終着点であったのが、2003年の「ハイナー・ミュラー/ザ・ワールド(HM/W)」と銘打った、18劇団がそれぞれのハイナー・ミュラー作品を競演するという韓国や中国からも参加の国際演劇祭。そのときに会場や企画運営の中心になって活躍してくださったのが、d-倉庫やdie pratzeと、主宰のOⅯ-2の真壁茂夫さんでしたか。半月で18劇団がさまざまなハイナー・ミュラー作品を競演するという無謀で刺激的な大企画で、総括論集も出せないまま討ち死にした感もありましたが、d-倉庫は前衛(的)舞台芸術の拠点であり続けようと、この『ハムレットマシーン』フェスもその活動の一環としての「現代劇作家シリーズ」の第8弾で、かつ集大成だといいます。

 今回は『ハムレットマシーン』作品だけに絞って、「従来のドラマ形式を解体した金字塔ともいえるこのテクストに、演劇、ダンス、パフォーマンスなどのジャンルを超えた全10団体がどう挑むのか」と謳いつつ、「アートイシュー」誌は2018年1月に、『ハムレットマシーン』に縁の深い西堂行人氏に市川明氏、私とこの企画者・金原知輝氏の論考を収めた特別企画号を刊行。次いでフェスティバルの日程と参加10団体を紹介するチラシ(各団体は1時間の2公演とアフタートーク)と、各出演団体がどう挑むのかを表明する「演出ノート」も作成。連携企画には、3月にプレ朗読と村瀬民子氏のレクチャー、0M-2の『ハムレットマシーン』公演を、ラストの締めには劇評家の藤原央登氏の司会で、「実演家vs実演家~上演作品の相互批評」というシンポジウムまで企画されていました。

 残念ながらすべてを観られたわけではなかったので、全作品の詳述はできないのですが、事前の紹介や演出ノートやシンポ、送って頂いたDVDや映像にも助けられて、見えてきた範囲内での感想を少しだけ。

 パフォーマンス集団のOM-2は2003年に上演した『ハムレットマシーン』を世界各地で巡演し、今回がラストの公演とか。同様にHM/Wに参加した劇団チャンパの『ハムレットマシーン』で、主演俳優として世界的に活躍してきたシム・チョルジョンによるシアターゼロの『ハムレットマシーン』がフェスの打ち止め公演。いずれも「過去からの亡霊の帰還」かと思いましたが、両者ともにこの15年間、『ハムレットマシーン』を演劇の核として手放さずに展開上演させ続けてきて、自己コピーやリコピーではない。主演の日韓の「怪優」佐々木敦とシム・チョルジュンの中にはハムレットハムレットマシーンが乗り移ったというか移り住んでいる感があって、ことにシム・チョルジョンは私宅を活用した極小公演や一坪劇場から大型野外劇まで、多彩にハムレットマシーンを展開してきたとか、舞踏かマダン(広場)劇のシャーマンとでも形容すべき存在感と迫力がありました。2003年からの15年を架橋しようという思いが、両者で『ハムレットマシーン』フェスを挟んだ所以かと、納得しました。

 他の9劇団は殆ど初めて知る劇団やグループでしたが、様々な資料にも依拠しながら、世代も劇団史も専門も異なる、それぞれの立ち位置からの多様なアプローチを楽しませて貰いました。こちらの勝手な言及で恐縮ですが…。各カンパニー名のユニークさにも驚き!

 『ハムレットマシーン』のテクストとの関係で言うなら、もろに正面から「ダンス」と銘打ったのが「ダンスの犬All IS FULL」 という、深谷和子氏が2001年に創始したダンスグループ。女性だけのダンサー8人で、「歴史における男性原理の象徴=ハムレットを背中に携え、女性原理としてのオフィーリアの台詞〈私の心臓であった胸の時計を埋葬しましょう〉を如何に身体表現だけで完走できるか」に挑む。身体の部位のデフォルメや女の笑いで、「母なるユートピア願望」もそんなに簡単にはいかないのよと、舞台から突き返してくるよう。最終景の「こちらはエレクトラ」の発信を思わせる…。

ハムレットマシーン』のテクストから自分たちの表現を紡ぎだそうとしたひとつが、「サイマル演劇団」。それこそ男性原理をハムレット役者に代表させ、女性原理のオフィーリア役者と格闘演技する背後で、劇作家役者が椅子に座って、『ハムレットマシーン』に触発された自分の言葉を語って、語ろうとしていく。物語は成立しない。

対して、14年に旗揚げしたばかりという若い演劇する団体の「隣屋」は、『ハムレットマシーン』からの言葉を引き出しながら、3人の男女が真ん中の四角の空間(4畳半?)で〈ハムレットマシーンごっこ〉を様々に遊んでいく。それを取り囲み介入するのが、これまた様々な音や遊具、映像、音響の遊び。素直に楽しい。面白かったのが「演出ノート」の言葉――冒頭が「私はpepperだった」。ご存知、感情認識ヒューマノイドロボットのソフトバンク市販版のネーミングだ。なるほど、ハムレットはpepperか。「いまpepperになってしまっている人と、誰かをpepperにしてしまっている人へ、どろどろした“生者”の感触が残ることを目指して」―また、なるほどと。

 『ハムレットマシーン』のテクストをすべて語ってくれたのが、第三エロチカから02年に結成されたという「IDIOT SAVANT シアターカンパニー」。硬派の独特な装置や音響、映像と身体表現で、いかにもアナーキー学生運動世代の空気を醸し出す。そういう中であの『ハムレットマシーン』のテクストがすべて引用のごとく語られると、不思議な距離感と説得力が生まれるのだ。世代感覚かな。

 シムの「劇団シアターゼロ」は前述の通り。演出ノートにはこうあった、「〈機械〉を超えて完璧な「無」を夢見るハムレットは、長く伸びた先のとある破壊の地点におり、私たちはそれを観客と共に眺め、彼が不存在に向かっていく様を嘲笑し証明しなければならない」と。

 同じ『ハムレットマシーン』へのアプローチのこの多様さがいい。競演の醍醐味でしょうね。頑張った企画だったので、すべてを観られなくて申し訳なかったですが、ここから何が産まれていくでしょうか。

 

 最後にやはり原点のハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』にもう一度戻るなら、そもそもは、東ドイツ・フォルクスビューネでのベンノ・ベッソン演出のためにハイナー・ミュラーは『ハムレット』の翻訳上演台本を依頼され、それは1977年に初演され刊行もされたのですが、その際に「鬼っ子」のように生まれたのが、『ハムレットマシーン』でした。ハイナー・ミュラーいわく、「30年間、『ハムレット』は私にとってオブセッションだった。だから『ハムレット』を破壊しようとして短いテクスト『ハムレットマシーン』を書いたのだ」とも。「ハムレット」は、いわば「近代演劇と近代的個人」のシンボルで代名詞とも言えるのでしょうか。「私はハムレットだった」…いかにこのハムレットを過去形にできるかが問われていて、『ハムレットマシーン』そのものが再現のための上演台本ではないのです。ハイナー・ミュラーの「上演不可能」の言葉は、「さあ、あなたなら「ハムレット」をどう過去形にしますか?」の問いかけだったと思う。考えるための切掛けはいろいろに与えられている。たとえば、私ハイナー・ミュラーならこう読みますよ、『ハムレット/マシーン』も演出しましたよ、生きていたら南仏で『ハムレットマシーン』単独で野外上演するはずの計画が叶いませんでしたが…。さて、あなたなら『ハムレット』と『ハムレットマシーン』をどう読んで、どう舞台化しますか?と。

 そう、過去からの亡霊を「未来からやってくる亡霊」にしなくてはならないのでしょう。「近代演劇と近代個人の彼方」を、「その未来形」を、あなたならどう創りますか? とすれば、問いかけは続くしかない。演劇とはとりあえずは、「今ここ我々」のためのライブ・パフォーマンスなのでしょうから。

 

 もうひとつだけ、勇み足の未来形の秘密を少しだけ洩らせば、日独両国語で活躍するあの作家の多和田葉子さんが1992年にハンブルク大学に提出した修士論文が『ハムレットマシーン』論、邦題にすれば、「『ハムレットマシーン』(と)の<読みの旅>――ハイナー・ミュラーにおける間テクスト性と読み直し(仮訳)」。これが途方もなく面白いので、もっか仲間と鋭意、共訳作業中なのです。言うなれば「多和田葉子ハイナー・ミュラーの怪しい関係」――長年温めてきた最期の企画として、これが刊行の暁には、2020年の春頃でしょうか、実はまた懲りずに、何かの形で、「ハムレットマシーン・フェス」ができないかなと思案中なのですが・・・。めげずに問いかけは続くのです、「こちらはハムレットマシーン、応答せよ、応答せよ」…。

 

 

鳥取の「鳥の劇場」の大人の『三文オペラ』

    ―地域と生活に根付きつつ、世界へ―

 

 10年ぶりに雪の鳥取、「鳥の劇場」を再訪しました。拙著『演劇の未来形』でも紹介していますが、彼らとの付き合いもけっこう長くて深い。その続編を!

利賀村演出家コンクールでの出会い

 劇団主宰者中島諒人さんたちとの初めての出会いは2001年、SCOT(鈴木カンパニー・オブ・トガ)が主催する利賀村での「演出家コンクール」。前年に始まって01年はH・ミュラー作『ハムレットマシーン』が課題作の一つになっていたので、翻訳者としては行かざなるまいと観に行ったのが始まりでした。

 なかでもこれは何だと気になったのが、当時は「ジンジャントロプスボイセイ」と突っ張った名前のグループで、学生劇団出身らしく、中島諒人演出のハイテクを駆使したモダンでとんがった舞台は私にはけっこう面白かったのですが、鈴木忠志御大にはお気に召さなかったらしく見事に落選。「あの頃は意地みたいに『ハムレットマシーン』ばかりいろいろやっていた」そうで、来日した『ポストドラマ演劇』の著者レーマン教授を稽古場にお連れしたりしたものの、03年の「演出家コンクール」に捲土重来。今度は俳優を主体にした『人形の家』で見事に優勝。で、しばらくは東京や静岡で演劇活動を続けていたが、そういう根無し草のような都会での活動に見切りをつけられたか(勝手な解釈で失礼!)、2006年に中島氏の故郷の鳥取に舞い戻って、そこを拠点に「鳥の劇場」を開始。しかし、半端ではなかった!

鳥取鹿野町での「鳥の劇場」の船出

 まずは2006年4月に鳥取市鹿野町の廃校の旧鹿野小学校体育館を稽古場・劇場として、7月からは同じ敷地の旧幼稚園を事務所などに利用できるように手作りでリノベーションしてスタート、08年にNPO法人を獲得。建物は公の所有の無償貸与でも、劇団の運営は地元やサポーターの支えという民の意志による、民設民営の劇場にして劇団、というユニークで意地でも豊かな自立の、ここにしかない「鳥取の劇場」であろうと願っているのが「鳥の劇場」!「演劇、劇場というものが、生活を豊かにし、未来をつくるために意外と大事なものかもしれない。そのことを鳥取の地で証明してみたい。無謀な挑戦だが、社会から必要とされるものならば、生き残れる」と謳う。なるほど、半端ではない、いい度胸といい覚悟だと納得したものだ。

       f:id:tanigawamichiko:20180302104437j:plain

 08年度から県や市と協働して地域と世界に開いた毎夏の「鳥の演劇祭」を開始…。実際にはどういうことなのかと気になった私は、その2回目を訪れた。空路ながら初めての山陰の初秋の旅という風情の、2009年9月のことだった。

 鹿野町は2004年に鳥取市と合併した人口4000人弱の風情ある城下町。JRで鳥取駅から1時間弱。公演の時は最寄りのJR浜村駅から劇場の無料送迎バスが出て約15分。演劇祭のコンパクトなパンフレットには、スケジュールや地図、お勧めスポットに宿の紹介、さまざまな体験プログラムまで掲載されていて、2週間のこの演劇祭全体が、演劇と自然や文化や地域を知って楽しむ「旅」として構想されているのだ。便利や効率など無視して手間暇かけてゆっくりと体験し、よろずと生身で出会う。詳論の余地はないが、演劇の演目も日本だけでなくルーマニアや韓国からの客演、全国公募での劇団による「鳥の演劇祭ショーケース」、参加者を募って専門の振付家と作品を創り披露する「とりっとダンス」等々、さらに演劇や文化をめぐるシンポジウムやトーク、こんな贅沢な演劇文化体験はないかな。

鳥の劇場」での『母アンナの子連れ従軍記』

 実は「鳥の演劇祭」を訪ねたのは、ブレヒトの『肝っ玉おっ母』あらため拙訳の『母アンナの子連れ従軍記』を2010年1月に上演したいのでよろしく、というオファーを受けて、東京の1000の客席の栗山民也演出・大竹しのぶ主演の新国立劇場の大劇場公演に対し、客席200の大きな小劇場というのを見ておきたかった、ということでもあった。2009年12月には、観客へのプレ・ブレヒト・レクチャーに呼ばれ、率直でキラキラした観客の好奇心にも触れた。稽古も見せてもらった。MC役のようなブレヒトさんを配して娼婦イヴェット役の中川怜奈に重ね、現在との時間的・空間的距離を観客に考えて貰おうという構成に、「翻訳劇」を超える工夫を感じた。

 そして本番の1月には、我が教え子秋野有紀が東京外語大の博士論文を留学中のヒルデスハイム大学との共同学位にしたいということで、その公開審査会にドイツ文化政策の権威のシュナイダー教授の来日とも重なったので、審査会を終えた慰安温泉旅行もかねて総勢10名の観劇ツアーを企画。ついでというか、神戸大の藤野一夫教授をはじめ、これだけの文化政策の専門家メンバーが集まる好機だからと、鳥取大学とも組んで、日独の文化政策についてのシンポジウムまで、観劇後に開催しようと欲張った。上演後の熱気と相俟って、西日本から駆け付けたらしい150名余の観客との議論も白熱し、こんなこともできる「鳥の劇場」の可能性を実感。

       f:id:tanigawamichiko:20180302104657j:plain

10年ぶりの再訪

 などというような前史も受けての今回の10年ぶりの再訪。この間は、私自身は東京外国語大の定年退職にハワイ大学でのブレヒト学会発表、クモ膜下で倒れての手術にリハビリしながらの奇跡の社会復帰…等々の人生の転機・危機もあって、気が付くと10年近くが過ぎ去っていた、という感じだろうか。もちろん、MLや情報は受け取っていたが、拙訳で『三文オペラ』上演をやりたい、という再度のラブコールも貰っていた。「鳥の劇場」も10周年を迎えていたわけだ。

 神様の粋な計らいに感謝しつつ、2月の公演なので、全日14時開演、鳥の劇場で「どんな大雪でも上演を行います」とのこと。北極にでも行くような重装備で飛行機に乗ったが、さほどの大雪でもなし。10年前からどう変わったのか、変わっていないのか。

 まずは2011年に耐震化工事として、劇場改修がなされていた。雨漏りの屋根や壁の構造に客席もしっかりとなり、照明や劇場床シート張替え、道具倉庫づくり、また手作りながら、建物改修の費用は県や市が支えてくれたとか。それだけ地域に根付いた活動として認められた証拠で、「国際交流基金地球市民賞」も受賞。

        f:id:tanigawamichiko:20180302104727j:plain

 「鳥の劇場通信」も充実して、「劇場がただ演劇を愛好する人だけの場ではなくて、広く地域のみなさんに必要だと思ってもらえる場になることが、私たちの目標です。演劇創作を中心に据えて、国内・海外の優れた舞台作品の招聘、舞台芸術家との交流、他芸術ジャンルとの交流、教育普及活動などを行い、地域の発展に少しでも貢献したいと考えています」という精神は、随所に行き渡っている。週末や夏休みを使っての小鳥の学校。さまざまな場所での出張上演・ワークショップ。2013年にたちあげた障害のある人とない人がともに演劇をつくる「じゆう劇場」が2017年に「『ロミオとジュリエット』から生まれたものー2017」をフランスはナント市での日仏障碍者文化芸術交流事業で公演するという文化庁の委託事業までやってのけたという。日常的には写真展に映画上映会。呼んだり呼ばれたりの滞在制作に発表会。モノづくり体験にセレクトショップ。等々―20名弱の劇団員でよくここまでやれるなあと思えるほどの多彩ぶり。拓いているのだ。いい覚悟は、やはり半端ではなかった!

        f:id:tanigawamichiko:20180302104844j:plain

さて、「鳥の劇場」の『三文オペラ

さて最後に、今回の『三文オペラ』の舞台に触れなくては。

ブレヒトの名前を1928年に一挙に世界的にしたこの作品。当時は映画化の伝播もあってもちろん、今なお世界中でさまざまに上演されているが、私自身も両手で足りないくらいに観ているが、その中でもこの「中島・鳥の劇場」版は、風変わりでユニークだった。

 ブレヒトの『三文オペラ』は、200年前のイギリスのジョン・ゲイ作『乞食オペラ』の独訳をもとに、ベルリンのシフバウアーダム劇場の改築杮落し公演に間に合わせて作曲家のクルト・ヴァイルを誘って大車輪で完成させた音楽劇。つまり、原作1728年―改作1928年―上演2018年という三階建て構造をどうするかだ。ネタバレご容赦だが、硬い言い方をすれば、産業資本主義の勃興期―金融資本主義への転換期(1929年には世界金融恐慌!)―グローバル新自由主義の現在? ブレヒトの改作には「男一匹飼い殺すのと、男一匹殺すのと、どちらがたちが悪いでしょう」、「銀行設立に比べれば、銀行強盗などいかほどの罪でしょうか」という有名な名文句がある。色男・斎藤頼陽演じる最後のメッキースの「絞首台での演説」だが、その行きつく先が現在、という解釈だろう。

f:id:tanigawamichiko:20180302104811j:plain

 場面はずっと「みらい銀行」の受付職場という設定の装置だ。役者のほぼ全員が今は銀行マンと銀行レイディーズで、舞台前ど真ん中に生演奏のバンドが陣取る中で、18世紀のロンドンが舞台らしい乞食と盗賊と娼婦たちによる『三文オペラ』がロビー公演として上演される構図。十数名の役者で2時間余の舞台に変換するには、なるほどそう来たか、という納得の設定だ。このブログを大人の『三文オペラ』と題打った次第。

      f:id:tanigawamichiko:20180302104943j:plain

 音楽・ソングをどうするかも思案どころ。ドイツはブレーメンからの参加というオーボエファゴットクラリネット木管トリオのアンサンブル・ココペリ3人の生演奏と、サックス(松本智彦)、ピアノ(渡邉芳恵)、エレクトーン(太田紗都子)演奏をうまく組み合わせて、原則としてヴァイルの曲を使いながら、歌詞もそのなかで唄えるように、アレンジャー武中淳彦氏の腕の見せ所。ものすごく苦労工夫されたというが、これもなるほど。私自身も翻訳において意図的に、ヴァイルの曲に合わせての訳詞はあえてしなかった。音楽・ソングの使い方は上演の位置づけ方次第だから、ともあれ原語でのブレヒトの意図が通るようにと日本語に訳した。これでは歌えないという批判も伺ったが、それは上演集団が考えることだと思うから。この音楽も「鳥の劇場版」になっていた。

       f:id:tanigawamichiko:20180302105003j:plain

 原作の意図をリスペクトしながら、上演はいまの自分たちの観客に届くように、というのが「鳥の劇場」の基本理念で、公演前にはいつも作品についてのプレトークがあって、毎公演後にアフタートークを欠かさないのも基本姿勢。このときは私も飛び入りで参加させてもらった。

         f:id:tanigawamichiko:20180302105029j:plain

 劇場を出たところが大きなカフェ・ラウンジになっていて、もちろんバリアフリーで、無料の水にプロの入れるコーヒーとパンやお菓子、劇団手作りのいろんなグッズ。鳥マークのTシャツや根付け、ハンカチ、原作翻訳の文庫、等々も販売。観客は思い思いにおしゃべりしたり、アンケートを書いたり。もちろんここがトークと議論の場。この居心地の良さは何だろう。無料で、送迎車、託児室、ハンド版の字幕、飲み水、大人2000円に18歳以下500円、中学生以下無料なのだ。すべてが観にきてくれる観客のため、ホント、初日は雪でも補助席が出るほどの満員で、子供たちも沢山いたのに、楽しそうに乗って見入っているのだ。こういう配慮あふれる観客つくりがいい。

2026年の20周年へ!

 毎年度の活動テーマがあるというが、今年のそれは「豊かさってのは金のことか?それだけじゃない?じゃあ、もう一度考えよう。豊かさってなんだ?」。そだね~

 10年間の蓄積がこういう形で実っていることに、ホッと嬉しく、これからも息切れしないように、ずっと頑張れと、エールも送りたくなるのだ。10年ぶりの再会の高揚とその間の互いの頑張りを想起しての交歓!2026年の20周年記念も一緒にやろうねと言われ、生き延びられるかなあと。ともにガンバ!!