谷川道子ブログ

東大大学院修了(ドイツ演劇)。東京外国語大学教授。現在、東京外国語大学名誉教授。

TMPとやなぎみわの『神話機械展 MM』終了

 2018年に美術家やなぎみわから、学生たちの手作りのギリシア神話に基づく「神話機械」の中に、ハイナー・ミュラーの『メデアマテリアルMM』のテクストを中心にしたライブパフォーマンスを挟んだ展覧会「やなぎみわ展 神話機械」を2019年度一年かけて各地の五つの美術館で巡回公演したい、という途方もないオファーを受けて、それならその枠の中にミュラーと多和田の作品に関連したパフォーマンスをちりばめられないかと背中を押され、2020年度までのTMP(Tawada/Mueller/Projekt)=(多和田葉子/ハイナー・ミュラー/プロジェクト)始動の肚を決めたのだった。その「神話機械展」が、2019年10~12月の神奈川県民ホールと2019年12~2020年2月の静岡県立美術館を最後についに幕を閉じた。先日その5美術館による報告書が送られてきた。巡回先で進化変容を遂げつつそれぞれ工夫を凝らした関連イベントも多彩豊かで、まずは記録と記憶にとどめたいという主催者たちの思いがひしと伝わってくる。チームワークもあっぱれ、感無量である。

「谷川先生の脳内劇場」と揶揄われつつ演劇表象をめぐる思索と上演を関連させ試みをとさまざまな企画や可能性を思い描いたのだが、すれ違いや早とちりで、果ては2020年になってからはコロナウイルス禍に巻き込まれ、上演中止や延期、企画中断も挟んで、ここまできた。ミュラー関連では京都の新装なった民営劇場E9で劇団地点が『ハムレットマシーンHM』を上演。元来がドイツ演劇との縁も深く、ミュラーシェイクスピア脱構築した手法を活かしてきた劇団と捉えていたが、逆に原作にも戻しつつ彼らなりの斬新な「Jという場所」の探りとしてのHMにして見せた。そう来たかと。さらにいくつもの企画もあったのだが、捕れなかった皮算用を少し挙げれば、ベルリン・ゴーリキー劇場難民劇団の「HM」の招聘公演や、勅使川原三郎氏への『カルテット』ダンス化依頼、あるいはHMP(ハイナー・ミュラー・プロジェクト)の主軸であった劇作家故岸田理生を偲んだ13回目の〈リオ・アバンギャルド・フェス〉(このフェスはそれぞれ関わった原作=ミュラー=岸田=谷川=上演集団の上書きでクリエイティブ・コモンズの試みと言えようが)での劇団 風蝕異人街の『メディアマシーン』や『カルテット』の上演等々も、コロナ禍で中止・延期となったり…。多和田葉子の演劇は11月を中心に公演できた。

 こうした主として2019年度の活動は、東京外国語大学出版会から2020年夏に刊行予定の『多和田葉子ハイナー・ミュラー~演劇表象の現場~』という本に、多和田の修士論文邦訳とカバレット上演台本を合わせ鏡にする形で、様々な論者の論考や舞台実践記録をまとめて集大成される予定である。連動して秋には『多和田葉子の〈演劇〉を読む』も論創社から刊行予定。まだまだコロナ禍の動態の先が読めないなかで、あれもこれもいまだに捕らぬ狸の皮算用ながら、とりあえず「神話機械展」の終了にエールを贈る思いで、神奈川県民ホール静岡県立美術館でのトークの際に参考として配布した資料をここに採録して、次の「多和田葉子の〈演劇〉」の展開の段階へのつなぎとしたい。

 

1)  ハイナー・ミュラー(1929~1995)とは何者か

今は亡き国、30年前に分裂していた二つの国が統一して、消えてしまった国「ドイツ民主共和国」、通称「東ドイツ」。40年間存在して、その前はヒトラーナチス第三帝国。その前はワイマル共和国。ハイナー・ミュラーは、そういう時代の転変を、東ドイツに在住しつつ、壁や境界、隙間を縫う様に巡って、現在と歴史を俯瞰的に透視する鳥の目をもつて、ブレヒトの後継者として、演劇や表象の可能性を探り続けた作家・劇作家・演出家である。70年代には東ドイツでは出版禁止や上演禁止に会い、西側で受容。次第に世界的なブームにさえなって行く。

 

2)その象徴のハムレットマシーン(HM)』シェイクスピアの『ハムレット』の翻訳上演台本を頼まれて、それがベッソン演出で東ベルリン・フォルクスビューネで1977年に上演された。しかしそれを解体しようと同時に極小のテクスト『ハムレットマシーン』を書き、西ドイツの演劇雑誌に発表される。「一体これは何なのだ」という謎の塊として、西側演劇界を席捲していく。フランスのジュルドイユ、アメリカのウイルソン、等々。ミュラー自身は、1989~90年に『ハムレット(H)』に『ハムレットマシーン(HM)』を挿入させた『ハムレット/マシーン(H/M)』を東ベルリン・ドイツ座で演出。ちょうど稽古の最中に、ドイツ座も中核となった東ドイツ民主化運動がおこり、あっという間にベルリンの壁が崩壊。1990年のH/Mの初日には、東ドイツ消滅が決まっており、H/Mのメーキング映画を撮影していたリューターは『タガの外れた時代』というドキュメント映画を完成させることとなった。偶然だったか、必然なのか、それがHMである。

 

3)『メデアマテリアルMM』は、もっとタイムスパンは大きい。アルゴー船の伝説神話はすでに紀元前800年のホメロス叙事詩にも出てくるし、エウリピデスの悲劇『メデイア』は紀元前400年。さらにセネカ、グリルパルツァー、アヌイ、等々と書き継がれ、ミュラーまで3000年近い歴史を持つ。

 簡単に伝説のあらましを。ギリシア神話の英雄イアソンは、簒奪された父の王位返還の代償に東の野蛮国コルキス王の金毛羊皮を要求され、遠征隊員たちとアルゴー船で蛮地コルキスへ向かう。コルキス王の娘メデイアはイアソンに一目惚れ、父も弟も裏切って薬物のエキスパートとしてイアソンを助け、ギリシアについていく。一度は王位奪還したものの、また追われ、二人の息子ともどもコリントスに逃れてクレオン王の庇護を受け、クレオン王の娘との結婚を望まれる。それを知ったメデイアは、復讐にクレオン王と娘を毒殺。二人の息子までわが手で殺し、竜の車に乗って逃れ去る。一人残されたイアソンは、諸説あるが、アルゴー船で漂流した後、壊れたアルゴー船の船首の下敷きになって死んだという。

 

4)ミュラーの『メデアマテリアルMM』は3部作になっていて、第1部は「落魄の岸辺」。ベルリン郊外の荒廃した湖のほとり、アルゴー船隊員たち等々のさまざまな残骸の風景。泥水の底からメデイアがいつか立ち上がってきて第2部『メデアマテリアル』。形はイアソンとの呪詛の対話。第3部が『アルゴー船隊員たちのいる風景』。とは言っても、「残るは抒情詩」のような「私とは誰?」という問いを巡るモノローグのよう、詠唱のコロスのよう。

第1部は1953年に、第2部は1974年、第3部は刊行時の1983年にと、30年余にわたって書かれたという。それぞれバラバラにも使われる。例えばブレヒト生誕百年祭にアメリカのウイルソンブレヒト劇場BEで上演出した『大洋横断飛行』は、『大洋横断飛行(技術科学の時代の開始)/アルゴー船隊員たちのいる風景(私とは誰?という人類滅亡の自意識)/地下生活者の手記(生存者の魂の牢獄)』という3部構成で、作者も「ブレヒトミュラードストエフスキー」となって、(ブレヒト生誕百年の20世紀をそう逆転させるのかと納得させる)一風変わった秀逸さだった。

 

5)対してやなぎみわの『神話機械MM』は、これだ!と思えるほどにミュラーの「風景」が立ち上がっていると感じさせる。MMのテーマは「風景」だ。3000年のトポスを30年かけて3部作にまとめ、真ん中にアルゴー船のイアソンと復讐するメデイアの〈私〉を置き、第3部の「私って誰?」は、現在の風景の中にも素材として溶解して遍在するイアソンとメデイアの「私」と「あなた」であろう。

「イアソンの物語は植民地についての最古の神話なのです。ギリシア神話では最古でしょう。そしてイアソンの最期は、神話から歴史への過渡にある閾です。イアソンは自分自身の船によって打ち殺されるのですから」。(ミュラー)。ギリシアの勝利は、今なお遍在する文明・男性社会の成立と、敗者・女性の野蛮の抑圧で、アルゴー船はいまなお世界を漂う3000年続く風景、神話の難民の海、人類の記憶の岸辺だ。

 やなぎみわは、ミュラーのテクストを再現でなく、時空不特定のビジュアルマシンに変換し(友人の文化人類学者は「ポルポト政権の遺骸の山に再会させられたようだ」と言った)、有人公演ではそこに演者と奏者の二人を演劇代表で登場させ、あるいは無人公演の時は手造り感満載のマシーン(現代の「デウス・エクス・マキナ機械仕掛けの神)」?)に、HMとMMからのさらに抽出したやなぎ再読異聞の短いテクストのエキスを語らせるだけだ。それなのに、立ち上がった「風景」が、そんなこんなをしっかり謎かけのように語り掛けてくる。

「風景というのは個体よりも長生きするものです。そうしながら風景は人間の消滅を待っている、類としての自らの未来を考慮することなく風景を荒廃させている人間の消滅をね」(ミュラー)。ここが劇場でなく、やなぎみわの設えによる美術のための展示空間であるのも決定的なのだろう。キチッと本質を透視してすぐにビジョン化して「そこの風景」として実現させてしまう。半端ない、やなぎみわのイメージと思考はすでに早くも、現代のアルゴー難民船の野外マシーン劇へと展開しているようなのだが。

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やなぎみわ展 神話機械   ライブパフォーマンス『MM』  撮影:bozzo

やなぎみわ展 神話機械
ライブパフォーマンス『MM』
構成・演出:やなぎみわ
出演:高山のえみ
音楽:内橋和久
公演日:2019年11月29日(金)、30日(土)各19:30~
会場:神奈川県民ホールギャラリー 第5展示室