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谷川道子ブログ

東大大学院修了(ドイツ演劇)。東京外国語大学教授。現在、東京外国語大学名誉教授。

二十歳の若い力の『三文オペラ』!

気がつくと二月は逃げていて、今日から三月。花屋には桃と菜の花が並び、桜便りも、河津桜を皮切りに、聞こえ始めました。嬉しい春。三月は卒業の季節でもあります。あやかって桐朋の卒業公演のお話を――

 桐朋学園芸術短期大学演劇専攻の卒業公演で『三文オペラ』を拙訳で上演したいという申し出を頂きました。何せ『三文オペラ』には、千田是也(1904-1994)と岩淵達治(1927-2013)という日本のブレヒト受容の両御大の先訳があって、お二人はともに我が恩師で、何より桐朋学園芸術短期大学演劇専攻の創設者と後継者。いいのかなという戸惑いはありましたが。

 

桐朋学園芸術短期大学演劇専攻の卒業公演

周知のようにこの桐朋短大演劇専攻は、戦後の演劇界に多くの逸材を輩出したことで知られるあの俳優座養成所(1949-67)を前身とし、千田是也を中心に安部公房田中千禾夫という日本演劇界の巨星たちにより専門俳優を大学で養成する目的をもった日本で初めての教育機関として1966年に創設されたもの。岩淵先生も関わっておられたので、卒業公演は何度か観ていたが、ペーター・ゲスナー氏(1962~)が2004年から専任となり、演劇専攻を指導する立場になって、今回は拙訳『三文オペラ』で第48期の卒業公演をしたいというオファー。演出のゲスナー先生としては、若い学生たちがいま上演するには最新訳でと言われる。両先生ごめんなさいという心境ながら、申し出はやはり嬉しい。何しろヴァイルの音楽付きの若くて元気な二十歳の『三文オペラ』なのだ。どのような舞台になるのか、わくわくドキドキと、楽しみになる。

 

それならばと、桐朋の稽古場や内輪、舞台裏も初めて覗かせてもらった。短大芸術科の演劇専攻は80名ほどで、「ストレートプレイコース」と「ミュージカルコース」に分かれていて、48期の卒業公演はそれぞれ『ひめゆりの塔』とこの『三文オペラ』。つまり40名弱の20歳の2年生が、しかも男性は4名だけ、1年生の助けも借りつつ、なるべく主役級をたくさん経験させたいという親心で2チームを組んで、それを学内の小劇場稽古場に本番の俳優座劇場と同じ舞台を組んで、1か月余の短期集中の稽古――、日程や内輪の事情を聞くと、しかもこの直後には、3-4年生の専攻科音楽専攻の『フィガロの結婚』演出と本番が3月4日に控えているという。魔の年度末…ここまで内情を書いてしまうと叱られそうだが、いまはどこの大学事情も大変なことは、私の現役時代も同様だったし、熱心な先生ほど燃え尽き症候群になりかねない…だから、楽しく面白がって、やってよかった、観てよかった、という舞台を学生さんたちと頑張って創らなければならない。ゲスナー先生の腕の見せ所でもある。

でも、音楽は稽古から音楽専攻の学生さんたちがプロはだしの演奏をしてくれるし、毎年のことだから、大道具や小道具、衣装なども仲間やスタッフ、卒業生や同僚たちとの信頼の連携プレーも得てなるほどと…わが外語大の外国語劇と違って、皆さん、舞台のプロをめざしての集団だ。やりがいはあろう。

 

 二十歳の『三文オペラ』 

そもそも『三文オペラ』は、18世紀にロンドンでヒットしたジョン・ゲイ原作の『乞食オペラ』にブレヒトが手を入れ改作、ヴァイルが作曲、「黄金の一九二〇年代」の時代精神にぴったりはまって、伝説的なメガヒットとなったミラクルな作品、乞食と娼婦と泥棒たちが繰り広げる猥雑な音楽劇だ。

初演後に絶賛の記事、そしてソングのメロディは、新メディアのラジオやレコードとともに巷にあふれ、一年余のロングランに、ドイツ中のみならず、モスクワ、パリ、東京、ニューヨーク等でも上演され、一九三一年のパープスト監督による映画化と、ブレヒトの名前が世界に一躍とどろく契機にもなった画期的な作品。当時のブレヒトたちも三十歳前後の怖いもの知らずの若者だったとはいえ、今回は二十歳の『三文オペラ』だ、どうなることか。

 

出会った最初は、ホントに二十歳の若者だった。風邪や失敗、忘れ物のハプニングにもゲスナー先生の檄と怒鳴り声。でも若いというのは成長の度合いも著しい。「二十歳の僕たちが稀代の大泥棒や乞食の友社社長や警視総監の大人のメッキースやピーチャムやブラウンをどう演じればいいんでしょ」と屈託なく聞かれて、外野としては「だって、そういう役そのものになれと言ったって、無理でしょ。泥棒チームは実は皆、女の子たちなのだし。どうする? どう演じてどう見せればいいのか、自分たちで考えてやってみて、その役になるんじゃなく、その役に見えるよう演じてみせるんでしょ」。そしてけっこう変わっていく。娼婦なんか目いっぱい網タイツやブラジャーおっぱいで気取ってみせて、メッキースは精一杯二十歳で男の色気を見せて…ダブルキャストは本番ではそれぞれ個性の違う自らのメッキースやポリーをちゃんと見せてくれる…。

 

客席三百の俳優座劇場はちょうどいい大きさで、右手前に五人のオール女性の生バンドが控えていて、木組みの数段の舞台は、歳の市の広場にも、乞食の友社にも、結婚式の馬小屋にも、娼婦の館にも、牢獄にも、自在に変化して、どたばたの猥雑さの舞台転換も、幕をうまく使いながら皆でスムーズ。さすがミュージカルコースの学生たちだけあって、歌も聞かせるのだ。

無理に四十歳代の大人に見せるのではなく、でも違和感なく、二十歳台らしいのびやかな溌剌さも伝わってくる。

 

若さだけではない。この作品のテーマも、きっちり浮かび上がってくる。

乞食や泥棒や娼婦など最下層の庶民たちの、成り上がろう、それでもちゃんと生き抜いていこうとするエネルギー。たとえば「第2幕のフィナーレ」は、「まずは食うものを寄こしな、お説教はその次、まずは食うこと」「人は何をして生きるのか」、「うぬぼれるのはやめよう! 人間は悪いことばかりして生きているのだから」―――ほぼ全員が、舞台の下から首や身体を突き出して、迫力ある歌と振付で観客を睨みつける。悪いのは我らだけではないぞ、あんたたちも同じだろうと。さてその中で、どう生きるのかと。

メッキースは絞首台で「銀行設立に比べれば、銀行強盗など、如何ほどの罪か」「男一匹殺すのと、男一人を飼い殺しにするのと、どちらがたちが悪いか」としたたかに社会批判の演説をする。ところがそこに届く女王からの恩赦。「最後のフィナーレ」では全員で、「現実の世界では、こうはいかない、ひどい末路だ、国王の使者などめったに来ない、踏みつけたり、踏みつけられたり、だからあまり不正を追及してはいけない」。それが現実か、それでいいのか――。若さの迫力が人間と現実を見る迫力となって、舞台と現実と、どっちが本当かと、虚実を問い、答をアイロニーたっぷりにひっくり返して見せる。

素直なまっすぐさが印象に残った。たしかに現実の世界は中々ハッピーエンドとはいかない。だからこそ、若者よ、グッド・ラック!

 

三文オペラ (光文社古典新訳文庫)

三文オペラ (光文社古典新訳文庫)