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谷川道子ブログ

東大大学院修了(ドイツ演劇)。東京外国語大学教授。現在、東京外国語大学名誉教授。

何故か、野上弥生子のこと

何故か、野上弥生子のこと

 

 何故か―敢えてきっかけをいえば、とある人が大分に出張に行った際に、せっかく大分に来たのだからと野上弥生子の生家を訪ねて、そのお土産に彼女の生家の小手川酒造の焼酎「白寿」と何冊かの彼女ゆかりの本を買って贈ってくれたこと。くも膜下出血の手術以来、我が余命は長くないとよく口にするのを耳にして、あなたは周りがはた迷惑するほど白寿まで長生きしますよ、という嫌味か励ましかの思いやりでもあったのだろう。病もちでこの歳になると、老いと寿命はいろいろに考える。いつお迎えが来てもいいように―。

 

 もちろん彼女の本は、名著『秀吉と利休』はじめ読んではいたが、あらためて伝記を繙くと、たしかに老いつつある身としては、すごく励まされた。なかでも感心した伝記は、大分市立大在小学校の校長をしておられるという、大分女性史研究会員でもある佐藤智美さんという方が、これから自分の夢と希望に向かって生きる少年少女に、野上弥生子の百年の人生を届けたいと、ですます調のとても読みやすい文章で書かれた『野上弥生子―時代を見つめ書き続けた100年の生涯』。その思いに呼応して、森洋一による弥生子の足跡をたどってその生活や景色のスケッチのイラストのような挿絵も添えられていて、「大分県先哲叢書―普及版」という地域に根差した愛情とローカル性も心地いい。

 

 でも何より励まされたのは、弥生子の気負わない、だが時代や社会の本質を見据えた凛とした優しさと靭さに裏打ちされて、九十九歳まで書き続けた意志の強さだった。一八八五年五月に大分県臼杵市に生まれ、一九九五年三月の逝去までほぼ百年。十五才で上京して明治女学校に入学し、二一歳で卒業とともに学び続けるために野上豊一郎と結婚。二二歳で書いた習作『明暗』が夏目漱石に認められ「文学者として年をとるべし」と長文の手紙を貰ってから、三人の男の子を育てつつ、「青鞜」などに小説を書き続けるが、本格的に認められたのは、関東大震災や二つの大戦を生き延びた戦後だった。『迷路』が刊行されて読売文学賞を受賞したのは、七三歳のとき、『秀吉と利休』が刊行された女流文学賞受賞は七九歳。女学校時代を描いた小説『森』の連載開始は八七歳、九九歳で逝去の後に最終章が遺されていて一一月に刊行。その後にも、キリシタン大名だった大友宗麟について書く予定だったという。しかも一九二三年から始めた日記はほぼ毎日書かれ、大学ノート百十九冊あったとか。加えて六十五歳の時の夫豊一郎の亡き後は、夏の北軽井沢の山荘と冬の成城の家で、手伝いの手はあったものの、ほぼ一人暮らしだった。でも北軽井沢で交流のあった哲学者の田辺元氏とは、田辺夫人没後に、山荘に週二回通って、哲学と文学の講義を受けつつの長く豊かな交流があったようだ。お見事というしかない生き方…。

 

 六十八歳くらいで余命短いと騒いでいるわが身が、恥ずかしくなる。もっとも、くも膜下出血の後遺症で介護認定されたおかげで、毎週二回通っている通所リハビリでも、七〇-九〇歳代のお元気なご高齢者たち、とくにKさんから、「あなたはまだ若いのだから、もっとちゃんと口紅つけてお化粧もしなさい」(!?)となどと励まされている。元気になる心身鍛錬のありがたい場である。「老い」とは年を重ねること。野上弥生子は、そのはるか上をいってとても凡人には手が届かない存在だとしても、励まされる素敵で見事な先達、お手本はたくさんおられる。

たとえば片手くらい年長だけど、長い髪を結いあげて竹久夢二のモデルにもなりそうな衣装センスもいいYさん。超のつくほどの読書家で蔵書家でもある。いつも本を読んでいて、最初読んでいた大江健三郎から話が始まって、五木寛之水上勉中上健次やら村上春樹…最近は女流文学、中里恒子、宇野千代小池真理子、そして野上弥生子等々と、次々に借りて読むことになった。白状すれば、演劇をやっていると、次第に遠くまでの劇場通いがしんどくなって、舞台はエターナルナウなライブアート、つまり上演が終わると消えていくことが、魅力でありつつ、切なくもなる。そういうときにやたらと小説と文章が読みたくなる。もちろん狛江市立図書館がマイライブラリーなのだが、小説はもっぱらY文庫から借りて、後で二人でああでもない云々と語り合える。我が家に入らなくなった村上春樹などの小説はY文庫に引き取ってもらったり。彼女は朗読活動もしていてときおり発表会もやって、演劇にも関心・造詣が深いし。たまに観劇や食事も一緒する。老いてできたありがたい友人だ。若い谷川塾の友人たちももちろん大切な我が宝物なのだが、若さが羨ましくまぶしいときもあるから。

 「生きるとは書き続けること」という野上弥生子には及ばないとしても、老いとは心身ともに元気で年を重ねつつ、「読み続ける、観続けること」―-誰にもいつかは必ず来るお迎えまで、そうでありたいなと切に思うこの頃だ。