谷川道子ブログ

東大大学院修了(ドイツ演劇)。東京外国語大学教授。現在、東京外国語大学名誉教授。

『三文オペラ』

 この9月の新国立劇場・宮田慶子演出 『三文オペラ』へのお誘い

 ということで、エターナルナウの芝居屋に戻ると、9月10~28日に、新国立劇場で拙訳の宮田慶子演出による『三文オペラ』が上演される。実はもっか、稽古の真っ最中で、翻訳者として時おり覗かせて頂いているが、ものすごいスケールとパワーで実に楽しい。その稽古のことは、次回に!

 

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 その前の8月7日に、光文社古典新訳文庫版の『三文オペラ』が刊行された。もちろんブレヒトの原作(最新版ズーアカンプ社ブレヒト大全集版)の翻訳で、上演台本ではない。むしろ比べて頂くと面白いかと…。すでに書店には並んでいて、写真入りの帯の付いた格好いい本です! 覗いて、900円定価のお買い得なので、買って読んでから観劇もしていただけると、当方としては嬉しい限りなのですが。すべてお損はありません!

 まずはこういった経過を、ちょっと文庫の「訳者あとがき」も借用して…。

 

 新国立の芸術監督宮田慶子さんから新訳してほしい、という依頼を頂いたのは昨2013年春。ずっと気になっていた大好きなブレヒト作品ではあったのだが、え、今、私に?という感じで、ちょっと戸惑った。何せ、我が祖父と父のような千田是也+岩淵達治の両御大の業績と思いが背後霊のように覆いかぶさっていて、日本の戦後現代演劇においても大きな影響を与えた伝説的・神話的な作品だ。

 でも逆に今だからこそ、日本における『三文オペラ』の位置をあらためて考え直せるかもしれない、テーマも現代的だし、それに女性の翻訳と女性の演出と制作で『三文オペラ』が上演されるのも初めてなら、神様の最期の贈物かなと心が動いた。

 以前から私は、実は『三文オペラ』は女性たちの芝居ではないかと思っていて、メッキースだけが超主役のようなこれまでの上演舞台に、いささか不満も感じていた。そもそもが登場人物全員に存在理由がある民衆劇であり、何より女たちがもっとしたたかに生き生きした舞台が観たい。オペラでもミュージカルでもない音楽劇! 今だからこそ、それが可能ではないか、という思いもあった。だから、チャンス到来! 女性視線の『三文オペラ』だ! もちろんそれには男たちが十分に魅力的・人間的でなければならないのだけれど。

 

 それで演出の宮田さん、制作の茂木さん、谷川の三人一緒での台本作りの作業を我が家で何日かかけて行ったりした。もちろん、できれば三時間以内で、というような舞台の時空の制約のある上演台本と、ブレヒトの原作に即した翻訳を旨とする印刷刊行台本は、本質的に別物なので、舞台を挟んで、両者の対比を楽しんでいただければ嬉しい。ソングも、文庫版では原文の内容と形式を重視して訳したが、そのうえで、舞台で生演奏にあわせて唄われるソングの取り扱いは、基本的に演出の宮田慶子さんと音楽監督の島健さんによる上演台本にお任せした。歌でなく語りでなくの、ヴァイルの曲の名調子に乗って唄われる、七五調を生かしたソングの醍醐味も、味わっていただきたい。ラップでの『三文オペラ』もあっていいかなあ。

 

 宮田慶子さんの出身母体の青年座も、調べてみたらずっと『三文オペラ』にこだわってきた。一九七三年の西武劇場だったか、石沢秀二脚本・演出で、西田敏行がプレスリー張りのロック調や、着流しの演歌調といった芸達者振りを駆使・披露して大道歌手を演じた舞台は、こんなのもありかと度肝を抜かれたし、八一年の鈴木完一郎演出『ミュージカル――三文オペラ』は大塚国夫主演だが、石沢秀二脚本・構成とあるからその延長だろうか。九六年には宮田慶子演出でも上演されている。後のふたつはともに未見。しかし、『三文オペラ』に対する宮田さんの深い思い入れは稽古でも感じ取れる。今だからやりたい、うんと猥雑で乱暴で人間的で、基本的には「芝居に寄った音楽劇」として、と言われて納得し、翻訳作業に入った。

 光文社の古典新訳文庫は、九月の新国立劇場の本番前の八月初には刊行したいということで、稽古は七月に入ってからだが、キャストの俳優さんは早めに決まっていたので、写真などでそのイメージを重ね膨らませながら翻訳したが、どういう舞台になるのか、私も期待や楽しみを膨らませつつ、ワクワクドキドキと、本番を待っているところである。

 

 

 

三文オペラ (光文社古典新訳文庫)

三文オペラ (光文社古典新訳文庫)