谷川道子ブログ

東大大学院修了(ドイツ演劇)。東京外国語大学教授。現在、東京外国語大学名誉教授。

  9月13日に『三文オペラ』トーク、女性三世代トリオで開催!

 

     「マンスリー演劇講座」――「『三文オペラ』の魅力を探る」

 新国立劇場では毎月無料で、上演中の舞台と関連させつつ、観客に演劇への関心を深めて貰おうと「マンスリー演劇講座」というのを企画していて、今回はもちろん「『三文オペラ』の魅力を探る」・・・・マチネ―公演後の大きな中劇場の舞台に立つのは、まずは今回の『三文オペラ』公演をブレヒトとヴァイルの原典・原点に戻って演出したいという芸術監督宮田慶子さんの熱い思い。

 宮田さんは、今が旬の売れっ子演出家、新国立劇場を背負って立つ、頼りになるめげないタフな女性だ。何せ、劇団青年座入団2年目の『ミュージカル 三文オペラ』で楽団員としてピアノを弾いて全国巡演までなさったという、演出も今回で3度目だ。

 1世代若いのが、大田美佐子さん。「クルト・ヴァイルと音楽劇」のテーマでウィーン大学で学位(博士号)を取得し、もっかそれをもとに「ヴァイルの評伝」を執筆中というこれからのホープ。大田さんは1993年のケルン演劇場の『三文オペラ』日本客演ではオーケストラピットでシンセサイザーを弾かれたとか、ヴァイルへの関心も四半世紀。ともに関わりは半端ではない。

 対して古希近い最年長の私は、ブレヒトやドイツ演劇との付き合いは半世紀近いけれど、3年前にくも膜下出血から奇跡の生還をした身、やりきれるかなあと危惧しつつ『三文オペラ』の新訳をお引き受けし、何とか初日とこの三世代トークの日を迎えられて、感無量。

 おそらく3人ともに語りたいことは山ほどあるなか、公演プログラム担当の佐藤優さんの名司会で、トークは『三文オペラ』を中心に順調に進む。

 

      ブレヒト x ヴァイル

 ブレヒトとヴァイルの共同作業は、1927年のブレヒトの詩集『家庭用説教集』のテクストに興味を持ったヴァイルが作曲したソング劇『小マハゴニー』から、ともに亡命中のパリでのバレエ『七つの大罪』まで、わずか6年間の7作品。時代のよろずの転換期の気候(クリマ)の中で、お互いにもっとも、音楽や演劇の改革に燃えて、実験精神で作品をつくっていたときだった。ヒンデミットたちの新音楽運動や、バーデン・バーデン音楽祭へのいわゆるブレヒトの「教育劇」の作品『リンドバーグの飛行』や『イエスマン』も作曲、1930年にはオペラ『マハゴニー市の興亡』も初演された。

 しかも1933年にパリで「バレエ1933」という催しがあることを知ったヴァイルは、ブレヒトに台本を執筆しないかともちかけて、わずか数日でできたのがバレエ『小市民の七つの大罪』だった。ルイジアナの片田舎から成功を夢見て大都会に出てきた娘アンナ、実は彼女は二つに分裂していて、バレリーナのアンナⅠが自由に生きようとすると、歌手のアンナⅡが正しい非人間的で打算的な道に引き戻す。

 この作品はパリのシャンゼリゼ劇場で、ジョ-ジ・バランシンの振り付けでアンナⅠを女優ティリー・ロッシュ、アンナⅡ役をロッテ・レーニャで上演された。ピカソやストラヴィンスキイらには絶賛されたが、新しすぎて、観客の反響は悪かった。だが、約半世紀後に、たとえばピナ・バウシュに大きな影響を与え、彼女の「タンツテアタ-」への大きな契機になったという。

  ただしそんなこんなまではトークではとても語れなかったが、トーク前後に、大田さんの「ヴァイル評伝」が出たら、この3人でまたブレヒト=ヴァイルのイベントでもやりたいね、という話になった。

 

    ブレヒト+ヴァイル+アウフリヒトの野心と挑戦

 ともあれ、基本的にはブレヒトとヴァイルの間には、そういう互いの才能や関心のあり方のへ深い信頼関係があって、『三文オペラ』はたしかに、プロデューサ-のアウフリヒトのシフバウアーダム劇場のリニューアル・オープンでひとやま当てたいという野心と打算にブレヒトが乗って、ヴァイルに声をかけて大車輪で仕上げたてんやわんやのなかでの「頼まれやっつけ仕事」だった、ように見えるが、失敗するのも覚悟の上で、30歳前後の若いパワ-で強引果敢に初演の大成功までもっていった二人の、1928年8月31日初日という時限付きのこの仕事にかける思いや努力、集中力、志においては、一期一会の真剣勝負ではあっただろう。単なる偶然ではない、時代精神とシンクロして必然となったミラクルだ。

 

      ヴァイル音楽の魅力

 『三文オペラ』には、音楽的にも過渡期の時代で、当時のクラシックやオペラ、ジャズ、俗謡、タンゴ、ポピュラー音楽等々、さまざまな要素が実にうまくミックスされている。ソングそれぞれに異なる機能を持たせつつ、基本的には、序曲、第1幕のフィナーレ、第2幕のフィナーレ、第3幕のフィナーレ、とオペラの形式は踏襲しながら、ブレヒトの人を食ったような歌詞まで、ヴァイルは付かず離れずに乖離と寄り添いのバランスで実にうまく曲に乗せている。オペラのパロディではなく、ブレヒトの言葉を借りれば、「オペラの機能転換」か。

 聞き手はその陶酔的な毒性に気付かぬうちに嵌ってしまい、大田さんの言葉を借りれば、「アドレナリンを分泌させる美しいメロディを心地よく口ずさみながら、後で気付いてぞっとするような」計算された音楽世界とテクスト世界の仕掛けが『三文オペラ』の魅力、魔力なのだろう、とは3人の結論。他にもいろいろトーク・テーマはあったのだが、女性視線だとか、民衆劇の構造とか、それらは以下中略。

 

      『三文オペラ』さまざま

 ただもうひとつだけ。『三文オペラ』は世界中でさまざまにカバーされ、映画化され、舞台化されている。そもそも千田是也さんの1932年の東京演劇集団TESによる日本初演は、ブレヒトの台本が手に入らず、ジョン・ゲイの原作とヴァイルの楽譜、パプストの映画シナリオとご自身のベルリン観劇の記憶とで、舞台を明冶初年に置き変えた自由翻案の『乞食芝居』だった。

 半世紀余の後、劇団黒テント版の『三文オペラ』も舞台を明治初期の東京に移し、日本の近代化の意味を問いかけた。

 先日、SPACで客演した『ファウスト』で日本人観客の度肝を抜いたポストドラマ演劇の旗手の演出家ニコラス・シュテーマンが2002年にハノーファー演劇場で演出した『三文オペラ』もすごかった。タイのバンコクの安酒場に買春ツアーでやってきた男たちが、日本人女優原サチコ演じる酒場の女給ポリーと「三文オペラごっこ」を演じるのだ。これが、ドイツの公立劇場専属(今の所属はハンブルグ演劇場)で活躍するほぼ唯一の日本人女優原サチコの実質的なデビュー作となった。もちろんドイツ語での舞台で、背後にブレヒトの原作テクストがテロップで流れる。

 

     原点・原典への立ちかえり

いろんな『三文オペラ』があっていい、あった方がいいと、私は思う。それが作品と受け手の振れ幅だし、キャパシティだ。そういうなかで、そもそも『三文オペラ』というのはどういう作品で、どんな可能性があった・あるのだろうと、今回のように原典・原点に立ち帰る試みもやはり必要なのだと思う。たくさんの新しい発見があったし。初めて『三文オペラ』という作品がよくわかった、という声もたくさん聞こえてきた。それが日本演劇の舞台の古典を豊かに創っていく歴史の礎石になるのだ。そう実感できた体験だった。