谷川道子ブログ

東大大学院修了(ドイツ演劇)。東京外国語大学教授。現在、東京外国語大学名誉教授。

青年座の永井愛作『見よ、飛行機の高く飛べるを』を観て

青年座の永井愛作『見よ、飛行機の高く飛べるを』を観て

 先日、下北沢の本多劇場で、青年座の永井愛作『見よ、飛行機の高く飛べるを』を観てきた。いろいろ考えさせられたのだが、整理を兼ねて3点だけ。
 まずは、劇団創立60周年記念公演第一騨、だということ。思えば60年前のこの頃が、戦後新劇の最盛期。新劇の成立を1906年自由劇場とするなら、その半世紀後だ。文学座の結成は1937年、劇団民芸が1950年。1944年に結成された俳優座は49年に養成所を設立、以降1967年の18期まで600人余の卒業生を輩出し、その3期生あたりから、東京演劇アンサンブルTEE、劇団新人会、仲間、青年座などが劇団をつくり、それぞれの演劇活動を模索していった。戦後もブレヒトを始め、ベケットウエスカー、オズボーン、フリッシュ、ヴァイス、アーサー・ミラーといった海外戯曲の紹介や上演も盛んだったが、やはり日本の演劇を、という機運は大きかった。何をどう上演しようか…そういう手探りの中で、各劇団の独自性が作られていったのだと思う。1965年から大学生となって演劇に目覚めた私は、卒論でブレヒトの教育劇を取り上げつつ、眼の間で上演される舞台を追っかけたものだ。その後60年代後半から、明確に西欧劇受容追随の新劇に反旗を翻して、アングラ演劇が登場してきた。紅テント、黒テント天井桟敷、早稲田小劇場…彼らは自前の戯曲と演劇方法論、テントという移動劇団として、世界の演劇シーンまでかけめぐった。その後は、劇作家/演出家の名を冠した野田秀樹夢の遊眠社渡辺えりの劇団三〇〇、永井愛+大石静の二兎社、坂手洋二燐光群などの小劇団が輩出していった、というのが異論もあろうが、ざっくりした見取り図だろうか。
 そして今年、TEEはブレヒトの『屠畜場の聖ヨハンナ』で60周年記念を、仲間は『森は生きている』や『星の王子様』の児童演劇路線を打ち出し、創立77周年の文学座は、今年が生誕450年のシェイクスピアにちなんで、1年をかけてさまざまな角度からのアプローチでの「シェイクスピア祭」を開催すると聞く。
 いま、どの劇団も状況は厳しい。ドイツには各都市にいくつも公立劇場があって、劇場=劇団、つまり俳優も裏方も公務員で、その演目は議会の話題にもなるし、切符代は費用の三割と言う演劇王国だ。日本では、演劇活動で暮らしていくのも大変。戦後しばらくは、全国演劇鑑賞団体連絡会議(演鑑連、いわゆる労演や市民劇場)がさかんで、それの演目に載って全国を巡演することが大きな支えとなった時期もあったが、今ではそれも中々。テレビや映画の巨大資本やマスコミを相手に、どの劇団も生き残りと世代交代を模索中、というところだろうか。

 第2点は、そういうなかで青年座が取ってきたスタンスだ。当時、どの劇団も劇場や稽古場もなく、あちこち使用料を払ってさすらっていた。だから青年座は頑張って代々木八幡に劇場を作り、劇場と劇団を提供して、自分のやりたい企画を劇団員が経済的な責任をすべて負って上演するというスタジオ公演を重ねたという。それがやはり実を結んだのだろう、「創作劇の青年座」として日本の劇作家を育て、日本の演出家、俳優、演劇の歴史をつくりあげてきた。実は私はいくつかを例外として、青年座やその他の日本の舞台をそうフォローはしていない。ウイーン大学客員教授から帰国後に、お礼奉公のように独文学会の理事や勤務先大学の執行部に選ばれたという経緯もあったが、選ばれたら拒否権のない選挙制度で、組織員の務めと覚悟はきめたものの、それは定年退職まで続いた。最初にあきらめたのが劇場通いだった。

 ロビーで「ある演劇制作者の記録」という副題を持つ水谷内助義著『劇を。』という本を見つけて、売っていた若い青年に、この本で青年座の歴史が分かるのかな、と水を向けたら、いいえ、もっともっと演劇への熱い思いや理想が伝わってきます、と元気な答。あおられて帰路に読みふけった。水谷内さんは41年間、青年座の制作を支えつづけてきた方だ。舞台は上演まで実に手間暇金のかかるコストパフォーマンスの高いライブアートである。そしてお客さんが来てくれて、はじめてナンボ、という世界。本書は1992年から公演の都度、観客宛てに「ご挨拶」として送った文章の集大成とか。観客へのサービスもきめ細かい。いま必要なのは、表の舞台を裏の縁の下で支えて、劇団のポリシ-や想い、理念をまとめて丁寧に観客に伝えてくれる、こういう制作者なのだろうと思う。日本新劇制作者協会会長もつとめておられるという。劇場法はできても先は長い、見通しも甘くない。でもこういう熱い思いの老年や青年のいる劇団は大丈夫だろう。

 第3点は、永井愛さんのこの作品について。
もちろん彼女の芝居はいくつも観ているが、この作品が1997年に青年座に書き下ろされたときは観る余裕はなかった。観客に依る「The青年座ニュース」という支援団体でもう1度観たい作品を募ったらこの作品が選ばれて、60周年記念の第1騨になったという。
そう、観客の意向を尋ねつつ、1回限りでなく何度も再演される劇団のレパートリーを作ってほしい。ピナ・バウシュの舞踊団がやったように。それには装置や衣装などの倉庫も必要。ベルリン・オペラ座で最も高い費用が倉庫代だとか?

 舞台は1911年の岡崎にある女子師範学校平塚雷鳥の「青鞜」も世に出て、明日への気概に燃える女の子たちは、「空を飛ぶなんてことが実現するんですよ、女子もまた飛ばなくちゃ、ならんのです」――そうか、宮崎駿の『風立ちぬ』の女性版なのだ、空を飛んだということはそれだけ夢をかきたててくれることであったのだ。それが結果的に軍用機になろうとも…。女子たちは、厳しい学則や学生の放校処分に抗してストライキまで企画するが、結局切り崩され、「バード・ウイメン」という雑誌をつくる…といった群像劇なのだが、永井愛は人物の本音と建前をコミカルに浮かび上げるのがうまい。面白いのは、永井愛の105歳のお祖母さんが夜な夜な語った話が素材になっているという。1学年下に市川房江さんが居て…
どこかの話と似ているなと思ったら、もっかNHKの朝の連続ドラマの『花子とアン』も同じ時代だ。山梨の寒村から向学心と想像・創造力に燃えて東京の女学校に進学した安東ハナが、戦争をはさんで、柳原白蓮のエピソードもからめつつ、カナダの作家モンゴメリの『赤毛のアン』などの翻訳家村岡花子になるまでの話。これも孫の村岡恵理の聞き書きの伝記をもとにしている。あの頃の女子は、今よりもっと元気だった。
 もう一人付け加えさせてほしい。我が姑・鷲山順さん。彼女は1907年に掛川の旧家に生まれ、見附の女学校から津田塾大に進んだ。東京女子医大をつくった遠縁の吉岡弥生さんの家に寄宿して、夜に脚をもみながらいろんな話を聞かせてもらうのが楽しみだったという。しかし、弟が結核になって郷里に看病のために帰らざるを得なくなり、志半ばで退学して田舎に戻った。英語が大好きで、向学心に燃えていた姑は、さぞかし無念で悔しかったことだろう。看病の甲斐なく弟はなくなり、自分も結核になって療養、しかし愚痴ることもなく40歳近くになってやっと結婚して、さずかった大事な長男まで中三で結核になり、本当に命がけで看病して元気にした。
 その嫁が私である。84歳で同い年の舅が他界して、東京の家に引き取ることになった。2LDKの小さなマンションだ。仕事は続けると覚悟を決め、夫婦別姓も貫き、最初はどうなることかと七転八倒しながら頑張って、互いの関係を探りつつ、でもヘルパーさんも味方にし、そのうち私の背中を押してくれる最大の同志・戦友となった。彼女自身の悔しかった思いも含めて、あの時代の大正デモクラシーが背骨になっていたからだと思う。そのおかげをこうむったのが私、というわけだ。彼女もぼけ始めたころには女学校時代の話を何度も繰り返した。もっとも輝いていた時代だったのだ。101歳で大往生した。

 そんなこんなを身につまされる形で考えさせてくれるのが、やはり日本の演劇だろうか。いや、もはや日本の演劇vsドイツや外国の演劇といった二者択一の発想こそが無益なのだ。
ただ一言、劇を。

お誘い

お誘い
 
 谷川塾の皆さま、 谷川です。ご無沙汰してます。
いい季節で,我がベランダの,バラも咲き誇っています。それなのに寒暖の差が激しいからか、二人して風邪ひいてしまいました。
 寒がりは、梅雨明けまで衣類の入れ替えができないのかとなあと、案じています・・・・
 
 実は、不肖、私、ブログを開設しました。
 柴田さん以下を確認して下さったようです。
 
> はてなブログは更新されたものを読むことができました。
>> 「谷川道子ブログ」
 
ーーいきさつは「谷川道子ブログ開設の辞」をご参照ください。
 
私自身は、谷川塾のMLで,互いの情報交換や連絡などは十分なのですが、演劇の社会的な認知度の低い日本では、演劇ってこんな見方もできるんだ、こういう可能性もあるんだ、へーっえこんな楽しさもあったんだ、そういう意外なサプライズもしてほしいなと、思って、谷川塾のブログを始めてみたいなと思いました。演劇など見たこともない方もおられるかもしれませんが、意外と面白い・・・・・。私自身はメカ音痴ですから、塾の皆さんにいろいろ助けて頂かないと、どんなことになるやら、ご理解とサポート、よろしくお願いいたしします。
 
戦略としては、谷川塾のMLをそのまま谷川道子ブログにリンクさせて、一石二鳥狙い、です。そのままで十分面白いですから。
ただ、個メールをMLに開いたり、ブログに開いたりすると、例によって、やってはいけないことにも成りかねませんので、ご寛恕とチェックのほど、よろしくお願いします。
 
それで、次回谷川塾は、5・31です。いつものように14:00喜多見駅に集合。出欠のご連絡ください。
まずはその1 教え子の川崎さんは秋からのベルリン研修が決まったようなので、京都芸術文化センターでの活動や、
私は実は一度もちゃんと見ていない京都でのKYOTO EXPERIMENT(KYXT)などの活動をとりあげて、話をしてもらえればと。
東外大での教え子ですし、日本におられるうちに・・・とりあえず、初回と送別会もかねて・・・・
今秋にはKYXTを覗きに行きたいなあと・・・・古後さんもお忙しいでしょうが、5・31にもし可能なら・・・
 
もうひとつは、SPACの最近の活動をとりあげて、『ファウスト』をご覧になった方も多いと思うので、山口ユキさんがセジウイックの「ホモソーシャル理論」と重ねた面白い劇評を書かれたので、それをたたき台にシュテーマン演出について皆でお喋りでもしましょうか。
 
谷川塾次々回は8・23・・・・新国立の『三文オペラ』尽くしでいきましょう。
その次の8月ですが、神戸大の大田美佐子さんから(「文学」2014、3,4月号「演劇の東西」特集にアメリカのヴァイルについて、寺尾さんや梅山さんともども書いておられます)、8・23なら大丈夫というお返事を頂きましたので、ヴァイルと『三文オペラ』について、話してくださるそうで、そのときに、この小松原さんの教え子田中里奈さんの発表も合わせてやって貰えれば1番いいのではと思いました。大田さんはその筋のプロでいらっしゃるし、萩原さんもいて、話もミュージカルや日本受容、等々に拡がって繋がって、いいのかなあと。
つまり8月23日は音楽劇特集です。若手も大いに歓迎。
 
 由理さんは第2子ご懐妊ですか。8月23日は来られますか?
 
 
文字通り、W杯の年と重なった(同様に外語大の我が教え子であるご主人は川崎フロンターレの重要スタッフで、結婚式ではその社長さんと不肖私も並ばせて貰いましたが)何重ものおめでた、大久保賢治が選ばれて中村憲剛は補欠のようで、よかったですね。
6月はまたお祭り騒ぎでしょうか・・・・
 
 活躍して日本がW杯で勝つともっといいねえ。
 しかもこの5月には独文学会発表ですか。小松原さんと柴田さんも発表なら行きたいけど、季節の変わり目で、体調がちょっとあやしいです。行けそうなら行きます・・・・
 
 由理さんこそ、間違っても転ばないように、ちゃんとガードを付けて歩くべし!
 
以上!このMLを、ブログにもコピペしますね。
 
 
> ちなみにSPACの劇評講座は以下です。
>
>「準入選」をいただた拙評『Hate Radio』も掲載されています。
> 他に『セキュリティ・オブ・ロンドン』『じゃじゃ馬ならし』『エリザベス2 
> 世』『マルグリット・デュラスの「苦悩」』『WHY WHY』も書いています。
>
>昨日、お話しました劇評サイト「ワンダーランド」はこちらです。
>
>左のタスクバーで、書き手ごとにまとめて検索することができます。
>ここでも5本ほど書かせてもらっています。
 
 こんな風に居ながらにして見る・読むことができるのですねえ。
 
そんなこんなの情報を、これからブログにも掲載しますね。
 
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『ファウスト』追伸

 ファウスト』追伸

 

冒頭に載せたのは、SPAC(静岡パフォーミングアーツセンター)が招聘したドイツはハンブルグのタリア劇場客演『ファウスト部』に際して、その上演パンフレットに依頼されて書いた文章。この『ファウスト部』もすこぶるつきで面白かった。次回5月31日の谷川塾でも議論テーマの一つとしてとりあげる予定だが、教え子の山口ユキさんがセジウイックの「ホモソーシャル理論」と重ねた面白い劇評を書かれ、すごく面白かったので、その谷川塾議論のたたき台に使う予定、ご本人の許可を得て、ここに先に転載させて貰います。

と思ったのですが、SPACの劇評コンテストに応募中で、審査していただいていて講評がでるまでしばらくかかるようなので、ブログでの公開は見送ってくださいとのこと。

この『ファウスト』演出の独自性や谷川塾での議論の様子は、その後でまた書きます。j

レジェンド 〈ファウスト〉ーーー  「ファウスト」はどこが何故レジェンドで、何がそんなにすごいのだろう。

 レジェンド 〈ファウスト〉              谷川道子
 
 「ファウスト」はどこが何故レジェンドで、何がそんなにすごいのだろう。
 
 
まずはそもそもが、ファウスト博士は(1480-1536または‐1539)年に)実在したといわれ、医術や占星術に携わり、祈祷師で医者で魔術師、人文主義的知識をもった錬金術師でいかさま師で女たらし、とされて各地を遍歴し、さまざまな足跡をd残しつつ、尾ひれもついて伝説を生みだし、それが16世紀末から数多くの民衆本や人形劇に姿を変えた。神の白魔術に対して、悪魔の黒魔術とも契約を結び、享楽と冒険と知識と欲望の限りを求めた遍歴の果てに神にそむいた罰で破滅する、中世から近世に向けての民衆のエネルギーと想像力が生みだした文字通りのレジェンドのシンボル像だ。
 
 
そして、イギリスのクリストファー・マーロウは『フォースタス博士の悲劇的な物語』として1592年に戯曲化、その後もレッシングやハイネ等々、何よりゲーテに刺激を与えた。少年ゲーテはそういった民衆本や人形劇に魅了され、自ら幼少時に演じたことさえあるという。しかもまずはゲーテが25歳の時に人々の前で朗読した『初稿(ウア)ファウスト』がワイマルの女官に筆写されて百年余経って、あの世のゲーテは知らぬことながら(?)、再発見・発表された。ゲーテ自身はイタリア旅行後に『ファウスト断片』を書き、それにさまざまな場を書き加えて,1806年に57歳で『ファウスト・悲劇第Ⅰ部』を発表。その後もさまざまに書き続け、心魂を傾けて、1831年に第5幕までの草稿を完成。それを封印したまま、死後に発表するようにと遺言して、1833年に82歳で永眠。
ゲーテが60年余、あるいは人生のながきにわたってかくもこだわって完成させた『ファウスト』とはいったい何だったのだろう。ファウストゲーテ自身に重なり、すべてを掌握したいという近代的個人/ファウスト的巨人の代名詞にも重なるのだろうか。しかしそういったことは、今はさておこう。
 
 
ここで語りたいのは、その半端ではない『ファウスト』の上演史だ。
  「ゲーテの『ファウスト』を上演するには、ファウストの魔法の杖と呪文が必要なのだ」(A.W.シュレーゲル)
   「大事なのは第Ⅱ部が書かれているということだ。いつか後世がそれを最上の形で生んでくれよう。可能な範囲内で利用してくれるだろう」(ゲーテ
 
 
実は、1990年にミュンヘン・カンマーシュピーレが国際ゲルマニスト会議の招聘でディーター・ドルン演出の『ファウスト第1部』を来日公演したとき、上演パンフレットに、「Faust und kein  Ende―終わりなきファウスト―『ファウスト』上演史素描」というスケッチを12頁にわたって書かせて貰った。世界文学中の古典であるのみならず、これほど古今の演劇人を挑発し、これほど演劇の力量を試してきた戯曲も、ほかにそうはない。『ファウスト』上演史はさながら、近・現代演劇史である。ほぼ2世紀にわたるその幾多の挑戦の粗描を試みたのだが、その2世紀に近い上演史も、それぞれの〈演劇の現在〉との格闘のなかでいくつもの〈レジェンド・伝説〉を生みながら、蘇生をくりかえしてきた。
20世紀まではそちらを参照されたいのだが、その後の21世紀でも特筆されるべき『ファウスト』演出が二つある。まずは、2000年のハノーファー万博でペーター・シュタインが演出した史上初という完全ノーカット版の20時間近い全幕上演、ブルーノ・ガンツ主演でも評判になった。
もうひとつが、この今回のSPAC招聘のニコラス・シュテーマン演出だ。『第Ⅰ部+第Ⅱ部』をみごとなポストドラマ演劇的テクストレジーで痛快な8時間の舞台にしてみせて大喝采を得て、2012年度のベルリン演劇祭で、招聘作品の演出家、俳優、舞台スタッフの中から、未来のドイツ演劇の方向性を示す一人ないし数名に授与される3Sat賞を受賞最高大賞、批評家雑誌でも年間最優秀演出家賞…。ドイツ演劇界でシュタインが「68年世代の旗手」として長らく名声を保ってきたとすれば、それに内実ともに果敢に反旗を翻らせて躍り出てきた次のニューカマーが、シュテーマンだった。彼が演出した『ハムレット』や『群盗』も観たが、度肝を抜かれた。今回も、本当は『第Ⅰ部+第Ⅱ部』のすべてを日本で客演してほしかったのだが、どう8時間にまとめたのかも興味津津だし……それは今の日本では無理なのかな。
 
 
 実は今年は、『ファウスト』日本上陸ほぼ百年にあたる。
森鴎外は1884-88年のドイツ留学中にすでに『ファウスト』を読み、その舞台も観ている。帰国してレッシング等々から旺盛なドイツ語戯曲翻訳と紹介で日本新劇の礎をも築いた鴎外は、1913年に第Ⅰ部と第Ⅱ部の全訳を2巻で刊行、その第Ⅰ部が同じ年に近代劇協会によって初演された。当時としては画期的なくだけた現代語の鴎外訳を、演出の伊庭孝は〈前芝居〉も〈天上の序曲〉も〈ワルプルギスの夜〉も省いた5幕15場にし、伊庭孝が自ら演じたメフィストは、見えをきって仁木弾正のようで、日本の時代劇のようだとも評されたが、「帝国劇場が五日間連続して売切になったのは、劇場が立って以来初めての事だそうだ」(鴎外)。鴎外は1914年に、自らの編訳による『ファウスト考』と『ギョエテ傳』も刊行している。
 日本の『ファウスト』上演史の第二の立役者は、久保栄だろう。東大独文科を卒業して築地小劇場の文芸部にはいった久保は、表現主義等の当時の現代劇をつぎつぎに翻訳して、その上演は日本新劇史の築地小劇場時代を創出させた。『ファウスト』も何度も上演候補にのぼったが実現せず、1936年にようやく新協劇団が、久保栄の訳・演出によって、第Ⅰ部を舞台にのせる。自ら劇作家でもあった久保の翻訳は、歯切れよくわかりのいい、いかにも舞台の深奥を知りぬいた人の手によるものだといえるだろう。演出家としては、「日本で最初の本格的な、演劇と音楽のアンサンブル」を創ろうと試み、作曲と指揮を吉田隆子が担当、演奏は楽団創生、装置は伊藤熹朔。やはり〈前芝居〉、〈天上の序曲〉、〈ワルプルギスの夜〉も省いた21場、ファウスト滝沢修メフィスト千田是也、グレーチヒェンが細川ちか子。「リアリズム遺産の最高峰のひとつである」『ファウスト』上演の新劇史における「歴史的意義」の自覚に貫かれたこの上演は、連日満員の記録をつくり、1939年にも再演された。この時の久保の稽古場での講義は、のちに『新ファウスト考』としてまとめられている。第Ⅱ部も上演プランにのぼっていたのだが、時局により劇団は解散を命じられ、久保も検挙された。第Ⅱ部の久保栄の翻訳も残念ながら、途中で終っている。
 
 
戦後は、1950年に印南喬らの運命座が大隈講堂で、楠山正雄訳の第Ⅰ部4幕10場を、ファウストは千葉栄、メフィストは加藤精一、グレーチヒェンは夏川静江によって、上演。そして1965年、俳優座日生劇場と提携して、千田是也演出で、日本ではじめての場面カットのない第Ⅰ部の完全全曲上演を果たした。『ファウスト』を「人類全体の歴史がふくまれている壮大な戯曲」ととらえ、それを「固苦しい理屈」としてでなく、楽しく、かつ「歴史的にリアリスティックに演出する」ことをめざした千田は、たとえば「ワルプルギスの夜」を「封建領主や教会の権力下に弾圧されていた当時の民衆、農民のいわばエネルギーの発散、民衆の健康な性の解放」とみて、面をかぶってさまざまな動物に化けた魔女たちや仮装人物を登場させ、怪奇・猥雑な場面をつくりだす。手塚富雄訳、伊藤熹朔装置、林光音楽、ファウスト平幹二朗、グレートヒェンは岩崎加根子メフィストは千田自身が29年ぶりに演じ、64人の出演者が260人の登場人物をこなす、劇場機構をフルに使った大舞台。飾り立てすぎた「絵解き」のスペクタクル芝居との評もあったが、シアトリカルな演出で、第Ⅰ部全曲を5時間の大作として日本の舞台にのせた意義は、大きい。
 
 
民衆本や人形劇による上演はほかにもあろうが、ゲーテの『ファウスト』そのものによる日本での主要な上演は、おそらくこんな感じだろうか。第Ⅱ部の本格的な上演は、いまだ実現していない。日本の演劇の力量が、問われているのではないだろうか。かつて小松左京は『ファウスト』を劇画ととらえた。「悪魔は出て来る、魔法つかいは出て来る、それからタイムトラベルやってるわけでしょう」―そんな複雑怪奇で超キングサイズの作品を独自の〈解釈(読み)〉と拮抗させた、自在な創造(想像)力にあふれた日本の『ファウスト』を、観たいと思う。
今回のタリア劇場のSPAC来日公演が、日本の舞台にさらなる『ファウスト』上演への機運を創ってくれないだろうか。この日本で、私の生きているうちに、日本の『ファウスト第Ⅰ部+第Ⅱ部』完全上演のレジェンドを、実はひそかに夢見ている。
 
 
 

ブログ開設の辞

谷川道子です。ドイツ演劇・文化が専門で、2010年3月に定年退職して、もっかの肩書きは東京外国語大学名誉教授、といったような自己紹介は追い追いに、ここではまずは、ブログ開設の辞を....
 
先日の5月1日、母校鹿児島甲南高校の同級生交歓会なるものに参加して、半世紀振りという再会もあったりして、それぞれの個性的な活躍振りを寿ぎ面白がりつつ、話題がブログになって、私がブログへの怖さを語り、どう作ればいいのか分からないと言ったら、さすが評論家の山崎行太郎氏、そんなのは簡単に気楽に作れるから作ってあげますよという嬉しい一言・・・・まさかと思っていたら、ウッソー、という感じで、ブログ原案が数日後に届きました。ベニシアさんの庭の写真を借りた、思いやりにあふれた、花いっぱいの綺麗なページで、そんな具合に花盛りとなっていくのかなあと恐る恐る触り始めたところ。これもご縁、メカ音痴の私にもできるのかなあ、やってみようかなあと、生まれて初めて思いました。
 
これまで現役時代はゼミや研究会、委員会などもっぱらMLを活用し、退職後は教え子や仲間と谷川演劇私塾なる場を始めて、20余名ほどの仲間内の情報や意見交換どまりで事は済んでいて、HPもないホームレスと豪語しつつ、氏素性の知らない不特定多数との交信なるものにどこか不安や不信感ももっていて、何だか目に見えない得体のしれない怪物のような世界で、ブログもツイッターフェイスブックも怖くて避けていましたが、どうもそう言ってはいられないような時期に達したようです。
退職したわが身のフロー感もさることながら、世の中も、たとえば国際演劇批評家協会AICT日本支部の機関誌が、これまでは季刊の紙媒体だったのが、ついにweb媒体に移行するとのこと。アナログ世代は焦る! WEB化という時代の流れにも、ついていけるように我が身をリニューアルする必要があるのかなあと、思案中。
ビデオやVHSが不要になったように、雑誌や本も不要になるのか、劇場も舞台も・・・・・ということのないように抵抗しつつも、せっかくのご厚意、おっかなびっくりでもひとつひとつ試しつつ、残り少ない人生のギアチェンジを試みてみましょうか…。
あるいは早稲田演劇博物館の拠点プログラムで言語や国の境界を超えて4年間続けた「翻訳プロジェクト」は、未邦訳の重要な演劇文献を皆で訳して、無料でweb公開する試み。
いろんな公演や議論、シンポジウムやパフォーマンスもネットやニコニコ動画配信となり。
東浩紀の『一般意志 2.0――ルソー、フロイト、グーグル』は新手の「民主主義論」、
ユビキタスコンピューティングとソーシャルメデイアに浸透されたまったく新しい統治制度の創出」というのが、果たして本当にどう可能なのか。
あるいはネグリ/ハートの<帝国>時代の民主主義=〈マルチチュード〉はどう形成され得るのか、等々。
そんなことも考えるなら、「アナザーワールド」などと言わないで、残り少ない人生なら、あえて今のうちにちょっとずつでも学んで入って行こうかと…。我がブログ開設ごときにさほどの意気込みは要らないのでしょうが、おそるおそる開く扉です。
仲間内のMLと違って世間に向けての発信、ということは、返信やレスポンスはあるのでしょうか。「炎上」ってどんな風に起こるのかなあ。ま、不安と期待で開設します。
いつまで続くか分かりませんが、よろしくお見知り置きのほど、お願い致します。
 
 
  
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